下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

悪い芝居「純白」@悪いけど芝居させてくだ祭・浅草九劇 

悪い芝居「純白」@悪いけど芝居させてくだ祭・浅草九劇

『純白』
【作・演出】山崎彬
【出演】
中西柚貴 岡田太郎 松尾佑一郎 長南洸生 植田順平 野村麻衣 佐藤かりん 渡邊りょう

悪いけど芝居させてくだ祭・浅草九劇
【作品】
・山崎彬 作・演出
 『純白』 『神様それではひどいなり』 『マボロシ兄妹』

・渡邊りょう 作・演出
 『それはそれとした』

東直輝 作・演出
 『夢を見た後見てる夢』

【劇場】浅草九劇

悪い芝居「純白」@浅草九劇観劇。劇団員による作演出作品含め5作品一挙上演のスタートは山崎彬の完全新作だった。むくつけき男どもが女子高生を演じるのでついつい笑ってしまうのだが、見終わると意外に悪い芝居らしからぬストレートな恋愛劇。なぜだかせつない気分にさせてくれるのが不思議だ。

有安杏果「色えんぴつ」の映像作家は外山光男

有安杏果「色えんぴつ」の映像作家は外山光男

有安杏果がソロコン「ココロノセンリツvol.1」で披露した新曲「色えんぴつ」の曲中で流れたアニメーション映像の作家が外山光男という人だと判明。新アルバムのMVとしても採用されると思われる。


www.youtube.com

珈琲の晩 [DVD]

珈琲の晩 [DVD]

有安杏果の1stアルバム「ココロノオト」詳細発表♪

有安杏果の1stアルバム「ココロノオト」詳細発表♪

杏果の性格から言えば予想はされていたことではあったが、ソロコン以降に発表された、これまでのソロ曲が全曲収録された。
ソロコンのライブ音源が公開されるのも楽しみだ。Line Liveでは逆再生メドレーも公開された。
まだ、聞いてない人は必見だ。

https://live.line.me/channels/89/broadcast/5060135

ココロノオト【初回限定盤A】

ココロノオト【初回限定盤A】

ココロノオト【初回限定盤B】

ココロノオト【初回限定盤B】

Q「妖精の問題」@こまばアゴラ劇場

Q「妖精の問題」@こまばアゴラ劇場

Q「妖精の問題」


作・演出:市原佐都子
出演 竹中香子
スタッフ

舞台監督:岩谷ちなつ
舞台美術:中村友美
照明:川島玲子
音楽:額田大志
ドラマトゥルク:横堀応彦
宣伝美術:佐藤瑞季
制作:大吉紗央里
制作補佐:杉浦一基


市原佐都子が劇作・演出を担う。2011年より始動。その後コンスタントに公演を重ね、芸劇eyes番外編God save the Queen、F/T13公募プログラムに選出されるなど注目を集める。作品にはよく動物や食べ物が登場する。ニンゲンの世の中の「形」に飼い馴らされきれない、そこからはみ出している、無理している存在が気になっている。

