下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

マームとジプシー MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour vol.1 『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』@埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

2017年7月7日(金)〜7月30日(日)
会場:埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール


作・演出:藤田貴大
音楽:山本達久
衣装:suzuki takayuki
出演:
石井亮介
尾野島慎太朗
川崎ゆり子
中島広隆
成田亜佑美
波佐谷聡
吉田聡
山本達久

MONOについて劇団結成10周年(1999年)に書いた文章

 MONOは京都に本拠を置く劇団で、89年にB級プラクティスとして結成され、その後、91年に現在の劇団名に改名したというから、今年は劇団結成10周年の記念の年となる。

 旗揚げ以来のメンバーである作演出の土田英生、水沼健ら個性的な俳優による少人数の質の高い会話劇が特色。こちらも最初に見たのは扇町ミュージアムスクエアの若手劇団発掘企画、アクトトライアルで大阪に初登場した時で、この時にはまだつかこうへいなどの影響を受けながら、自らの作風を模索している時期であったが、その後、京都のアルティで上演された「スタジオNO.5」でワンシテュエーションの群像会話劇に方向転換。都市に住む清潔なホームレスたちを描いた「路上生活者」、クリスマスを嫌う人たちが集まるイブのペンションを舞台にした「Holy Night」、大勢で詐欺にでかける詐欺師の集団を描いた「約三十の嘘」と実際にはありえないが、絶対にありえないわけではない奇妙な状況に置かれた群像を会話劇のスタイルにより、コミカルに描きながら、そこから現代がかかえる様々な問題を浮かび上がらせていく。

 元時空劇場の金替康博が正式メンバーとして参加したことで、一層パワーアップ、昨年、利賀フェスで上演された「きゅうりの花」、今年上演された「燕のいる駅」はいずれも年間ベストプレイの上位にランクされる好舞台であった。これまでは東京では以前に大世紀末演劇展に参加して「路上生活者」を上演したことはあるものの、松田正隆らの戯曲賞受賞で京都演劇界が注目される以前で一般の注目度はまだ低く、今回が満を持しての東京本格進出となる。奥村泰彦(一色正春の名前で俳優としても出演する)の美術ほか、スタッフワークのレベルの高さにも注目してほしい。

 「―初恋」は97年に京都、大阪で上演された舞台の再演。ホモアパートの名前で近所で呼ばれている「ハイツ結城」で集団生活している同性愛者たちという土田英生らしいひねったシチュエーションで起こるおかしくも哀しい恋愛事件が描かれる。微妙な会話のずれによって起こる笑いを交えて、進行していく芝居はエンターテインメント性がきわめて高く、単純に楽しむことも出きるが、それだけにとどまらずシニカルなものの見方を通じて社会に対する批評性をも合せ持っているのが土田の紡ぎだす世界の特徴である。G2プロデュースやM.O.Pへの戯曲の提供などで東京でも徐々に劇作家としては知られるようになっている土田だが、息のあった役者たちとの絶妙なアンサンブルはここでしか見られないもの。東京の演劇ファンにぜひ見てもらいたい公演のナンバー1である所以である。

 これも参考までにこれまで見たMONOの作品のうち私の個人ベスト3を挙げておくと

 1、「きゅうりの花」

 2、「燕のいる駅」

 3、「約三十の嘘

 3、「Holy Night」

 いちおう、1、2位をつけてはみたが、本当は「きゅうりの花」と「燕のいる駅」はコメディー色の強い「きゅうり〜」とドラマ色の強い「燕〜」と作品の方向性がかなり違い甲乙つけがたいといったところ。「約三十の嘘」は土田流ウエルメードコメディーの傑作。深みにこそ欠けるが、良質のコメディーとして、最上級といえる舞台だったんじゃないだろうか。「Holy Night」は女性の描き方などにやや不満もあるがストレートにMONOのよさが出た作品として、楽しめたし、奥村泰彦の天才的美術を堪能できた。

