下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

朗読劇「『陰陽師』~藤、恋せば 篇~」

朗読劇「『陰陽師』~藤、恋せば 篇~」

 

原作:夢枕獏  脚色・演出:岡本貴也
陰公演

2017年7月14日(金)~17日(月・祝) 東京都 新宿FACE

キャスト安倍晴明諏訪部順一矢崎広池田純矢、橘輝源博雅矢柴俊博、河原田巧也、石橋直也、反橋宗一郎蜜虫:森口瑤子南里侑香山村響田上真里奈
陽公演

2017年7月19日(水)~23日(日)東京都 六行会ホール

キャスト安倍晴明津田健次郎桑野晃輔西山宏太朗、有澤樟太郎

源博雅:松本慎也、石橋直也、鐘ヶ江洸、高崎俊吾(「高」ははしごだか「崎」はたちざきが正式表記)

蜜虫:釘宮理恵柏木ひなた私立恵比寿中学井上理香子フェアリーズ)、石川由依

 夢枕獏の「陰陽師」を朗読劇として再構成。予想以上に面白かった。朗読劇だから地の文にあたるような「語り」的な部分を3人の主要キャスト(有澤樟太郎、鐘ヶ江洸、柏木ひなた)がそれぞれ分担したり、メインではない役柄も次々と演じ分けたりする。シアターシュリンプの時のような会話劇と比べて少女から老女までを声色を変えて演じるなど演技のハードルは高いが、演技経験が少ないながらも柏木ひなたの演技は他の出演者と比較しても遜色がなく、驚かされた。

 さすが女優事務所とも思ったが、こういうのは事務所うんねんよりも個人的な資質が大きいのかもしれない。どういう経緯で出演することになったのか、どの程度の稽古日程がとれたのかは不明だが、ひなたがこういう形で演劇に挑戦できるならももクロももっと積極的に舞台に挑戦してほしいとも思った。ただ、この日は劇場はファミリーに占拠されるという風でもなかったがもし玉井詩織が出演してたらこの程度の規模の劇場では客席はモノノフばかりになってしまいかねないのでそこがやっかいなところだ

 

 

 

TRASHMASTERS vol.27 「不埒」 @下北沢駅前劇場

TRASHMASTERS vol.27 「不埒」@下北沢駅前劇場 
 

2017年7月15日 [土] >>7月23日 [日]@下北沢駅前劇場 [全11回公演]
作・演出 中津留章仁

出演
カゴシマジロー
星野卓誠
倉貫匡弘
髙橋洋介
龍坐
川﨑初夏

乙倉遥 [演劇集団 円]

 「 緻密に組み立てられたリアルな政治劇」「社会の状況に対する批判を作品に大胆に盛り込み権力に対する鋭い批判を演劇に組み込んだ」などの評価の声をこの劇団の舞台に対して寄せる批評家あるいは観客もいるのだけれどもそうした言説に対してどうもしっくりこないものを感じていた。 

  今回は東芝を思わせる一流企業に勤務する夫とその家族とそれぞれの親族、友人が登場する。夫はどうやら不倫していて妻と息子はそれが許せない。マンション前にある鉄道(鉄道路線は特定されないが、小田急がモデルだろうか)では現在高架工事が進んでおり、そのプロジェクトには夫の会社も参画している。工事への反対運動への参加の件で妻、息子と激しく対立するが、単純に政治的な対立を描くだけではなく、ここではその対立の背後に人間関係のいざこざがあることが分かってくる。家族の家庭内の不和を描くことが、現代社会で様々な問題での対立軸に重なっていくというのがTRASHMASTAERS=中津留章仁のいつものやりかたでこの作品もそれを踏襲している。

 問題の設定はかなり極端に単純化され、分かりやすく改変されている。例えばこの作品では私鉄の高架工事について高架工事自体が開発企業と政治権力が結びついた利権構造のうえにあるなどと描いているが、マンションが立地している場所を世田谷区と措定しているから、これは小田急京王電鉄のことに思われる。実際に高架化も何カ所も実施された場所はあるが、正直言ってこういう工事は利権のためというよりは列車の本数を増やして高速化するためとか実際に高架化される場所より遠隔地の住民の利便向上などの企業収益上の合理的な理由があるのではないだろうか。