 中編が3本の3部構成。「妖精」というのは「そこにいるけど目にみえないもの」。つまりこの社会から差別され排除されているものの象徴で、話自体は全く無関係で表現スタイルも大きく異なる3つの短編が連続して上演されることで、このモチーフがつながり、多層的に展開される仕掛けとなっている。
最初のブスは落語仕立てという演出だ。「ぶす」と言えば「附子」と表記して狂言の演目でもあり、古典落語にそれを映した演目でもあるのかなと思ったが、どうやらそういうわけではなさそうで、竹中香子の語り口もそれほど落語っぽいというわけではなく、落語のパロディーだとしたら微妙。単純に容姿が不細工という意味でのブスで、田舎の学校で「ブス」な2人が卒業後どうしたらいいのかと話しているところから始まる。
 そして途中で「美人」というのは平均的ということで、平均からはずれたものたち(ブス、老人、障害者ら)が社会から排除されて社会が均質化することで、一般の人たちが安心して暮らせる世界が生まれるといい、そうした異物を排除していくような近未来の姿が描かれていく。ここでひとつ気になったのは竹中香子が「ブス」を演じる際に顔を意図的にゆがめたり、セリフをなめらかなものではなく吃音を交えたりして、記号的に障害者を思わせるものを混ぜ込んでいることで、ここでは構造的に社会から排除されるものとしてブス=障害者を等価なものとして提示しようとしたともとれるが、障害者に対する揶揄的な表現ともとれるようなところもありあまり愉快でないものを見せられている印象があった。さらに作者は自分でものが食べられないような老人は社会的に排除すべきであると論じる架空の政党の政見放送などの映像を流しながら、それが作者自身の主張ではないことは明らかだとしても世の中が確実にそちらの方向に向かって行っており、そういう世界が来るんだということを芝居は描き出していく。
 ただ、ここで作者はそういうものを不快に思うという生理そのものが構造的な差別を内部に孕んでいる社会の刷り込みなのだということを主張したいのだと解釈することも出来るわけで、そこのところを考えさせられた。
 一方、「ゴキブリ」はゴキブリに悩まされる夫婦とゴキブリとの戦いの顛末をミュージカル仕立てで描き出していく。舞台自体は笑える場面も多くて楽しめるのだが、ことゴキブリがモチーフとなると1本目の芝居で扱った社会的被差別者とは比べものにならないほど共存をイメージするのは困難だ。私の家庭ではいわゆる諱(いみな)だが、これはその名前を呼ぶことさえも忌まわしい存在として「G(ジー)」と呼称されている。妻はことのほかこれを忌み嫌っているので、大阪時代に住んでいたマンションでは非常に小型のGが1匹発見されただけで仕事から家に帰ってみると妻が「実家に帰る」と泣き叫んでいて、結局バルサンどころか業者に頼み込んで駆除してもらった揚げ句に最後はその存在自体がGの存在を連想させるということからゴキブリが完全に駆除された後は駆除業者までを忌まわしいものとして忌諱始めたほどだった。多分、この芝居に妻を間違って連れてきていたら、そういうものが出てくる芝居に連れてきたというだけで死刑宣告されるところなのだ。私自身はそこまで忌諱をしていないのでゴキブリが1匹2匹出てきた時にそれをティッシュとかでつまんで処理することはできるが、長年そういう相方と暮らしているとやはり根本的にGを受け入れることはできないのだ。
最後の「マングルト」は女性の膣でヨーグルトを発酵させるという健康食品(健康法)を推奨する会のPR活動を芝居に仕立てたものだがこれも生理的に嫌な感覚が残るのはなぜだろう。全体的な仕掛けがサンプルの「ブリッジ」と似ているのだが、どちらもそこで出てくる健康法(?)を自分で試そうと言う気にはならないが、サンプルの舞台で展開されていることにはこの「マングルト」ほどの生理的な嫌悪感は感じなかった。今回の3本の芝居を通しての主張としては社会からの排除につながるような嫌悪感はそれ自体偏見であり、「寛容なる世界」を作っていくためにはそういう生理的な嫌悪感を克服していくことが大切であるというようなことを訴えているとは思うのだが、この芝居自体の醸し出す生理的な不快感がリアルにそれを裏切っている。これはどういうことなんだろうと考えざるをえないのだ。

『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第76夜「ももいろフォーク村3周年」@フジテレビNEXT

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第76夜「ももいろフォーク村3周年」@フジテレビNEXT

