下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

範宙遊泳「もうはなしたくない」@​早稲田小劇場どらま館

範宙遊泳「もうはなしたくない」@​早稲田小劇場どらま館

出演 熊川ふみ(範宙遊泳)
    島田桃子(ロロ)
    油井文寧
明日も明後日もあなたを抱く それでいい もうはなしたくない

2018年3月3日(土)〜11日(日)
​早稲田小劇場どらま館

海のないある地方都市にある「海の見える喫茶店」。ウェイトレスとしてここに勤める女性(油井文寧)は女2人の奇妙な修羅場を目撃したと10年前に経験した不思議な光景のことを語り始める。店に入ってきた女性2人組の客の若い方の女(島田桃子)が年上の女(熊川ふみ)の手の甲をフォークで突き刺したというのだ。
 昨年ベスト1に選んだ前作「その夜と友達」同様にこの10年前と現在が舞台上で変幻自在に交錯するが、大きく異なるのは「夜と~」ではそうした手法で過去に起こったある出来事が現在に影を落としていることが次第に浮かび上がってくるのに対して、「もうはなしたくない」では10年前の3人の女と現在、友達になってそのうちひとり(島田)の家にやってきた3人の女の関係が時空が違うから本来重なりあうことはないはずなのにいつの間にか重なり合ってきてしまい、途中からは登場人物が抱く妄想も舞台空間に混ざりこんできて、虚構と現実の差異がはっきりとはしない、渾然一体としたものになっていってしまう。

Baobab PRESENTS『DANCE×Scrum!!!』@東池袋あうるすぽっと

Baobab PRESENTS『DANCE×Scrum!!!』@東池袋あうるすぽっと

2018年3月9日(金曜)~11日(日曜)
○ディレクター:北尾亘(Baobab)
〇出演:中村蓉、岡本優(TABATHA)、五十嵐結也、
黒須育海(ブッシュマン)、北尾亘(Baobab) ほか

ステージプログラム
TABATHA、ブッシュマン(黒須育海)、五十嵐結也、中村蓉×北尾亘『あなたの足跡しか踏めない。』
ホワイエプログラム
箱入娘、Tonto、Dance Project Revo、米澤一平、中屋敷南『ドロップ』

高城れにソロコンサート「まるごとれにちゃん2018」LV@TOHOシネマズ六本木

高城れにソロコンサート「まるごとれにちゃん2018」LV@TOHOシネマズ六本木

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高城れにのソロコンサートは今回が最後ということに、いつの間にかなっているけれど、有安杏果が卒業してから歌における高城れにの重要性がいままで以上に増している中でももいろフォーク村と並んで彼女の成長促進剤の役割を果たしてきたソロコンをやめてしまう理由がよく分からない。ただ、確かに3月9日に日程を固定してしまうの年ごとに負担が増しているし、3900円という格安すぎるチケット代やソロ曲39円という配信の価格もれにちゃんのファン感謝祭ということでいままで続けてきたけれどこのままだと確実に赤字なので一度仕切り直しが必要なのかもしれない。

セットリスト
M01:シュガーソングとビターステップ (UNISON SQUARE GARDEN)
M02:Rolling star (YUI)
M03:あたしを彼女にしたいなら (コレサワ)
M04:愛唄 (GReeeeN)
M05:しょこららいおん (高城れに)
M06:たしかなこと (小田和正)
M07:3文字の宝物 (高城れに)
M08:恋は暴れ鬼太鼓 (高城れに)
M09:まるごとれにちゃん (高城れに)
M10:だいすき!!
M11:ラムのラブソング (松谷祐子)
M12:Yeah!めっちゃホリディ (松浦亜弥)
M13:スターダストセレナーデ 高城れにウクレレver. (ももクロ)
M14:Believe (ももクロ)
M15:千本桜 (黒うさP)
M16:世界は恋に落ちている (CHiCO with HoneyWorks)
M17:学園天国 (フィンガー5)
M18:青春フォトグラフ (Little Glee Monster)
M19:スターライトパレード (SEKAI NO OWARI)
M20:tomorrow (岡本真夜)
本編終了
アンコール
EN1:一緒に (高城れに)
EN2:tail wind (高城れに)
EN3:3月9日 (レミオロメン)