ロジェ×束芋@浜離宮朝日ホール

 パスカル・ロジェのピアノと、束芋の美術が出会う
 ドビュッシーラヴェルの音楽が生み出す幻想の時間
出演
パスカル・ロジェ(ピアノ) 束芋(たばいも)現代美術

演奏曲目:
ドビュッシー
パゴダ/雨の庭(「版画」より)
帆/野を渡る風/亜麻色の髪の乙女/沈める寺(前奏曲集・第1巻より)
そして月は荒れた寺院に落ちる/金色の魚(「映像・第2巻」より)
月の光(ベルガマスク組曲より)
●サティ
グノシエンヌ第5番/グノシエンヌ第2番/ジムノペディ第1番
ラヴェル
悲しい鳥たち(「鏡」より)
吉松隆
水によせる間奏曲/小さな春への前奏曲/けだるい夏へのロマンス/間奏曲の記憶/真夜中のノエル/静止した夢のパヴァーヌ(プレイアデス舞曲集より)

束芋の作品は以前から好きだ。だから、このコンサートに出かけて来たわけだが、端的に言ってこれはパスカル・ロジェのピアノコンサートだった。ロジェはいかにもフランス人らしい色彩感に溢れた音色を醸し出すピアニストである。ドビュッシーやサティはそうしたタッチによく合っている。ピアノコンサートとしてはとてもよかった。
ただ、それゆえにコンサートの最中に何度も感じてしまったのは束芋の作品は好きでもこのピアノに映像が本当に必要なのだろうかとの疑問なのだった。特にドビュッシーの楽曲などはもともとまるで音による絵画のようなとでも評されるような作風なので、そこに束芋のような具象的にイメージを付加されるというのはかえって自由なイメージを制限されるように感じ、蛇足ではないかと思ってしまった。
 ドビュッシーの音楽を最初に意識して聴いたのは当時大ファンだった冨田勲の作品集だった。ムーグシンセサイザーによる冨田の音づくりは完全に抽象的な音色というより、何かをシミュレーションしたような音。それは絵画的といってもいいが、それが最初の作品集が「展覧会の絵」だった大きな理由かもしれない。ドビュッシーラヴェルの作品化もそうしたラインに沿ったものと思われた。
そう考えて冨田の後、実はピエール・ブレーズの指揮による「牧神の午後への前奏曲」の演奏を聴いてみたのだが、オーケストラの演奏なのに冨田以上に音色豊かに感じられたのに驚いた。その後、ピアノによる演奏を聴いた時もそう思った。まだ、若かった頃の出来事であり、そんなことはすっかり忘れていたが、ピアノ演奏を見ながらそんなことを思い出したのは、ロジェの音のイメージ喚起力に感心したからだ。
 このコンサートのプログラムにはフランス音楽に加えて、日本の現代音楽家である吉松隆の楽曲も6曲入れられていた。こちらはドビュッシーなどと違って束芋の映像との親和性はより強く感じられた。
 ここまで書いてきて気がついたが、誤解があると困るので再確認すると束芋の作品がよくなかったとか、作品と映像が合っていなかったと指摘したいわけではない(事実、ネット上にはそういう批判も散見された)。アニメーション(というか束芋のものは動く絵画作品といってもいいのだが)と組み合わせるのにもともと音から絵画的といってもいいようなイメージを感じ取ることができるドビュッシーラヴェルの作品は適当だったのかということだ。どうもこれはあまりに説明的になるというか屋上屋を重ねるというようなことになっていたのではないか。
 それと比べるとより現代音楽でより抽象度の高い吉松隆との相性は悪くなかった。おそらく、ピアニストが弾きたい曲をまず選んだのではないかと思うのだが、全体のプログラムの流れがどちらの主導でこういう風になったのかが知りたいところだ。