3年でももクロがメンバー全員ここまで歌えるようになっていることを証明してくれた回。こういうのをもっとファンの人以外にも知ってもらいたい。
5人のアンサンブルでピアノだけの演奏で披露した「サラバ~」、サックスだけの「労働讃歌」、アカペラの「オレンジノート」はすべて素晴らしくて永久保存版的な出来映えだった。
新曲を立て続けにアコースティックなアンサンブルとともに歌った冒頭部分もこの番組ならではの魅力でダウンタウンももクロバンドの高い技術があればゆえの離れ業だが、それに危なげなく対応できているももクロのメンバーも凄いと思う。現在の音楽番組では関ジャニ∞がメインを務める関ジャムがベストと考えているのだが、今回の放送を見ていると当初のももクロがいろんなことに挑戦させられる番組というのを越え、関ジャムの域に近づいていると思った。
今回感動したのは杏果の「大きな玉ねぎの下」(爆風スランプ)。男性のサンプラザ中野がオリジナルということもあるけれどそれとはだいぶ趣が異なり、杏果ならのオリジナリティに溢れた歌唱だった。自分のアルバムを出して目標を達成した後でいいから、杏果にはぜひカバーアルバムを出してほしい。
なんとなくそういう気もしていたけど
あーりんも以前のようにパワーで押しまくるだけではなく、繊細な表現も出来るようになったと感心させられた。「浮気なハンバーガーボーイ」も音源ではいまいちピンと来なかったけどいい歌だな。

・セットリスト
M01:Yum-Yum! (ももクロももクロ)
M02:BLAST! (ももクロももクロ)
M03:何時だって挑戦者 (ももクロももクロ)
M04:サラバ、愛しき悲しみたちよ (ももクロももクロ)
M05:Hanabi (ももクロももクロ)
M06:労働讃歌 (ももクロももクロ)
M07:オレンジノート (ももクロももクロ)
M08:My Hamburger Boy(浮気なハンバーガーボーイ) (あーりん/佐々木彩夏)
M09:愛は勝つ (夏菜子/KAN)
M10:ファイト (しおりん/中島みゆき)
M11:年下の男の子 (あーりん/キャンディーズ)
M12:君のバンド (れにちゃん/コレサワ)
M13:大きな玉ねぎの下で (杏果/爆風スランプ)
M14:元気です (DMB/吉田 拓郎)
Go!Go! GUITAR GIRLZ
M15:赤とんぼ (GUITAR GIRLZ/三木 露風・山田耕筰)
M16:AKIRA (村長&GUITAR GIRLZ/吉田拓郎)
M17:キミノアト (へいへい&いづみさん&ももクロももクロ)
M18:青春賦 (村長&ももクロももクロ)
M19:白金の夜明け

『黒フェス2017〜白黒歌合戦〜』@東京・豊洲PIT

『黒フェス2017〜白黒歌合戦〜』@東京・豊洲PIT

<出演>
松崎しげるサンボマスター、祭nine.、宮前杏実(ex.SKE48)、ミラクルひかるももいろクローバーZ八代亜紀、吉田山田、高橋洋子、TEE、T.M.Revolution(シークレットゲスト)
オープニングアクト
MILLEA
■応援
三遊亭円楽国広富之(トミー)