 こういう問題は単に私企業=もうけ主義=悪などという単純な構図は当てはまらない。結局のところ「都心に近い住民の利益」対「郊外の住民の利便性」という「公共」対「公共」の利益対立の構図となり、全体としてどちらの利益をより重視するのかということ政治的な判断が迫られる案件とならざるを得ない。

 この作品は会社を悪として描くだけではなく、退職後の夫が工事阻止のために市会議員にまでなり、反対運動を初期から展開していた学校教師と組み、自らの主張を有利にしようと会社に戻った友人を脅し、会社の機密情報を探らせようと強要しようとするところまでも描く。その後には警察官になった息子の手で「共謀罪」の容疑で逮捕されるという顛末があり「正義を掲げるものこそ危うい」とのメッセージも見受けられるのだが、どうもこれも「共謀罪」の事例としては全くリアリティーがない。

 ただ、この劇団の作品を「リアルな政治劇」と見なす見方そのものが根本的に間違っているのではないかという風に考え直したときTRASHMASTAERSが一定数以上の観客から支持を受け続ける理由が分かったようにも思えた。ここでの議論はよくも悪くもショーアップされたものだ。展開される論理は「朝まで生テレビ」的な政治的なショーの趣きに近い。息子の警察官としての登場なども大向こう受けを狙ったお芝居としてなら理解できなくもないのだ。

 この劇団の作品を「リアルな政治劇」と見なす見方そのものが根本的に間違っているのではないかという風に考え直したとき同時にTRASHMASTAERSが一定数以上の観客から支持を受け続ける理由が分かったような気がした。ここでの議論はよくも悪くもショーアップされたもので、展開される論理は「朝まで生テレビ」的な政治的なショーの趣き、つまり政治劇的なエンターテインメントなのかもしれない。   

 

オフィス コットーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」@すみだパークスタジオ倉

えオフィスコットーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」 @すみだパークスタジオ倉

 
原作:三遊亭円朝
脚本:フジノサツコ
演出:森新太郎
プロデューサー:綿貫凜
出演:柳下大山本亨、西尾友樹、太田緑ロランス松本紀保青山勝松金よね子 
 
 
 
 
 
 
 
「怪談  牡丹燈籠」といえば歌舞伎としても上演されている古典ではあるけれど元来は三遊亭円朝の怪談噺。落語が原作である。これまで演劇では新三郎、お露の悲恋に焦点を当てた脚色が上演の主流てなってきたが、今回はより原作に忠実な戯曲をフジノサツコが書き下ろし、森新太郎が演出し群像劇として上演した。

 

オフィスコットーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」 @すみだパークスタジオ倉

フィスコトーネプロデュース「怪談 牡丹燈籠」 @すみだパークスタジオ倉

 

 原作:三遊亭円朝

脚本:フジノサツコ
演出:森 新太郎
プロデューサー:綿貫凜
キャスト:柳下大、山本亨、西尾友樹(劇団チョコレートケーキ)、松本紀保太田緑ロランス、青山勝、松金よね子花王おさむ、児玉貴志(THESHAMPOOHAT)、原口健太郎(劇団桟敷童子)、宮島健、川嶋由莉、新上貴美(演劇集団円)、井下宜久(劇団東京乾電池)、升田茂(劇団桟敷童子

 「怪談  牡丹燈籠」といえば歌舞伎としても上演されている古典ではあるけれど元来は三遊亭円朝の怪談噺。落語が原作である。すでに1892年には三世河竹新七の脚色により歌舞伎座で上演されており、以降、歌舞伎の人気演目としても知られている。近年の上演では1974年に大西信行氏が文学座のために書き下ろしたものが使われることが多く、新三郎、お露の悲恋に焦点を当てた脚色が上演の主流となってきたが、今回はより原作に忠実な戯曲をフジノサツコが書き下ろし、森新太郎が演出し群像劇として上演した。

 闇を最大のモチーフ(主題)にしたと演出の森が自ら強調するように多くのシーンがほぼ暗転したような暗い舞台で展開していくのが、今回の「怪談 牡丹灯籠」の大きな特徴。そのことと表裏一体なのだが、舞台中央に大きな暗幕のような布が吊されていて、それが芝居中絶え間なくとも思えるほどに回り続けているのも、今回の森演出の見せどころといえたかもしれない。

『Fill the groove』(KENTARO!!ソロ作品)@吉祥寺シアター

『Fill the groove』(KENTARO!!ソロ作品)@吉祥寺シアター

大人になってしまった全ての子供達に捧ぐ

新境地・リアリズムダンス・何もない

[出演] KENTARO!!