シラカン第5回公演『坦々とおこり』@北トピア

ラカン第5回公演『坦々とおこり』@北トピア

作・演出 西 岳
出演 青木幸也、徳倉マドカ、
岩田里都、中村里佳、
春木来智(以上シラカン)

同じ多摩美大出身なのでライバルなのかもと思って妖精大図鑑のことを聞いたがだいぶ先輩なのでということで世代が少し違うようだ。別に同じ大学だからといって無理やり共通点を探すのもおかしな話だが、劇団員がどうかは別にして美術スタッフを活動内部に取り込んでいて、その作家の作品の基調も作演出同様に劇団の色になっているということはあるのではないか。
実は快快がマルチメディアパフォーマンス的でスタイリッシュだったのに対し映像でしかまだ見ていないが、妖精大図鑑はかなり下手うま的なテーストを感じていたのだが、このシラカンにはさらに脱力的、あるいはへなへなな美術や演技のテイストを推し進めたようなところがある。世代が若くなればなるほどこうした遊戯的な感覚が増していくというのはもちろん偶然なのかもしれないが、ダンスでも若手の作品に似たような傾向を感じることがあったから、世代的な感覚の違いというのもなくはないのかもしれない。
「坦々とおこり」は家族が祖父の死をどのように受け入れるのかという意味で、死と家族と言う主題的には重くなるのが普通の事柄を扱ってはいるのだけれど、亡くなった祖父の存在をおでんのがんもどきで表現していたり、カナシミニストという変なコーディネーターのような人が出てきて祖父の霊を降ろしたりと表現のやりかたはかなり遊戯的でばかばかしさが溢れたものとなっている。

ジエン社『物の所有を学ぶ庭』 @北千住BUoY

ジエン社『物の所有を学ぶ庭』 @北千住BUoY

2018年2月28日(水)~3月11日(日)at BUoY

脚本・演出 山本健介

出演
伊神忠聡
上村聡(遊園地再生事業団
蒲池柚番
鶴田理紗(白昼夢)
寺内淳志
中野あき
湯口光穂(20歳の国)
善積元

会場: BUoY
2018年 2月28日(水)~3月11日(日)
長いあらすじ 

私達は彼らを「妖精さん」と呼んでいるのだけれど、それは正式名称ではなくて。

妖精さんはある時から、一人、また一人と、この世界に、この国に出現し始めた。今、この庭に仮住まいしている妖精さんは二体で、男女で、二人は兄妹らしい。詳しい事はよくわからない。でも、このまま妖精さんがこの街に住むのは、きっと難しいのではないかなと思う。
妖精さんは我々とコミュニケーションは取れるし、頭だっていい。きっと私たちの言っている事は伝わっている。意味としても言葉としても。でもそれでも、妖精さんたちは「所有」という事が、やっぱりわからないみたいで、万引きだったり、無断で人の物を持ち帰ってしまったり、冷蔵庫の中のおやつをパクパク食べたりしてしまう。
だから私は高校教師だった時の事を思い出しながら一つ一つ、まずは「所有」について、妖精さんたちに教えている。
「名前が書いてあれば」と男の妖精さんは言った。

「分かります。物に、名前がついているという事は、触ってはいけないという事が。なぜ触ってはいけないのかまでは、実はわかりません。すみません。でも、そういう文化なのだといわれたら、それは、そうか、私たちにとっては、聖域にある石と同じような存在なのでしょう。名前が書いてある物に関しては、わかりました、私たちは触らないようにします」

私は、触ってもいいんじゃないか、とは思った。名前が書いてある他人の持ち物に、触ることそのものが悪いのではない。他人の所有物を、尊重しないというか、尊重? 所有とは、尊重のことだろうか? たとえば今私が彼の着ている服を、同意なく脱がせて、奪い取って、持ち帰るのはおかしなことだ。いけない事だ。でも、彼の服に、からだに、私の手が触れる事、それは、そんなにいけない事なのだろうか。

「ハリツメさんには、名前が書かれていない場合の、“物の所有”の見分け方を教えてほしいのです。距離の要素が大きい事は、わかりました。手にしている、身につけている、というものほど、それは“所有”されているのだ、と。でも、時に手を離れて、距離が遠くなっているものも、“所有”されている、ということが、分かりません。物が身体から遠くなったら、それは所有ではないものではないのですか?」