勅使川原三郎振付KARASアップデイトダンスNo.47「静か」@荻窪アパラサス

風が止み 静止の後の動きに 静かがやってくる
身体から湧き上がる沈黙
沈黙の間合い 沈黙の木霊

出演 勅使川原三郎 佐東利穂子
演出/照明 勅使川原三郎

音楽をいっさい使わず無音の中で勅使川原三郎と佐東利穂子が踊るデュオ作品である。無音であることから無音というのは劇伴音楽を使わないだけであって、空調の音、観客の呼吸音などこの小さな空間は音に満ちているというような感想があって、それはジョン・ケージの「4分33秒」のコンセプトを思い起こさせる。
ただ、そこには決定的な違いがあると思った。それは「静か」には2人のダンサーの身体とそれが空間の中で動き回り、踊るということだ。だから、「4分33秒」では観衆は演奏者であるオーケストラを見なくて目を瞑ってただ会場の音を聴いているのも鑑賞の態度として正しいといえそうだが、「静か」の眼目はあくまで舞台の空間のなかにダンサーがどのように存在して、あるいは動いているかにあるからだ。
ローザスのアンナテレサ・ドゥ・ケースマイケルはあるドキュメンタリーの中で自らのダンスのことを「時間と空間の構造(ストラクチャー・オブ・タイム・アンド・スペース)」と何度も語ったが、「静か」は音楽が存在しなくても、あるいは音楽が存在しないことで我々の目に高い純度で「時間と空間の構造」が可視化されるのを感じることができた。
 しかも音楽を使えばその種類にもよるが音楽はそれを聴く者の脳裏に特定のイメージを投影するもので、勅使川原の最近の作品でもワーグナーの楽劇を使用した「トリスタンとイゾルテ」が典型的にそうだが、舞踊は音楽との関連においてある意味性を孕んで受け取られることになる。
 「静か」にはいっさいそういうことがない。観客の我々も純粋にダンス自体と向き合うことになる。そしておそらくダンサーも動きは即興ではなくてある程度あらかじめ設定されたものだとしても、何かを演じたり表現したりという方向には意識が向かわず、そこで毎日再現されるごとにリクリエイトされる動きのディティールのなかに不断に動きが生み出され続けるのを体験することになる。動きは最初、揺らぐようにゆっくりとした微細なものから次第にゆったりとしておおきなものや時に鋭い動きなどに変容していくが、その中にはこれまでの勅使川原作品のよく出てくる手癖的な動きではない動きも散見されてそこにハッとさせられるような面白さを感じた。 

青年団リンク玉田企画「今が、オールタイムベスト」(3回目)@アトリエヘリコプター

青年団演出部に所属する玉田真也の作品を上演するための演劇ユニット。日常の中にある「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現するコメディを作る。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくりだし、その「痛さ」を笑いに変える。

作・演出:玉田真也
出演
宮崎吐夢 浅野千鶴(味わい堂々) 神谷圭介(テニスコート) 菊池真琴
木下崇祥 玉田真也 野田慈伸(桃尻犬) 堀夏子(青年団) 山科圭太
スタッフ
舞台監督:宮田公一 舞台美術:濱崎賢ニ(青年団
照明:井坂 浩(青年団) 音響:池田野歩 衣装:根岸麻子(sunui)
演出助手:川合檸檬 構成協力:木下崇祥 宣伝美術:牧寿次郎
制作:足立悠子、小西朝子、井坂浩

青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)評論編 https://spice.eplus.jp/articles/66009
青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)インタビュー編 https://spice.eplus.jp/articles/65513

有安杏果ソロライブ「ココロノセンリツ 〜Feel a heartbeat〜 Vol.1」@大阪・オリックス劇場

 アイドルグループ、ももいろクローバーZのメンバーである有安杏果のソロライブ3都市ツアーでこの日は愛知に次ぐ大阪の2日目。ツアーでは全5ステージのうち4ステージ目となり、後は東京国際フォーラムでのツアーファイナルを残すのみとなる。ツアーだとネタばれを気にする人がいるが、私はミステリ劇やシベリア少女鉄道のような仕掛けの内容がわかってしまうものについては配慮するが、観劇やライブのレポートにそういう配慮は不必要だと考えている。配慮していると中身に踏み込んだ分析ができないし、そういうことに必要以上に配慮して表面をなぞったような隔靴掻痒の文章を書いても意味がないと考えているからだ(なので以下ネタばれをきにする人は読まないでほしい)
ライブはトータルでよかったがアンコール、緊張感から解き放たれて自由に音楽を楽しむ境地になった時、彼女がどんなパフォーマンスを展開できるのか分かったのが最大の収穫だ。まだ可能性の一部を見せただけな気がするがそれでもその自在なパフォ力に戦慄した。
→(以下ネタばれあり)