[音楽] 誰かの思い出(KENTARO!!×荒谷みつる)

[照明] しもだめぐみ [音響] 泉田雄太 [舞台監督] 熊木 進

[舞台美術] 杉山 至 [宣伝美術/WEB] Side mountain a.k.a.横山彰乃 

[宣伝映像] モッチャム a.k.a.高橋萌登 [記録映像] イリベシン

[制作]瀧本麻璃英、Crackersboat

東京ELECTROCKSTAIRS『アスモスノクラス』(ダンス作品)と『半永久的状況宇宙』(演劇作品)

[ダンス]東京ELECTROCKSTAIRS『アスモスノクラス』(ダンス作品)@吉祥寺シアターCommentsAdd Star

昨日から今日へ毎日にうんざりしながら

死んでしまった亡霊ひっそり呼び起こす

[出演] KENTARO!!、横山彰乃、高橋萌登、泊 舞々

山本しんじしんじ川口真知、吉田特別

[]東京ELECTROCKSTAIRS『半永久的状況宇宙』(演劇作品)@祥寺シアターCommentsAdd Star

これで最後になるかもしれない山脈

眺めて島を巡り真顔で泣いていた

[出演] 猪俣三四郎(ナイロン100℃) 、海津忠(青年団)

木引優子(青年団) 、熊川ふみ(範宙遊泳)

細谷貴宏(ばけもの) 、望月綾乃(ロロ)

(以上、五十音順

横山彰乃、高橋萌登、泊 舞々

(以上、東京ELECTROCK STAIRS)

第73夜「坂崎幸之助のももいろフォーク村ちょいデラックス」@CSフジテレビNEXT

第73夜「坂崎幸之助ももいろフォーク村ちょいデラックス」@CSフジテレビNEXT


セットリスト
(開演前:お台場フォークゲリラあり)
M1:古い日記 (夏菜子&和田アキ子和田アキ子)
M2:悲しい歌 (和田アキ子PIZZICATO FIVE)
M3:ゴリラパンチ (ももクロ和田アキ子ももクロ)
M4:タイガー&ドラゴン (杏果&和田アキ子クレイジーケンバンド)
M5:アイドルばかり聴かないで (ももクロNegiccoNegicco)
M6:Ring the Bell (ももたまい&Negiccoももたまい)
M7:夜更けのアモーレ (ももたまい/ももたまい)
M8:しあわせグラフィティ (ももたまい/リョウときりん)
M9:太陽とえくぼ (夏菜子&杏果/百田夏菜子)
M10:裸足の季節 (夏菜子&あーりん/松田聖子)
M11:ふたりの愛ランド (夏菜子&あーりん&村長/石川優子/チャゲ)
M12:しょこららいおん (いづみ&れにベース&しおりピアノ/高城れに)
M13:坂道 (れに&いづみ/加藤いづみ)
M14:Zero (れに&いづみ/加藤いづみ)
M15:紅 (Tochi&にゃんごすたー/XJAPAN)
M16:嵐を呼ぶ男 (杏果&にゃんごすたー/石原裕次郎)
M17:みかんのうた (ももクロ&村長&いづみ&ANCHANGSEX MACHINEGUNS)
Go!Go! GUITAR GIRLZ
M18:青空 (GUITAR GIRLZ&miwa&DMB男衆/THE BLUE HEARTS)
M19:don't cry anymore (しおりん&miwa/miwa)
M20:chAngE (あーりん&miwa/miwa)
M21:いつか君が (ももクロ&miwa/ももクロ)
M22:君に出会えたから (ももクロ&miwa/ももクロ)
M23:ワニとシャンプー (ももクロ&miwa/ももクロ)
M24:水の星へ愛をこめて (あーりん&森口博子森口博子)
M25:ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~ (れに&森口博子森口博子)
M26:to U (杏果&桐嶋ノドカBank Band)
M27:猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」 (ももクロ桐嶋ノドカももクロ)

燐光群「湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)」@下北沢ザ・スズナリ

2017年7月6日(木)〜19日(水)
東京都 ザ・スズナリ

作:深津篤史
演出:坂手洋二
出演:杉山英之、東谷英人、荻野貴継、橘麦、高野ゆらこ、武山尚史、山村秀勝、宗像祥子、田中結佳、和田光沙、高木愛香、中瀬良衣 ※出演者は一部回替わり