<飲食ブース>
日本橋たいめいけん
お茶の水大勝軒
ビィズ・ショコラ

黒フェスは「黒(96)」がトレードマークの松崎しげるにより開催されているフェスで今回が3回目。ももクロはこれまでも氣志團万博氣志團)、イナズマロックフェス(T・M・レボリューション)、若大将フェス(加山雄三)、高校生ボランティア・アワードチャリティコンサート(さだまさし)、VAMPS主宰「HALLOWEEN PARTY」などと日頃お世話になった人たちの主催フェスには毎年恒例事業として積極的に参加してきた。この黒フェスもそのひとつとなっている。
 規模の割に出演者が多いせいもあり、今回は1組3曲程度の披露にとどまっているのだが、ももクロだけが何と最大の6曲(プラス後でコラボ再登場)とモノノフにサービスしすぎじゃないかという特別扱い。前方のスタンディングエリアは最後列でもステージまで近くて無理に圧縮の中に突入していかなくてもメンバーの顔がはっきり見える。セットリストも「行くぜっ!怪盗少女」「走れ」などいわゆる「ももクロらしい」という楽曲を入れないでダンス、歌をソリッドに仕上げてファン以外にも「いまのももクロ」を見せつけた感があった。特に杏果、佐々木彩夏(あーりん)はどちらもそれぞれのソロ公演も終えた現在の充実ぶりを感じさせた。
名前は知ってたけれど生で見たことはなかったサンボマスターがよかった。3ピースのシンプルそのものなスタイルで絶叫で愛と平和について歌う。まさに時代遅れで、笑ってしまうんだけれど彼らの煽りに少し泣けてきた。
 高橋洋子はももいろフォーク村の「GIRLS FORKTORY」で紫しぶきと一緒に「残酷な天使のテーゼ」を歌ったが、この日はさらに「哀しみのルフラン」とエヴァのインスト曲に歌詞をつけた新曲の3曲。特に新曲の歌唱はオペラ調のところもあり凄いのひとこと。一緒に歌うとなると杏果、ぁぃぁぃでも無理そうだがフォーク村でもまた聞きたい。
 祭nineという男性アイドルも出ていて、見たことないのでスタダ勢でもジャニーズでもなさそうだし、いったいどこのグループと思ったが、名古屋に拠点を置くBOYS AND MENの弟分だったようだ。見たところアクロバット要素をふんだんに入れたノリの曲、メジャーデビュー曲が初登場週間2位、和をテーマにしているなどどこかのグループのメジャーデビュー時を彷彿とさせ親近感を持った。
応援ゲストには往年の人気刑事ドラマで名コンビを組んだ国広富之が登場。何年ぶりか分からないほどひさしぶりのデュオを披露。最後には本当の意味でのシークレットゲストとしてT.M.Revolutionが現れ、おそらく声量日本一のデュオにより「愛のメモリー」を歌った貴重な瞬間も目撃できた。ももクロ松崎しげるによる「見上げてごらん夜の星を」も聞いたが、しげるの声が大きすぎてももクロの声はほとんど聞こえなかった(笑)。

・セットリスト
overture
M1:WE ARE BORN
M2:境界のペンデュラム
M3:5 The POWER
M4:D’の純情
Survival of the Fittest -interlude-
M5:BLAST!
M6:ツヨクツヨク
松崎しげるさんとコラボ:見上げてごらん夜の星を

マンガワールド「堂々とアイドル推してもいいですか?」小城徹也@東京カルチャーカルチャー

マンガワールド「堂々とアイドル推してもいいですか?」小城徹也@東京カルチャーカルチャー

【場所】渋谷・東京カルチャーカルチャー
【出演者】小城徹也先生、WiLL、はっぴっぴ(夏海うららさんは都合により欠席となります)、
ふたりオポジット(凪原明季、本間美咲)、ロッカジャポニカ内藤るなは欠席となります)
【司会】IKKAN、みなみゆめ、ももたにかな

 マンガワールドはもともとは漫画家を招いてマンガについてトークしてもらうイベントだったが、最近はももクロをモデルにした「ももプロ」などをファンクラブサイト(AE)に連載している小城徹也を中心に所十三小島和宏らがももクロについてトークするモノノフ御用達のようなイベントだった。ただ、今回は小城徹也の新作「堂々とアイドル推してもいいですか?」の発刊の機会をつかまえて、ももクロ以外のアイドルも参加してミニライブとトークを行うイベントになった。
 イベントは途中休憩を挟んで2部構成。最初のパートにはスターダストプロモーションももクロ後輩グループであるロッカジャポニカ内藤るなは欠席)が登場。
後半はWill、

青年団リンク ホエイ「小竹物語」@アトリエ春風舎(3回目)

青年団リンク ホエイ「小竹物語」@アトリエ春風舎(3回目)

「恐怖」をエンターテイメントにする怪談師たち。
「恐怖」を快感とするオーディエンス。
今日は怪談イベントのネット中継の日。


本公演は、怪談イベントをネット中継する人たちの話です。
本編中に行われる怪談イベントを実際にネット中継(ライブ配信)します。遠方にお住まいで劇場まで足をお運び頂けない方もお楽しみいただければ幸いです。
配信アドレスは@にて公開いたします。
なお、怪談イベントは上演の一部ですので、上演全編を中継するわけではありません。あらかじめご了承ください。