 自分の幼少期からのさまざまな体験に焦点を当てて、これまでを振り返っての総括を主題とした有安杏果ソロライブ「ココロノセンリツ 〜Feel a heartbeat〜 Vol.0」「ココロノセンリツ 〜Feel a heartbeat〜 Vol.0・5」に対して今回の「vol.1」は文字通りに「いま・ここ」での杏果の心情を歌とダンスと演奏でファンというか劇場にやってきたオーディエンスに伝えようという内容で、文字通りに杏果のここからが本当のスタートだという気概が感じられるライブだった。まず、最大の特徴はセットリストを参照してもらえば分かるとおりにこのツアーが完全に初披露である新曲4曲を含め、自分のソロ曲を除けばももクロ曲もフォーク村などで手掛けてきたようなカバー曲もすべて排除し、すべてを自分のソロ曲で固めたライブとしたことだ。
 そのことは以前からそういうこだわりを明らかにしていたから予想はされていたものの、これまでのソロコンで鉄板だった「ゴリラパンチ」のセルフカバーやコール&リスポンスが最高に盛り上がる「To Be With You」のような曲もセットリストから外れていたのにはファンの間にも「もっと盛り上がりたかった」という声も聞かれるなど賛否両論があったようだ。私個人としては杏果の強い意志は感じ取れるから「ももクロ曲やらない」は理解できるものの、カバー曲についてはストイックすぎないかと思った。ビートルズだってカバー曲も歌っていて、しかもそれをレコーディングしたりと、あたかもオリジナルのように歌っている。だから、そこまで完全オリジナル曲にこだわらなくてもいいのではないかと思っているのだが、楽曲製作を手掛けるようになった時から「すべてオリジナル」というのはひとつの到達点としてこだわりがあり、今回はこれが必要だったのであろう。
今回のライブの目玉のひとつはドラムだけではなくて、杏果がさまざまな楽器の演奏に挑戦したこと。なかでもびっくりさせられたのはライブ冒頭、1曲目がピアノソロの弾き語りでいきなり長い間、杏果の代名詞的な曲でもあり、ライブの終盤に歌われるのが定番だった「ありがとうのプレゼント(ありプレ)」を1曲目に持ってきて、歌ったことだ。幼少の時からピアノを習っていたという詩織とは違い、杏果の場合はこのライブのために初めて弾くのを練習し、わずか1年ぐらいの経験ということもあり、ピアノ演奏自体はまだまだ稚拙さを感じさせる部分もあったし、本人の緊張感も伝わってきて、会場全体が固唾を呑んで見守るという感じだった。ただ、本人が弾くピアノだけというアレンジは今まで何度となく歌われたこの歌にこれまでとは違う新たな魅力を付け加え、新鮮さがあったかもしれない。さらに言えばこの時は分かっていなかったのだが、ライブを最後まで見るとこの歌をここに置いたもうひとつの狙いも浮かび上がってきて、「そうだったのか」と思わず膝をうったのである。
 2曲目は「実は最初に作った歌」という「ハムスター」。そして次の「feel a heartbeat」では今度はエレキギターの演奏を見せてくれた。こちらはまだ稚拙だったピアノ演奏と比べ、フォーク村などでの経験が生かされていて堂々たる演奏ぶりだ。
 続いて今回4曲新たに発表する予定の新曲のうち最初の1曲との紹介で、風味堂提供の「遠吠え」が披露された。この曲では歌う時の表情ひとつとってもこれまでにない大人っぽい杏果が見られる。演出的にも赤いライトの照明で正面から杏果を照らしだしクールでスタイリッシュな感覚を醸し出す。こういうのはももクロのパフォーマンスではちょっとないパフォーマンスのあり方で、世代的に私は中森明菜工藤静香を思い出したのだが、杏果の表現の幅がここまで広がってきたことを頼もしく感じた。
 ドラム演奏はもはや杏果の武器のひとつだから、どこかで演奏が入ることは予想していたが、それが在日ファンクの提供曲である「教育」であったのにも驚いた。ドラム演奏の技術的ハードルとしては相当高い難曲といってもいいと思うのだが、ドラムに関してはもはやまったく危なげがない。オリジナル曲はソロコン以外では披露しないという杏果だが、これはももクロ曲といってもいいし、ももクロのライブやフォーク村でも演奏してほしい。というか演奏し続ければ杏果のそしてももクロの凄さが分かりやすく届く1曲になるんじゃないかと思った。