燐光群湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土日除ク)」観劇。初演の記憶は茫漠としかなく、何となくエロかったということしかなかった(笑)。坂出洋二の演出はクリアな感じでこれも震災劇だと腑に落ちた。とはいえ、深津特有の幻想感覚は生かされており魅惑的だった。他の作品の上演も見たい。

鳥公園♯14「すがれる」2012/2017(2回目)@こまばアゴラ劇場

作・演出:西尾佳織

2012年に北九州、大阪、横浜と都市を移動し、環境を脱ぎ替えながら、作品を少しずつ成長させるプロセスを踏んだ「すがれる」。本公演では、大阪バージョン再演と、横浜バージョンのリクリエイションとの2本同時上演を行います。


鳥公園
2007年7月結成。「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。生理的感覚やモノの質感をそのままに手渡す言葉と、空間の持つ必然性に寄り添い、「存在してしまっていること」にどこまでも付き合う演出が特徴。東京以外の土地での滞在制作も積極的に行っている。
出演 武井翔子、山崎皓司(FAIFAI)、八木光太郎(GERO)

スタッフ
舞台監督:浦本佳亮+至福団
舞台美術:中村友美
照明:中山奈美
音響:中村光
衣裳: 藤谷香子(FAIFAI)
演出助手:長谷川皓大(富士フルモールド劇場)
宣伝美術:鈴木哲生
制作:合同会社syuz’gen

 2度目の観劇。最初の観劇では見逃していたことをいくつか発見、意義深い観劇体験となった。山崎皓司演じる男が小説家、室生犀星を想起させ、それはこの舞台の主題である「老い」「死」のイメージにつらなっていく。それと対比されるように武井翔子演じる女(母、編集者、金魚)が登場するがそれはそれぞれ別の役柄でありながら、イメージ上は通底し合っている。いわば三位一体のようなところがあり、しかも男の「死」「老い」に対し、「性」と「生」を象徴する存在なのだ。この対比の構図はある意味、非常に分かりやすい。
 ただ、この舞台には室生犀星のテキスト以外のいろんな要素も入り込んでおり、それらの中には意味が取りやすいものもあればそうでない部分もある。最初の観劇では室生犀星から引用部分に注目しながら、物語の解釈をしていくような見方をしていたが、この日もう1度見直してみるとそれだけではない部分に目がいった。冒頭ではいきなり陸上で発見された動物の骨のことが男によって語られて物語ははじまる。その後、それを女が受け、以前は猛獣(ライオン)だったという例え話なのかなにか受け取りにくい話になり、場面はそのまま老人を演じる女(武井翔子)とその孫らしい男(山崎皓司)との会話に変貌していくのだ。この時点ですでに武井は老女ではなく、老人の男を演じており、この舞台において演じられる役柄と演じる俳優の間には対応関係がない時もあるということが示される。

鳥公園♯14「すがれる」2012/2017@こまばアゴラ劇場

作・演出:西尾佳織

2012年に北九州、大阪、横浜と都市を移動し、環境を脱ぎ替えながら、作品を少しずつ成長させるプロセスを踏んだ「すがれる」。本公演では、大阪バージョン再演と、横浜バージョンのリクリエイションとの2本同時上演を行います。


鳥公園
2007年7月結成。「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。生理的感覚やモノの質感をそのままに手渡す言葉と、空間の持つ必然性に寄り添い、「存在してしまっていること」にどこまでも付き合う演出が特徴。東京以外の土地での滞在制作も積極的に行っている。
出演 武井翔子、山崎皓司(FAIFAI)、八木光太郎(GERO)
スタッフ
舞台監督=浦本佳亮+至福団、舞台美術=中村友美、照明=中山奈美、音響=中村光彩、衣裳=藤谷香子(FAIFAI)
演出助手=長谷川皓大(富士フルモールド劇場)、宣伝美術=鈴木哲生
制作協力=​中山佐代(京都公演)、制作=合同会社syuz'gen
​助 成=日本芸術文化振興基金、公益財団法人セゾン文化財団、公益財団法人全国税理士共栄会文化財
提 携=こまばアゴラ劇場(東京公演)
共 催=アトリエ劇研(京都公演)
協 力=FAIFAI、GERO、舞台芸術工房六尺堂、富士フルモールド劇場、シバイエンジン
製作・主催=鳥公園