そして妖精さんの彼は、私の体を触る。私は、嫌だ、と言わなくてはいけない。妖精さんは悪気なく、敬愛を込めて私の顔や、肩や、胸を触る。

「あなたには名前が書かれていない。あなたは、触ってはいけない、と言う。名前が書かれていないのに、触ってはいけないのは、なぜですか。」

触られながら私は、なぜだろう、なぜかしら、と考える。どう、教えたらいいだろう。
私の体は、私の物だという事。社会的には、もうあの人の物だという事。お嫁にもらわれた、ということ。もらわれた、という私は、物なのか。人ではないのか。人は、物なのか。あの人の物になって、他の誰にも触られてはいけない私が、いまこうして髪を触られている事は、どうしてよくない事なのか。私はそんな事、教えてもらわなかった。学んでこなかった。教えてほしい。知りたい、学びたい。私は教師だったのに、何でこんなにわからないんだろう。

スタッフ
音楽:しずくだうみ
舞台美術:泉真
舞台監督:吉成生子
照明:みなみあかり(ACoRD)
音響:田中亮大
衣装:正金彩
宣伝美術:岡崎龍夫(合同会社elegirl)
総務:吉田麻美
WEB:岡崎龍夫
写真:刑部準也
演出助手: 大塚健太郎(劇団あはひ)
制作:ジエン社、有上麻衣(青年団
協力:ECHOES、合同会社elegirl、シバイエンジン、遊園地再生事業団青年団、20歳の国、白昼夢、ACoRD、劇団あはひ
助成:公益財団法人 セゾン文化財
芸術文化振興基金

ジエン社「物の所有を学ぶ庭」@北千住BUoY観劇。最初に思い出したのは映画じゃなくてスタニスワフ・レムの小説「ソラリスの陽のもとに」。この作品はいろんな見方が出来るけれどSFと考えると所有という概念を持たないエイリアン(作中で妖精さんと呼ばれている)とのファーストコンタクトを描いている。
イキウメ「散歩する侵略者」との類似が指摘されているが、「概念を奪う」宇宙人の侵略を描いた「散歩~」 とはかなり違う。レムの作品を挙げたのはレムがこの主題によくある侵略や敵対とは違うコンタクトを描いているからだ。何らかの意識を持つと推察される惑星ソラリスの海を研究し、これとコミュニケーションをとろうと試みる研究者たちの行為がある意味徒労に終わるように、この作品でも妖精さんたちに所有の概念を教えようという教師たちの奮闘は無駄になり、逆に彼ら自身が所有という概念が本当に意味のあるものなのかどうかに懐疑を抱き出す。
 森には人びとは死にに来ると評されているが「資本論」を持ってきた人がいるということは教師たちとは別に危機感を感じて妖精さんと接触し、「所有の概念」について情報を交換したが相互理解という目的は果たせずに亡くなった人もいたのかもしれない。
 「所有」という概念が首尾一貫性を持たないことが妖精さんと教師との一連の会話により次第に明らかになってきたが、これはそれぞれ出自の違う概念が「所有」という言語表現によって束ねられているからではないかと芝居を見ている最中に考えた。
 例えばうちの猫には寝転ぶ時に好きな場所が何カ所かあって、寝ている最中にそこを「私の場所」と考えているふしがあり、そこで寝ているのを邪魔するとすごく怒って、その場所への侵害を許すまいと抵抗するが、これは人間の「所有」とは違うかもしれないがある種の「所有」とも言えるのではないか。しかし、考えてみると人間の持つ「私のもの」(所有)の概念にも動物なども共通して持っているもの、サルの時代に集団生活を通じて獲得したもの、人間が言語を習得して以降獲得されたものなどいろいろあるのではないか。
 特に動物などと共有している所有概念はおそらく動物の生存本能と密接なつながりがあるはずだ。妖精さんたちの脅威は一義的には彼らが放出する胞子のようなものに感染すると人間が死んでしまうことだ。この庭に来ているのは教師(つまり教えるというコミュニケーションの専門家)だが、おそらく胞子とかの科学的、医学的調査については他の場所にも研究者がおりやっているはずだ。
それゆえ、時間はかかっても何らかの解決策がいずれは見つかりそうだが、むしろ気になるのは「所有の概念」であろう。いまのところは人間側から教えようとして伝わらないという段階にとどまっているが、マルクスの「資本論」ではないが個人の所有をある程度放擲する共産主義の政策がうまくいかなかったことをもってしても、「所有の概念」は人類の生存本能と密接にむすびついた根源的な概念であるかもしれず、妖精さんという異質の存在と接触することによって、その存在理由が揺らぐようなことがもしあるのならば、それはいずれは人類の存亡に関わるような重要な因子(ファクター)になっていきかねないのかもしれないとの危機感を感じたからだ。
 妖精さんたちと呼ばれる生物がそれなしに生きていけるとすると相当に特殊な生存形態をとっているのではないか。多分、他我がないということは一見人間同様の個体に見えるが、すべての個体は何かでつながっていて、1つの全体の一部なのかもしれない。とは言え、ひとりの妖精さんが他の妖精さんのことがすべてわかるというわけでもないようだ。
 優れたSFにはアズイフ(As,if もしそうだったら)というたったひとつの現実とは異なる仮定を導入してみるとそこから芋蔓式にいろんなことが起こってくる*1ということがあるが、この作品にはそういう味わいがある。舞台でも続編を見てみたいが、スピンアウトとしてこの設定を共有する短編小説の連作なども読んでみたいと思った。 