 次の「Drive Drive」はタオル回し曲でもこの2曲で盛り上がるブロックをまず作り、次の新曲に繋いでいく。こうした曲と曲のつなぎ方がこのライブはよく考えらぬかれていて、さらに1曲1曲のアレンジにも曲の入り方、つながり方も含めて細かな工夫が重ねられている。ライブというと次々にとにかく曲を歌っていけばいいんだろうという作り方のライブが多い中で、この後、舞台の後半に多用される映像(写真)やアニメーションを含め「作品としてのライブコンサート」を杏果が強いこだわりを持っているのはももクロでの経験もあるだろうが、それ以上に1枚1枚の写真をただ見せるというだけではなく、どういう順番で何を取り上げ全体を構成していくのかという大学の写真学科で学んだのであろう写真の思考法が影響を与えているのかもしれない。この日もロビーに展示してあった卒業制作の写真作品の表題も「心の旋律」*1だったのではないか。1枚1枚、1曲1曲をと構成要素は違っても作品作りという意味では杏果にとってはライブも写真展示も同じなのかもしれない。
新曲の2曲「ヒカリの声」「色えんぴつ」は一見希望に満ちて明るい曲調の「ヒカリ〜」と内省的で暗い感じがある「色えんぴつ」は対照的ではあるが、ともに赤裸々に「いま」のそして「これまで」の杏果の心情を吐露するような歌詞で自ら意味づけた今回のライブのテーマである「成長」を象徴するような曲ということもいえる。いずれにせよももクロの曲にはこれまでなかったような私的な心境を綴ったものでもあり、
杏果がソロ活動の柱として曲づくりにも積極的に取り組むのはこういうももクロではできなかったことをやりたいとの思いが強いのかもしれない。特に「色えんぴつ」には歌と一緒に曲に合わせて製作したと思われるオリジナルのアニメーションもついていて、アニメを製作したアーティストが誰なのかは分からないが、アーティストが曲のイメージで自由に製作したというようなものではなく、おそらくひょっとしたらイメージを伝えるのに絵コンテのようなものさえ書いたかもしれないと思ったほど、アニメと曲でひとつの作品と言ってもいいほどの完成度の高さとなっていて、これをそのままNHKの「みんなの歌」とかで流してもらいたいと思ったほどの出来栄えだった。
 「裸」「小さな勇気」という既存曲もより丁寧に歌を伝えようとしており成長を感じた。再び驚かされたのは「ペダル」をアコースティックギター1本での弾き語りで披露したことだが、それに合わせて曲調もアレンジしたのか歌い方をそれまでの音源や過去のソロコンとはまるで変えていたこと。歌い方に関していえばそれまで歌い方をボイストレーナーが全面的に指導していてそれに従って歌っていたのを新曲については自分で歌い方を決めたと当日パンフに書いていたので、新曲ではないけれどこの曲も歌い方を自分で変えたのかも知れない。ただ、少し気になったのはギター1本の弾き語りだったせいか歌い方がボブ・ディランジョーン・バエズを思わせるフォーク調だったことだ。それはまあいいのだが、もっと気に掛かったのは「ペダル」は本間昭光編曲の曲。本間さんはももクロに取って恩人のひとりなので大事にしなくちゃいけない人だと思うのだが、まだ音源さえ発売されていないのに別アレンジでライブをしてしまうのはどうなんだろうと老婆心から思ってしまったが、ライブの完成度を高めていくという目的の前にそういうことは杏果にとってはどうでもいいのかもしれないとこんなところからも彼女の作品としてのライブへの思い入れの強さを感じたのだった。
ここからの3曲は「TRAVEL FANTASISTA(新曲)」「Catch Up」「愛されたくて」と軽快な曲想の歌が続き、盛り上がりのなかで本編のクライマックスに雪崩れ込んでいくが、特に注目したのはOfficial髭男dismの提供曲である「TRAVEL FANTASISTA」であろう。Official髭男dismといういかついバンド名ではあるが、一言で言ってこのバンドの作る楽曲は洒落ていてポップだ。方向性は違うのだけれどもvol.0で「Drive Drive」を提供した[Alexandros]といい、このOfficial髭男dismといい杏果の好む音楽性が少し分かる気がした。自らが手がける楽曲については当日パンフに「一般受けして売れる曲もポップな曲も書けない」というような内容のことを書いていたのだが、「好きな音楽のタイプ」については前にラジオ番組で「私が真夜中に聴く曲」という主題で選曲していたように洗練された音楽性の男性バンドが好きなようだし、今振り返ってみれば「コーヒーとシロップ/Official髭男dism」もその中に入っていた。