作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)

出演:河村竜也(ホエイ|青年団) 菊池佳南(青年団|うさぎストライプ) 永山由里恵(青年団
斉藤祐一(文学座) 成田沙織 和田華子 山田百次(ホエイ|劇団野の上)

プロデュース・宣伝美術:河村竜也 制作:赤刎千久子 照明協力:井坂浩 演出助手:楠本楓心

冒頭で河村竜也が演じる高橋*1が「私はもうすぐあちらの世界(と舞台方向を指す)に行ってしまいますが、またこちらの世界に戻ってくるかもしれません。その時はどうぞよろしく」みたいなことを客席の中央部分に設けられたネット配信の中継ブースの中から客席に向かって話しかける。最初にこの作品を見た時にはただの前説だと思ってうっかりしてその重要さを見落としていたが、実はこの部分が非常に重要だ。3回舞台を見終わった上で、この舞台のことを反芻していて初めてそのことに気がついた。
 青年団リンク ホエイの「小竹物語」の主題は様々な意味で通常交わることがない「あちらの世界」と「こちらの世界」を対比させ、その境界を揺さぶろうということじゃないかと思う。この場合、「あちら」というのはまず舞台であり、「こちら」は客席である。舞台とは役者たちが演じている作品の劇世界であり、それが客席側の現実と対比される。
この「小竹物語」では劇場(アトリエ春風舎)があるスペースから怪談イベント「小竹物語」をネット配信しようとしている怪談師たちが描かれていて、劇中のイベントで語られるという呈で観客である私たちは「怪談」を聞くことになる。ところで本当に怪談イベントに参加して怪談を聞いている人であれば目的はあくまで「怪談」であり、さらに言えばそこで語られる怖い話が目的だ。そこで語られる「怪談」にはいろんなタイプの話があるが、多くの場合、この世にありえないような種類の怪異が語られる、ということになる。
実際の怪談イベントでも「怪談」(あちら)とそれを語る「怪談師」(こちら)というあちら/こちらの二重構造があるが、「小竹物語」では「怪談語り」もそれを語る怪談師もともに俳優が演劇の一部として演じていて、観客である我々はそれを舞台の外側から俯瞰してみる構造になる。あるいは劇中では「死んでいる」(あちら)と「生きている」(こちら)という2つの状態も対比している。劇中で高橋は量子理論などを引用しながら、「生」と「死」はどちらも量子の振動の状態であり、それは別々のものではなく、つながっていると語るのだが、それがこの劇の後半に起こる大きなパラダイムシフトの伏線となっている。
 「怪談」語りの部分で山田はそれぞれの語りと並行して怪談師たちの間に流れる何か不穏な空気感を提示していく。このように会話の端々に表れるちょっとしたトーンなどから隠れた関係性を提示していく手法は平田オリザに代表される「関係性の演劇」そのものだが、ネット中継が終わるとそれまで垣間見えるだけだったのが、山本ふみか(ふーみん)が中継の最後で突然、西園寺への当てつけのように怪談アイドル卒業宣言をしてしまうなど2人の間に引き起こされる決定的な対立が全面的に露呈していく。
 2人の対立はやや強引な展開ではあるが、目玉焼きにどんな調味料をかけるかということで、ふーみんがかけてくれと頼む前に西園寺が醤油を勝手にかけてしまうのはおかしいと糾弾したのに対し、西園寺は「醤油以外に何をかける。目玉焼きに醤油は常識だ」と主張して他のメンバーの同意を求める。ここからしばらく、西園寺とふみか(ふーみん)の「目玉焼きに醤油は常識かどうか」についての動員合戦がはじまり、一度は企画主催者の西園寺への忖度から皆が「醤油」と答えるものの、周囲の空気を全く読まない(読めない)青森県の佐々木ソメがトイレからも砂糖と答えたことをきっかけにそれぞれがかけているのが本当は実は塩こしょうであったり、酢であることが明らかになり、西園寺はあっという間に少数派に転落、ふみかの「かならずしも目玉焼きにかけるのは醤油とは限らない」という主張が説得力を持つ見解として復活する。 
 