鳥公園の作品には余白が多い。この舞台でも室生犀星の小説などから引用された「死」や「老い」にまつわる複数のテキスト(老作家と金魚との会話で構成された「蜜のあはれ」、凄絶なガン闘病記「われはうたえどもやぶれかぶれ」、「蜜のあわれ」出版時の犀星自身と栃折久美子氏の装丁のことを題材にした「火の魚」)が舞台上で引用され上演されるが、それは厳密な意味でひとつのテキストに収斂されるということはない。舞台上ではそれぞれの物語はゆるやかに漂いながら響き合っている。


 室生犀星の小説が原作ではあるが、実はこの物語は2010年にNHKドラマ「火の魚」、昨年(2016年)に映画「蜜のあはれ」として映像化されている。「すがれる」には老作家の担当女性編集者が出てきて作家から金魚の魚拓をとって、小説の表紙の装丁デザインにするように依頼されるのだが、この部分が書かれているのが「火の魚」。NHKによるドラマは尾野真千子が若い女性編集者役、原田芳雄が老作家役を演じ、国内外の数多くの賞も受賞したのだが、この舞台を見てどこか既視感を感じたのは以前にこのドラマを見ていたからだったようだ。

すが・れる【▽尽れる/▽末枯れる】 の意味

出典:デジタル大辞泉

[動ラ下一][文]すが・る[ラ下二]

1 草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる。
「梅が散って、桃が―・れて」〈風葉・恋ざめ〉

2 人の盛りが過ぎて衰えはじめる。
「自然 (じねん) と―・れて来る気の毒な女房の姿は」〈漱石・道草〉

3 物が古びる。
「―・れたる綿繻子の帯の間より」〈露伴・いさなとり〉

4 香が燃えつきる。
「―・れたれども名香とおぼしき空炷 (そらだき) に」〈読・逢州執着譚・五〉

 「すがれる」というのは耳慣れない言葉だが、辞書で調べてみると 「1 草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる。」が転じて「2 人の盛りが過ぎて衰えはじめる」の意。先に書いたように老境に入った作家を描くことで「老い」やその先に来る「死」をモチーフとしていることは間違いないだろう。個人的な体験を書くのはどうかとは思うが、50歳をとっくに過ぎ、60歳を目前に控える年齢になるといろんな意味で「老い」を実感せざるをえないし、身につまされるようなことも多くて人ごとではない。
 前回公演の「ヨブ呼んでるよ」の観劇後の感想*1で鳥公園(=西尾佳織)の芝居の叙述の特徴を「通常は例えば小説の記述における地の文のようなものがあり、それが劇の中で何が語られているかの手掛かりになることで全体としての構造がつかめてくるのだが、劇描写の中にはそういう地の文のようなものがない。あるいはあるとしてもすごく分かりにくい形でしか存在していない。ネット上の感想などをみると「分かりにくい」というものが多いが、ひとつはそうした特徴にあるのではないか」と書いたが、この「すがれる」では手掛かりとなる描写の核がいずれも小説のテキストを元にしているものであるため、私にとっては「ヨブ呼んでるよ」のような根源的な理解不可能性を感じさせるものではなく、この人の作品としてはすごく分かりやすい。
 とはいえ、ことテキストという限りにおいてはおそらく「すがれる」の初演は2012年だから初演時にすでに室生犀星の原作小説「火の魚」だけではなく、脚色したドラマもイメージとして参照していたのではないかと思われる節*2があること。その後、昨年今度は二階堂ふみ主演の映画「蜜のあわれ」が公開されるわけだが、映画は私は見逃していてこれが演出家にとっての直接的な参照項になっているかどうかは不明だが、この時期にこの作品が再演されたことと映画の公開はまったくの無関係といえないのかもしれない*3 *4。 

*1:「ヨブ呼んでるよ」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20170319

*2:装丁家栃折久美子をモデルにしていた人物を編集者としていたのはドラマのオリジナルだったが、この舞台でも女は担当編集者として登場する。西尾によればドラマは存在は後で知ったが見ていない、編集者には私が変更したのでドラマとの一致は偶然とのことだった。

*3:少なくとも映画の公開を知らないで舞台を作っているとことは考えにくい。とりあえず未見の映画を何とかして見てみたいと思った。

*4:西尾によれば映画も見ていないということだった。