選曲テーマ:私が真夜中に聴く曲
M1:洗面所/aiko
M2:ABCDC/クリープハイプ
M3:残月/→Pia-no-jaC←
M4:CANDY/Mr Children
M5:有心論RADWIMPS
M6:ストレンジカメレオン/the pillows
M7:C.h.a.o.s.m.y.t.h./ONE OK ROCK
M8:コーヒーとシロップ/Official髭男dism


コーヒーとシロップ/Official髭男dism 
「TRAVEL FANTASISTA」は今回の新曲4曲のうち1曲だけMVも製作して発売するとしたこの曲になるだろうというつい口ずさみたくなるようないい曲で、音源もきちんと公開して配信とはいわずシングルで発売してほしいほどだが、これも気になったのはやはりパンフの中にこの曲の音源を製作した際のエピソードを喜々とした口調で書いているのだが、その中でやはりライブ用に原曲を録音したけれど音源を販売する予定はないのだけれどとわざわざ断って書いていることだ。この曲は音源があるのだし、ライブで使ったアニメーションもあるので、MVを公開しようと思えばすぐにでもできるはずなのだ。杏果にはぜひ一刻も早くソロのフルアルバムを発売してもらいたい。ツアーの途中なため発表できないだけと思いたいのだが、「ココロノセンリツ」以外では一切ソロ曲をやらないという杏果を誰か説得できないんだろうかと思ってしまうのだ。

 さて今回のライブでは本編が終わった後、アンコールで3曲やったのだが、その2曲目が実は遅れて出てきた今回のメインディッシュとでもいうべきメドレー。本編でこの日に歌った楽曲をセットリストの逆の順番で次々と歌っていくのだが、単に順番が逆というだけではなく、本編で歌ったのとはまったく違うアレンジを入れてきている。実は本編では楽曲の作品性を重視して磨き上げたような仕上がりを求めたり、様々な楽器の演奏もした関係もあって「ペダル」「ありがとうのプレゼント」など通常のアレンジとは大きく変更した歌い方をした楽曲も多かった。このアンコールメドレーではライブ性を生かしたアレンジでシンガーとしての杏果を前面に出し、リラックスして音楽を楽しむ境地にある時のこの人の輝きの凄みを見せつけた。そしてこの逆セトリのミソはその順番に歌っていくと最後にあの「ありがとうのプレゼント」があることなのだ。1曲目で「ありプレ」が披露された時にはピアノ演奏初披露という驚きはあっても「え、この曲最初にやっちゃうの」という喉にささった棘のような感覚をファンなら持ったと思うが、そんな不満もここで完全に解消されて心置きなく彼女に万雷の拍手をという気持ちになったろう。

 そして、最後の最後に披露されたのが「心の旋律」だが、ここで有安杏果は今回のソロコンのフィナーレを飾るとともに今後の彼女の表現活動に向けての次の第一歩を見せてくれた。自分自身で撮った写真作品がスライドで披露され、それに合わせて歌を歌ったのだが、2つのスクリーンに映し出された写真は撮影だけではなくて、写真と一緒に提示されたテキストも含めて彼女が自分で細部まで構成したものでこれこそがロビーに展示されていた写真作品の別バージョンというか曲+写真で構成された1つの作品だったといってよかった。LVはやらないと彼女が強調していたのはこれがあるからではないかと思った。「アイドルではなくアーティストだ」などということがよく言われるが、ライブコンサートをアート作品として構成しようとしたという意味で今回の有安杏果は「アーティスト」だったといってもいいが、その前には「ライブシンガー」としての凄みも見せつけたし、「アイドル」としてどうなのかと言われればそれはもちろん……。
(完)

セットリスト
M1:ありがとうのプレゼント*2
M2:ハムスター
M3:feel a heartbeat*3
M4:遠吠え(新曲、風味堂提供)
M5:教育*4
M6:Drive Drive
M7:ヒカリの声(新曲)
M8:色えんぴつ(新曲)
M9:裸
M10:小さな勇気
M11:ペダル
M12:TRAVEL FANTASISTA(新曲)
M13:Catch Up
M14:愛されたくて
本編終了
アンコール
EN1:Another story
EN2:セトリ逆メドレー
EN3:心の旋律
挨拶