*1:あるいはこの時点ではまだ前説を行っている青年団リンクホエイプロデューサー、河村竜也が、なのかもしれない

ジエン社と「蒼いものか」(東京ELECTROCK STAIRS)

The end of company ジエン社実験公演『いつか私たちきっとそこきっとそこで、そこに』@アーツ千代田3331

出演
片瀬宇海 北村美岬 木村梨恵子 高橋ルネ 坊薗初菜 洪潤梨 由かほる

スタッフ
舞台監督 吉成生子
音響 田中亮大
照明 みなみあかり(ACoRD)
衣装 正金彩
総務 吉田麻美
写真 刑部準也
演出助手 黒澤多生 篠原加奈子
制作 水野綾
協力 ECHOES
主催 The end of company ジエン社
助成 公益財団法人 セゾン文化財

ジエン社は以前から気にはなっていたが、実際に作品を見るのはこれが初めてだ。舞台を見に来た理由は今回の作品が「アイドル」を主題(モチーフ)にしているということがあり、その取材のためとして作者が実際のアイドル現場を取材しに行っていたというから「アイドル的な何か」を舞台で表現してくれることを期待していたのだが、実際の舞台からはそれをあまり感じられなかったのが残念だった。
 作品を見た時にはなぜそうなのかが判然としなくてもやもやしたものがあったのだが、少し時間がたって分かってきたことがある。それは私にとってアイドルというのはそのパフォーマンスの魅力そのものであってそれ以外の何ものでもなくて、ジエン社のスタイルからして部分的にでもそれを再現するのは困難であった(あるいは不必要と判断したのかもしれない)のかもしれないけれどライブの始まる前の控室での会話などは舞台で繰り返し表現されたが、ライブは舞台の中にはなかったし、「推す側」がそこに何を求めているのかがこの舞台からは伝わってこなかったのだ。
 こんなことを感じたのは私が握手会などライブ以外の活動をほとんどやらないももいろクローバーZ(ももクロ)のファン(モノノフ)であることも関係しているかもしれない。ただ、実はこの公演に興味を持ったのは実は作者が取材していたのが、Their/They’re/There(ゼアゼア)というグループおよびそのオタクたちだったことがある。
 というのはゼアゼアは見たことがないのだが、その前進である「BELLRING少女ハート」(ベルハー)のライブは何度か実際に見たことがあり、ベルハーとしての最後の大箱ライブとなった赤坂ブリッツにも参加。そのある種陶酔感のあるパフォーマンスに惹かれるものを感じていたからだ。そういうこともあって逆にその後、ゼアゼアゼアのライブを見に行くことには何となく躊躇していたのだが、twitterなどでの作者の山本氏のつぶやきなどから判断した限りではゼアゼアゼアも似たような魅力を持つアイドルなのかもしれないと感じて、それをどのように舞台で再現するのかを少しだけ期待してきた。
 もちろんジエン社は会話劇の劇団であるから、こういうのは「木によりて魚を求む」ということは重々分かってはいる。この作品ではアイドルをかぐや姫、鶴(鶴の恩返しの鶴)、桃太郎などおとぎ話の登場キャラにも準えており、どうも寓話(ぐうわ)的でアイドルとしてのリアリティーを感じないのはそのためかとも感じたのだが、それだけでもなかったみたいだ。ただ、取材との関係において考えてみるとモデルとなったベルハーとゼアゼアと作中人物を比べて考えた時に月に帰ってしまった「かぐや姫」(ベルハー)へのどうしても消せない思いを「鶴」(ゼアゼア)に託して推し続けてはいるものの、どうしてもそのことが推される側も推す側も感じてしまっていて、どちらもやるせなくなってしまうというところは取材で感じたことがそのまま反映されているのかもしれない。
 ただ、考えてみればアイドルというのは宿命的に「いなくなる」ものなのだ。それは例に出すのはあまりのも悲しいけれど夭折してしまった私立恵比寿中学松野莉奈(通称:りななん)のようなこともあるし、そうじゃなくてアイドルは卒業して女優として活躍している場合もあるけれど、女優としてのその人に会えたり応援し続けることもあるけど、それはもうアイドルを推すということとは決定的に違うんだ、ということを作者は当日パンフに書いていて、それはすごく納得できるところがある。
 そういう点では現在私が応援しているももいろクローバーZは、卒業や脱退は早見あかり以外はもう二度とないだろうと信じられている稀有なグループで、つまり、結婚しても出産してもグループは継続するが、誰かひとりでも抜けた時には解散するだろうということをファンの多くが信じている。それゆえ、この舞台のアイドルのリアリティーを共有できないことには「ここにいる」「いなくなる」のリアリティーを共有してないももクロのファンだということも関係しているのかもしれない。
 ただ、唯一、リアルに痛みを感じたことがあった、チェキの写真をおばあさんに切り裂かれた最後の場面だ。ももクロにチェキはないが推しタオルが腹を立てた妻により自分の留守中に切り裂かれていた時の恐怖はあまりにもリアルであの場面はその時に冷や汗の出る嫌な感じを思い出させた。