*1:ボブ・ショウというSF作家の書いたスローガラスについての連作がある。スローガラスはそこに入った光をそこを通過するのに時間がかかるというガラス状の物質。この概念を知らしめたSF短編「去りにし日々の光」(Light of Other Days, 1966年)がもっともよく知られている。ショウはこの短編を『アナログ』誌の編集者ジョン・W・キャンベルに売り込み、大変気に入ったキャンベルにより、ショウは続編「物証の重み」(Burden of Proof, 1967年)を書くこととなる。元のストーリーは、数年の構想の後に、わずか4時間で書き上げられたものであった。   最初はこの物質は窓にはめてそこにはない風景を窓の内側に映すことなどに使われるが、細かく砕いて後から映像を取り出すことでプライバシー概念をまったく変えてしまうなど社会に不可逆の変化をもたらすことになる。ショウはこのコンセプトを膨らませ、長編『去りにし日々、今ひとたびの幻』(Other Days, Other Eyes, 1972年)にまとめた。whikipediaからの引用などを基にまとめた。

木ノ下歌舞伎「勧進帳」@横浜KAAT

木ノ下歌舞伎「勧進帳」@横浜KAAT

監修・補綴|木ノ下裕一
演出・美術|杉原邦生[KUNIO]
出演|リー5世, 坂口涼太郎, 高山のえみ, 岡野康弘, 亀島一徳, 重岡漠, 大柿友哉

上演時間|約80分[途中休憩なし]

 2018年3月1日[木]~2018年3月4日[日]
 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ


歌舞伎十八番の一つである『勧進帳』は、 上演頻度の高さからもその人気が伺える、 歌舞伎の代名詞的演目です。
木ノ下歌舞伎では2010年に杉原邦生[KUNIO]の演出・美術で初演した後、満を持して2016年に完全リクリエーション版として再上演。監修・補綴の木ノ下裕一がその成果に対して平成28年文化庁芸術祭新人賞を受賞するなど、高い評価を得ました。
一般的に「義経一行の関所越えを描いた忠義の物語」とされる勧進帳を、〈関所=境界線〉として読み解き、国境・現在と過去・主と従・観客と舞台…… といった現代社会を取り巻くあらゆる〈境界線〉が交錯する、 多層的なドラマへと再構築したキノカブ版『勧進帳』。

 木ノ下歌舞伎は同じ作品でも再演を繰り返す中で改作に改作を繰り返して、洗練の度合いを高めていく。「勧進帳」を見るのは一昨年の豊橋での上演以来で、その時とはほぼ演出、キャストともに大きな改変はないのかもしれないが、主題である義経と弁慶の主従の思い、富樫と弁慶の間にあるある種の共感、それがすべて安宅関というこの場で一瞬の交錯をして、またそれぞれの運命へと別れさって行く。このせつなさが木ノ下歌舞伎版の「勧進帳」ならではの魅力であろう。
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8年前京都アトリエ劇研での初演時のレビューsimokitazawa.hatenablog.com

「幕が上がる」プロジェクトの終着駅 青年団第78回公演『銀河鉄道の夜』@さいたま市 プラザノースホール

青年団第78回公演『銀河鉄道の夜』@さいたま市 プラザノースホール

原作:宮沢賢治
作・演出:平田オリザ

「銀河ステーション――。」
―星まつりの夜、一人寂しく夜空を見上げるジョバンニの耳に突如響く車掌の声。親友カンパネルラとともに"本当の幸せ"を求めて様々な星座を旅し、二人の旅の行き着く先は―