劇団☆新感線「髑髏城の七人」Season鳥 @豊洲 IHIステージアラウンド東京

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:阿部サダヲ 森山未來 早乙女太一 松雪泰子 粟根まこと 福田転球 少路勇介 清水葉月 梶原善 池田成志ほか

 劇団☆新感線は関西に本拠を置いていた時代から大好きな劇団なのだが、チケットがとりにくいのとチケット代が高いのが玉にきずで、ふと気がついたら最近はすっかり遠ざかっていた。一昨年に新劇場と同じ豊洲にある豊洲PITで行われたライブ*1は見ていて、だからそんなにひさしぶりという気もしなかったのだが、「髑髏城の七人」の過去の上演をいつ見ていただろうかと思い、調べるためにサイト内検索をしてみたところ、2004年5月19日に劇団★新感線「髑髏城の七人(アカドクロ)」*2 *3を観劇していたことが分かったが、新感線の舞台の観劇記録は10年11月30日の「鋼鉄番長」が最後になっていることが分かった。もっとも、サイトの観劇記録には漏れが多くて、明らかに観劇の記憶はあるのに書いてないものも多く、はっきりしたことは分からないのだが、ひさしぶりの劇団☆新感線観劇であることは間違いない。
観劇後の印象を一言でいうといかにも劇団☆新感線らしいスピード感覚に溢れた活劇で多いに楽しんだ。とは言え、前回の「アカドクロ」観劇から13年もの年月が経過しているので記憶があいまいになっているとは言え、「髑髏城の七人」は確か信長の影武者の話だったのではないか? 前述の感想でも「直接に影響が指摘できそうなのは『影武者』であるのはこの物語が『もうひとつの影武者』として構想された物語であることを考えれば間違いないであろう。『影武者』は武田信玄の影武者を巡る物語であるが、こちらは織田信長の影武者2人の対決を軸に物語が展開する。これを1人2役で古田新太が演じるのだが、古田の役者としての最大の魅力はヒーローと悪役の両方を魅力的に演じることができることで、その意味ではこの脚本はまさに古田のために書かれた脚本と言ってもいいかもしれない」としている。
 今回は1人2役はないが、このバージョンで出演している森山未來早乙女太一が出て上演された版があるから今回大きく書き換えたのではなく、これはそれを基にして細かな変更を加えたものなのであろう。
この版では登場人物のうち、3人が信長の側近というのはあっても影武者という設定はなくなっている。だが、それだとそもそも天魔王が覆面を付けて出てきたり、捨の介を天魔王が身代わりにしようするなどの設定は説得力があまりないのではないか。殺陣やダンスのレベルは高まり、物語の展開のスピード感は数段増したが、芝居としての説得力という意味では以前見た「アカドクロ」に少しだけ分があるように思った。

*1:旗揚げ35周年を記念したライブイベント「新感線MMF」2015年10月

*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040519

*3:CINEMA☆SHINKANSEN http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20041031

青年団リンク玉田企画「今が、オールタイムベスト」@アトリエヘリコプター

青年団演出部に所属する玉田真也の作品を上演するための演劇ユニット。日常の中にある「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現するコメディを作る。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくりだし、その「痛さ」を笑いに変える。

作・演出:玉田真也
出演
宮崎吐夢 浅野千鶴(味わい堂々) 神谷圭介(テニスコート) 菊池真琴
木下崇祥 玉田真也 野田慈伸(桃尻犬) 堀夏子(青年団) 山科圭太
スタッフ
舞台監督:宮田公一 舞台美術:濱崎賢ニ(青年団
照明:井坂 浩(青年団) 音響:池田野歩 衣装:根岸麻子(sunui)
演出助手:川合檸檬 構成協力:木下崇祥 宣伝美術:牧寿次郎
制作:足立悠子、小西朝子、井坂浩

青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)評論編 https://spice.eplus.jp/articles/66009
青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)インタビュー編 https://spice.eplus.jp/articles/65513