「蒼いものかvol.4」(東京ELECTROCK STAIRSプロデュース)@桜台 pool

pickles
泊舞々
TABATHA
(休憩)
高橋萌
横山彰乃(ダンス)+フジワラサトシ(音楽)

東京ELECTROCK STAIRSメンバーの泊舞々、高橋萌登、横山彰乃がそれぞれのソロ作品を披露。KENTARO!!の3作品を連続上演した吉祥寺シアターでの本公演に続き、最近の同カンパニーの充実ぶりをうかがわせるダンスショーケース公演だった。

ニブロール「イマジネーション・レコード」@KAAT

ニブロール「イマジネーション・レコード」@KAAT

振付・演出:矢内原美邦
映像:高橋啓
音楽:SKANK/スカンク
衣装デザイン:田中洋介

【出演】
浅沼 圭
石垣文子
大熊聡美
中西良介
藤村 昇太郎
皆戸麻衣
村岡哲至


『イマジネーション・レコード』
私たちはなにもかも留めておきたくて簡単にシャッターを切っては、どうでもいいことを記録する。
でもそこに私たちが探している本当の風景はあるのだろうか?
記録した風景は何十億にも重なり、やがては曖昧なただの残像になっていくだろう。
失われた時間をつなぎとめてくれるのは私たちのイマジネーションだけかもしれない。
そこには、楽しいことも悲しいことも理性も暴力も現実も、またその逆もある。理想では描ききれない明確な線がある。
私たちは、いま目のまえにある風景をレコードしなければと思う。このなんでもない日々を。いまそこを流れていく時間を。
そして、記録しても記録しても消えてしまうものについて考えなければと思う。
手を伸ばしても届かない時間について。距離について。風景について。

ニブロールnibroll)の結成20年の記念講演の意味合いもある作品だということもあってか、いろんな意味でニブロールらしさに溢れた作品だったのではないだろうか。 1997年6月 「パルス」@ 中野スタジオあくとれ/東京 1998年10月『林ん家に行こう』@セッションハウスの旗揚げ後、初期2作品は見ていないので最初にニブロールを観劇したのは1999年に渋谷のギャラリーで見た「東京第一市営プール」だ。その時に普通のダンス作品のように音楽に合わせて踊ったりすることがないので、どういうことなんだろうと思い見ていたが、どんなカンパニーなのかはまだそんなに分かってはいなかった。
ニブロールの表現の方向性がはっきり感じ取れたのは「駐車禁止」からの数作品。それは社会に露呈してきたある種の暴力性で、それは文学における舞城王太郎の登場などと呼応する動きと感じさせた。
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