出演
井上みなみ 富田真喜 小林亮子 中村真生 鄭亜美
スタッフ
舞台美術:杉山 至
照明:西本 彩
映像:ワタナベカズキ
映像操作:島田曜蔵
衣裳:有賀千鶴 正金 彩
舞台監督:河村竜也
制作:有上麻衣


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ももクロが主演した映画と舞台の「幕が上がる」。その中で高校演劇部の部員役を演じた彼女らが演じたのがこの平田オリザ版の「銀河鉄道の夜」だった。もっともこの作品は映画公開以降に青年団の手により、上演されたことはなく、私は2012年頃にももクロに注目するずっと以前から平田オリザの舞台は見ているが、「銀河鉄道の夜」については今回が初の観劇となった。
通常の劇評で言えば平田オリザがこの宮沢賢治の有名な童話にどのような思いをこめて子供向けの童話劇として上演する事にしたのかなどの疑問を解き明かすところから、書くべきなのであろうが、今回は偶然にも映画、演劇版でカンパネルラ役を演じた有安杏果ももクロを卒業して日もあまり経っていない時点での上演だったこともあり、いろんな思いがこみあげてきて、冷静に受け取ることが難しかった。
「幕が上がる」プロジェクトと書いたのには理由がある。平田オリザが小説「幕が上がる」のは欧州ツアーをやるための子供向け作品として「銀河鉄道の夜」を創作した直後で、小説の中で主人公の高校生たちが上演することになるのが「銀河鉄道の夜」で、その意味で平田オリザ版「銀河鉄道の夜」と小説「幕が上がる」は前者がなければ後者はなかった、あるいはまったく異なるものとなっていたという意味で親子のようなものだといってもいいかもしれない。
 そして次の章は「幕が上がる」を原作に映画かドラマを作って、一般の人に演劇について啓蒙できないかと考えていた平田とかねてから平田の演劇に私淑していた人気映画監督、本広克行の出会いである。実は平田はドキュメンタリー映画「演劇1」「演劇2」の神戸での上映会でのアフタートークでアイドルを主演させて自らが書いた小説「幕が上がる」を映画に出来ないかなどと語っていて、その時はおそらく具体的なイメージがあったわけではないと思うが、たぶんぼんやりイメージしていたのはAKB48グループだと思われる。
 それで本広監督とどこかで会った時にその話をしたことがあって、今度はそれからしばらくたってももクロトーク企画に監督が呼ばれた。それはももクロの川上アキラマネジャーが以前に担当していたタレントが本広監督の映画に出た際にその撮影を見たことがあり、監督のことを好ましく思っていた。そのため将来はメンバーに本格的な演技の勉強をさせようとも思っていたこともあり、本広監督を呼ぶことにしたのだ。
 一方で、こちらがどの段階でどのような意思決定が誰の手によってなされたかはっきりしないのだが、ももクロ主演の映画「幕が上がる」を撮影するだけではなく、同時にそれをドキュメンタリーにした「幕が上がる その前に」も制作。
 それだけにはとどまらず今度は舞台版「幕が上がる」も制作上演するとともに、平田オリザ脚本の「転校生」を本広監督が演出して上演したのも大きな意味で「幕が上がる」プロジェクトの一環だったといってもいいかもしれない。
 そして、このプロジェクトは実は「幕が上がる その後に」とでもいうべき続編も準備され、喜安浩平によるシナリオもほぼあがっていたらしいが、計画は頓挫した。それというのもプロジェクトが失敗したからではなく、大成功しすぎたためだ。演劇部の後輩役で出演していた芳根京子NHKの朝ドラ「べっぴんさん」のヒロインに抜擢されたほか、吉岡里帆も2015年下半期の「あさが来た」の出演で注目を浴び、伊藤沙莉ももクロ百田夏菜子がやはり朝ドラの重要な役柄で出演と後に続いた。さらにいえば黒木華ムロツヨシも超売れっ子となっており、キャストが再結集することさえ、絶望的なのだ。
 とはいえ、完全に続編の可能性が閉ざしたのは「幕が上がる」で夏菜子に次ぐ主要キャストである中西悦子役を演じた有安杏果ももクロ卒業だった。台版「幕が上がる」のラストはこの日の「銀河鉄道の夜」と同じジョバンニとカンパネルラの別れの場面なのだが、「幕が上がる」では有安杏果演じる中西悦子が玉井詩織のジョバンニと別れて「いつか、どこかで」」の言葉を残して天上へと消えていった。この日の舞台にはもちろん杏果はいなかったけれどやはり映画、舞台の「幕が上がる」で印象的な役割を果たした井上みなみがジョバンニを演じ、カンパネルラは天上へと消えていった。そして、その消えていくカンパネルラの姿は舞台版の杏果の演技と二重写しになり、それは1月21日にももクロを卒業、私たちの目の前から消えていった杏果の姿と重ならざるを得ない。私たちが「いつかどこかで」彼女と会える日は来るのだろうか?