青年団リンク玉田企画「今が、オールタイムベスト」@アトリエヘリコプター

青年団演出部に所属する玉田真也の作品を上演するための演劇ユニット。日常の中にある「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現するコメディを作る。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくりだし、その「痛さ」を笑いに変える。

作・演出:玉田真也
出演
宮崎吐夢 浅野千鶴(味わい堂々) 神谷圭介(テニスコート) 菊池真琴
木下崇祥 玉田真也 野田慈伸(桃尻犬) 堀夏子(青年団) 山科圭太
スタッフ
舞台監督:宮田公一 舞台美術:濱崎賢ニ(青年団
照明:井坂 浩(青年団) 音響:池田野歩 衣装:根岸麻子(sunui)
演出助手:川合檸檬 構成協力:木下崇祥 宣伝美術:牧寿次郎
制作:足立悠子、小西朝子、井坂浩

 これまで中学生、大学生などのいわば同質性が強い小集団の中での閉じた関係性から生み出させる微妙な空気感を笑いに転換してきた玉田真也。今回登場するのは社会人である大人たちだが、舞台の描写が社会に開かれていくというようなことはいっさいなく、相変わらずの玉田節である(笑)。
 相変わらず絶妙の面白さ。今回は小空間ながら回り舞台を巧みに使いこれまでにないインティメートな空気感も演出。新たに参加の男優2人(神谷圭介宮崎吐夢)もそれぞれの持ち味を生かし笑いの世界に一層の厚みが生まれた。今後がますます楽しみだ。

劇評テーブルvol.4―玉田企画『少年期の脳みそ』より 中西理 http://theatrum-wl.tumblr.com/post/159881055911/%E5%8A%87%E8%A9%95%E7%B4%94%E5%BA%A6%E3%81%AE%E9%AB%98%E3%81%84%E7%AC%91%E3%81%84-%E7%A2%BA%E4%BF%A1%E7%8A%AF%E3%81%A7%E4%BD%93%E7%8F%BE

青年団第76回公演「さよならだけが人生か」(3回目)@吉祥寺シアター

作・演出:平田オリザ

2017年6月22日(木)-7月2日(日) 15ステージ

会場:吉祥寺シアター


「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
待望の再演。


東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。
遅々として進まない工事。
工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、
様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。
青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。

1992 年に初演され、「そのとき日本の演劇界が青年団を発見した」とも言われる劇団の出世作
2000 年 のリニューアル上演以来、16年ぶり待望の再演。

 出演:
・工事現場の人々
 山内健司:宮内政人(おっさん)
 荻野友里:宮内ミカ(おっさんの娘)
 佐藤滋 :鈴本大次郎(うるさい男)
 小林智 :篠塚昭利(少し静かな男)
 大村わたる:橋本良二(バイトの警備員)
 森内美由紀:山口珠恵(掃除する女)
 井上みなみ:井出牧子(新入りの掃除する女)
 石橋亜希子:辻房枝(足を折った人)

・発掘の人々
 石松太一:岸本健三郎(助手)
 藤松祥子:高木晴美(留学する女の学生)
 前原瑞樹:藤野智明(男の学生)
 小林亮子:小野時子(女の学生)
 寺田凛 :白石桂子(歯が痛い女の学生)

・その他の人々
 太田宏 :大蔵喜一(男の社員)
 小瀧万梨子:月島郁恵(女の社員)
 串尾一輝:トカレフ(新人社員)
 伊藤毅 :門田義男(訪問者)
 立蔵葉子:星野千絵(文化庁の女)

 表題の「さよならだけが人生か」は于武陵という人の「勧酒」と題した漢詩井伏鱒二が訳した訳詩に出てくる「ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」という一節から取ったものである。

勧酒  (于武陵)      酒をすすむ 

勧君金屈巵         君に勧む 金屈卮
満酌不須辞         満酌 辞するを須いず
花発多風雨         花発けば 風雨多し
人生足別離         人生 別離足る

   直訳                    井伏鱒二
君に この金色の大きな杯を勧める         コノサカヅキヲ受ケテクレ
なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ    ドウゾナミナミツガシテオクレ
花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
人生に 別離はつきものだよ            「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二の訳詩から引用したとは書いたが平田オリザは実は表題にするにあたってちょっとした変更を加えている。「サヨナラだけが人生だ」とあったのを「さよならだけが人生か」と「だ」を「か」にしているのだ。