TRASHMASTERS vol.28 『埋没』 作・演出 中津留章仁 @座・高円寺

TRASHMASTERS vol.28 『埋没』 作・演出 中津留章仁 @座・高円寺

2018/2/2 Fri — 2/4 Sun 全4ステージ @ぽんプラザホール
2018/2/6 Tue — 2/7 Wed 全3ステージ @コンパルホール
2018/2/10 Sat — 2/12 Mon 全4ステージ @インディペンデントシアター2nd
2018/3/1 Thu — 3/11 Sun 全11ステージ @座・高円寺1
出演
倉貫匡弘/森田匠/森下庸之/長谷川景/川﨑初夏/藤堂海
みやなおこ
山本亘
more→ http://www.lcp.jp/trash/next.html

 関西小劇場の雄であったそとばこまちの看板女優だったみやなおこ、山本三兄弟の末弟である老優、山本亘とそれぞれ出自を異にする俳優が集まり、みごとなアンサンブルを奏でた。優れた役者たちの熱演は見ごたえたっぷり。現在と過去、それぞれが2役を演じると言う構成も魅力的な舞台だった。
 ただ、芝居として魅力的であるがゆえに登場人物らの熱演に「そうそう」とうなずいている観客席を見ているとどうにももどかしい気持ちが湧き起こってきてやりきれなくなってくる。
  芝居では作中人物同士の議論が繰り返し描かれる。その多くはどちらが正しいとは一概に言いにくい複雑な問題なために今も解決できないわけだが、この舞台では作者が主張したい主張があらかじめ定まっていて、議論は割と簡単に相手側が言い返せなくなって、作者の考える「正しい主張」の勝利に終わる。そこにつっこみをいれたくなるし、こういう芝居を見て「そうだ、そうだ、その通りだ」などと思っている人がいるとすれば、「現実がそんなに単純なら誰も苦労はしない」と思ってしまうのだ。
 高知県大川村のダム建設問題を舞台化した。地元の関係者にも取材はしているようだが、実際にあった出来事をモデルにしているわけだから、いくらなんでも物事を単純化しすぎているのではないかと思った。「先祖代々の土地、田畑が水没してダム湖の底に沈んでしまうのはやりきれない」という立場と「水源の確保が急務」という川下の住民らの立場。相容れない2つの立場のなかで住民たちはどのようなコンセンサスを探っていくのかという内容になるのかと思って見ていくと、「地元でのダム賛成者は保証金に目がくらんだ」「お金は人間を狂わすから怖い」のような筋立てにしかなっておらず、がっかりした。しかもどうやら、作者はこの問題を沖縄・辺野古の問題と結びつけようとしているようだが、米軍基地問題と過疎地域での水源問題を同一視しどちらも国家権力の横暴のような単純な国=悪論に持っていくのは無理があると思わざるを得ない。
もうひとつの問題点。この作家はいつも家族の問題と政治的な問題をリンクさせて描いていくのだが、今回は政治的な問題に寄りすぎて重要な問題が落とされているように感じた。ダム建設に賛成したかどうかを巡って立ち退き保証をもらった夫婦のことを金の亡者になって出ていったように描いているが、本当にそうか。
 相手が包丁まで取り出して争いになった本当の理由は彼女の夫がみやなおこ演じる女性に密かに惹かれているのことに女として嫉妬しているからではないか。と書きはじめて気がついたが、登場人物は当事者も含め、誰も問題の所在に意識的には気がついていない。が、作者はもちろん意識的してそう書いている。当事者は互いに老齢になってかつての配偶者は亡くなっているが、隠れた欲望が解き放たれた時何が起こるのか? それは何かの悲劇につながりそうな予感に満ちている。 芝居としてはむしろそちらを見たいとも思ったが、そういうのを書くのは岩松了かケラか松尾スズキの仕事かもしれない。

青年団リンク 玉田企画・玉田真也演出 映画美学校アクターズ・コース 2017年度公演「S高原から」(作・平田オリザ 演出・玉田真也)@アトリエ春風舎

青年団リンク 玉田企画・玉田真也演出 映画美学校アクターズ・コース 2017年度公演「S高原から」(作・平田オリザ)@アトリエ春風舎

『S高原から』という作品は、不治の病に侵され、その治療のためサナトリウムに住んでいる人たちの日常を描いた作品です。死を常に傍にあるものとして意識しつつも、そこに描かれている人たちは、僕らとあまり変わらず、噂話ではしゃいだり、色恋にのめりこんだり、食っては寝て、の繰り返しです。戯曲には、その俯瞰した視点によって、不治の病に侵された彼らと、僕らの間には何の違いもないのだということが描かれているように感じます。そこのところを意識して、くれぐれも深刻な顔をせず、あくまでも楽しく、力を抜いて、作品を作りたいと思ってます。(玉田真也)

映画美学校アクターズ・コースとは

1997年の開講以来、国内外で高く評価される映画作家を多数輩出してきた映画美学校が、「自立した俳優」「自ら創造できる俳優」の育成を目指し2011年に開講。映画と演劇が交わる場でもあり、これまでにも松井周演出『石のような水』、鎌田順也演出『友情』、佐々木透演出『Movie Sick』や万田邦敏監督『イヌミチ』、鈴木卓爾監督『ジョギング渡り鳥』(第8回TAMA映画賞特別賞)などを世に送り出している。2015年より文化庁の委託を受け「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」を開講。本公演はその修了公演となる。
*次年度の開講に関しては2018年4月に発表予定です


玉田真也(玉田企画 / 青年団演出部)

平田オリザが主宰する劇団青年団の演出部に所属。玉田企画で脚本と演出。日常の中にある、「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現する。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくり出し、その「痛さ」を俯瞰して笑いに変える作品が特徴。



出演

石山優太、加藤紗希、釜口恵太、神田朱未、小林未歩、髙羽快、高橋ルネ、田中祐理子、田端奏衛、豊島晴香、那木慧、那須愛美、本荘澪、湯川紋子(映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座2017)
川井檸檬  木下崇祥

スタッフ

舞台美術:谷佳那香
照明:井坂浩(青年団
衣装:根岸麻子(sunui)
宣伝美術:牧寿次郎
演出助手:大石恵美、竹内里紗
総合プロデューサー:井川耕一郎
修了公演監修:山内健司、兵藤公美
制作:井坂浩

映画美学校アクターズ・コースの卒業公演だとはいえ、玉田企画の玉田真也が演出というので「大爆笑」みたいな変化球を予想して見にいったのだが、これが意外とストレートに平田オリザの劇世界を具現化した正統派の現代口語演劇で、こういう言い方をしたら失礼に当たるかもしれないのだが、玉田の演出家としての手腕に感心させられた。
 「S高原から」は典型的なスタイルの平田演劇で、青年団でも何度にもわたり再演が繰り返され、私もいろんなキャストによるその上演を見ているのだが、今回の上演は学校の卒業公演的な性格の舞台ということもあり、経験がそれほど豊かとは言いがたい若い俳優らを中心としたキャスティングでありながら、これまで見た青年団の舞台と比べても遜色のなく思われた。もちろん、すべてのステージにおいてこのクオリティーが再現できるかが、プロの劇団との大きな違いでもあり、それが課題だが、ことこのステージに関していえばそれぞれのキャストの個性が生かされながら平田の戯曲がおりなす、人物の複雑な関係性を相当以上の精度で体現したと思われるものに仕上がっていた。
「S高原から」がどんな作品なのかについては以下の過去公演へのリンクで詳細に書いているからここで繰り返すことはあえてしないけれど、患者、看護師・医師ら病院スタッフ、見舞い客の3つのグループに登場人物は分けられるが、立場の違いで差異のないように接してはいてもそこには大きな意識の分断が生まれていることを実に巧みに平田オリザはえぐり出していく。
玉田自身はこの作品について「 『S高原から』という作品は、不治の病に侵され、その治療のためサナトリウムに住んでいる人たちの日常を描いた作品です。死を常に傍にあるものとして意識しつつも、そこに描かれている人たちは、僕らとあまり変わらず、噂話ではしゃいだり、色恋にのめりこんだり、食っては寝て、の繰り返しです。戯曲には、その俯瞰した視点によって、不治の病に侵された彼らと、僕らの間には何の違いもないのだということが描かれているように感じます」と書いている。
 もちろん、私たちは全員早い遅いの違いはあってもいずれは死ぬと定められた運命のもとにあるということは変わりない。だから、玉田の言うことには一理があるのだけれど、平田はそういう事実を共有しながら、「患者」と「病院のスタッフ」と「外部からここに来た人にはやはり大きな違いがあることを描き出す。
 もっとも大きな違いは彼らの「死」についての態度である。下界での日常生活では死の存在は掩蔽されている。ところがここに来るとそれを意識せざるをえないわけだが、そのため逆に患者の前では「死」や「病気」についてできるだけ触れないようにする。もっとも極端な例は画家の元パトロンの娘。かつて恋愛関係にあった彼女は「病気」などいっさいそこに存在しないように振る舞い、画家を退院させ休日に外国旅行に誘おうとする。
 別の見舞い客の女性はたずねてきたが、本人とはあたりさわりのない話しかせずに席をはずした隙に勝手に立ち去り、友人を通じて「結婚することにしたのでもう会えない」との伝言だけを伝えてくる。死と直接向かい合うことはせずに、もういないことにしたいのだ。
 一方、患者たち同士は逆に病気や死のことについて逆に饒舌になるのだが、彼らも言いよどむことがあって、それは未来のことだ。次の季節のことだったり、来年のことだったりするのだ。つまり、その時には会話の相手のどちらかはもうここにはいないかもしれないからだ。
映画美学校の修了公演は松田正隆作品をサンプルの松井周が演出したものとか、いくつかの作品を見ていて毎回レベルの高さに感心させられることが多いのだが、その中でも今回の出来映えは群を抜いていた。玉田に聞くと自分以外の脚本を演出するのは初めてということだったが、平田オリザ脚本との相性のよさは相当なもので、今回だけの企画として終わらせずにまた平田作品の演出をしてみてほしいと思った。
さらに付け加えれば玉田をはじめ青年団演出部あるいは青年団所属の演出家が平田オリザ作品を連続上演するような企画があれば面白いのにと思ったのである。
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「Kiseki - キセキ – Trajectories」日本・イタリア・フランスダンス交流事業

「Kiseki - キセキ – Trajectories」日本・イタリア・フランスダンス交流事業

2018年2月、セゾン文化財団とイタリアのコムーネ・ディ・バッサーノ・デル・グラッパ 、フランスのラ・ブリケトリ - ヴァル・ド・マルヌ国立振付開発センターが提携するダンス交流事業を実施します。



•【「Kiseki - キセキ – Trajectories」日本・イタリア・フランスダンス交流事業】 公開プログラム
本事業に参加する3 人の振付家が過去に発表した代表作を紹介し、また日本での滞在成果を振り返るトークを行います。
日 時: 2018年 2月27日(火) 18:30-20:00 無料
場 所: イタリア文化会館 東京都千代田区九段南2-1-30 



minus 「Kiseki - キセキ - Trajectories」
日本・イタリア・フランスダンス交流事業
セゾン文化財団とイタリアのコムーネ・ディ・バッサーノ・デル・グラッパ 、フランスのラ・ブリケトリ - ヴァル・ド・マルヌ国立振付開発センターが提携するダンス交流事業。





岩渕貞太 日本 振付家、ダンサー
ジョルジャ・ナルディン イタリア 振付家、パフォーマー
2018年2月1日-3月1日 滞在予定
サチエ・ノロ フランス 振付家、サーカス・アーティスト
2018年2月1日-2月28日 滞在予定

開始時間が6時半からだったこともあり、プログラム冒頭に行われた3人のミニパフォーマンスでは玄関での ジョルジャ・ナルディンのパフォーマンス だけやっと間に合ったが、他の2人のは見られず。トークは全て聞くことができたが、興味深いものだっただけにパフォーマンスが見られなかったのは残念。とはいえ、平日6時半スタートではどだい無理であった。