下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

青年団リンク ホエイ「郷愁の丘 ロマントピア」@こまばアゴラ劇場

青年団リンク ホエイ「郷愁の丘 ロマントピア」@こまばアゴラ劇場

ホエイ、北海道三部作、第三部。


北海道空知地方、夕張。
1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。
「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」
国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。
それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ、この町から出ていく者はあとを絶たない。2014年、かつて2万人近くが暮らした町たちが、ついにダムの底に沈んだ。
いま、町を弔う。


作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上)

出演:河村竜也(ホエイ|青年団) 長野海(青年団) 石川彰子(青年団) 斉藤祐一(文学座) 武谷公雄 松本亮 山田百次(ホエイ|劇団野の上)

照明:黒太剛亮(黒猿) 衣裳:正金 彩 演出助手:楠本楓心 制作:赤刎千久子
プロデュース・宣伝美術:河村竜也

 日本の現代演劇の新たな動きはほとんどが平田オリザの率いる「青年団」から出てきているのではないかと考えている。2008年から17年までの10年間で新人劇作家の登竜門とされる岸田戯曲賞受賞者を前田司郎(08)、柴幸男(10)、松井周(11)、岩井秀人(13)と4人を劇団関係者から輩出。これ以降も各種の戯曲賞の受賞(せんだい短編戯曲賞に綾門優季が第1回、第3回、柳生二千翔が第4回受賞など)が相次いでいる。これまでもひとつの劇団が複数の劇作家を生み出した例はあったが、多くの場合複数の書き手がいる時期はあってもそれは過渡的なものであり、現在の「青年団」のようにいわば孵化器として新たな劇作家・演出家を生み出すためのシステムを持っている劇団はなかった。青年団は前田、柴、松井、岩井らを継ぐ世代にも数多くの俊才を抱えている。そのなかにはかなりのキャリアを持つ中堅作家からポストゼロ年代以降の新鋭までがおり、次世代の才能がしのぎを削っている。 
 中でも私が現在注目しているのが「青年団リンク ホエイ」の山田百次(やまだ・ももじ)である。プロデューサーの河村竜也(青年団俳優部)と劇作家・演出家・俳優の山田百次(青年団演出部・劇団野の上)によるプロデュースユニットで「郷愁の丘ロマントピア」上演の後に青年団から独立して「ホエイ」となった。
 山田百次は2015年から青年団演出部に所属しているが、元来は青森県の劇団である弘前劇場の出身である。弘前劇場は地方の一小都市に本拠を置きながら、海外公演でも高い評価を受けるなど全国レベルで見ても高水準の舞台成果を上げているきわめて稀な劇団だ。その特徴は日常語としての津軽弁(地域語)を駆使する現代口語演劇であること。作演出を担当する長谷川孝治は平田と並ぶ現代口語演劇の騎手であり、山田はそこでつちかってきた日常語としての地域の言葉の活用に加え、地域語を表意だけではなく「オブジェ」的に使用することや隠喩(メタファー)を多用することで、我々の世界の成り立ちを多層的に構築する独自の劇世界を構築しつつある。
 約10年前に上京し弘前劇場を退団した女優らとともに「劇団野の上」を設立し本格的な劇作を開始したが、その活動ぶりが青年団で中心俳優だった河村竜也の目に留まり、彼らは2013年12月に青年団若手自主企画 河村企画として北海道三部作の最初の作品となる「珈琲法要」を上演し、その後のホエイにつながる活動を二人三脚で開始した。
 ホエイには大別して2つの系譜の作品がある。ひとつは社会の周縁で起こる非日常的な出来事を描いていく作品だ。昨秋上演された「小竹物語」はこちらで公演会場となった小竹向原にあるアトリエ春風舎を舞台にここから怪談をネット配信する怪談師を登場させ、そこで起こる怪異譚を描き出した。この芝居では冒頭で河村竜也が演じる高橋が「私はもうすぐあちらの世界(と舞台方向を指す)に行ってしまいますが、またこちらの世界に戻ってくるかもしれません。その時はどうぞよろしく」と客席の中央部分に設けられたネット配信の中継ブースの中から客席に向かって話しかける。最初にこの作品を見た時にはただの前説だと思ってうっかりしてその重要さを見落としていたが、実はこの部分が非常に重要なのだ。
 「小竹物語」の主題は様々な意味で通常交わることがない「あちらの世界」と「こちらの世界」を対比させ、その境界を揺さぶろうということ。この場合、「あちら」というのはまず舞台であり、「こちら」は客席である。舞台とは役者たちが演じている作品の劇世界であり、それが客席側の現実と対比される。 「小竹物語」では劇場から怪談イベント「小竹物語」をネット配信しようとしている怪談師たちが描かれているが、劇中のイベントで語られるという呈で観客である私たちは「怪談」を聞くことになる。ところで本当に怪談イベントに参加して怪談を聞いている人であれば目的はあくまで「怪談」であり、さらに言えばそこで語られる怖い話が目的だ。そこで語られる「怪談」にはいろんなタイプの話があるが、多くの場合、この世にありえないような種類の怪異が語られる、ということになる。実際の怪談イベントでも「怪談」(あちら)とそれを語る「怪談師」(こちら)というあちら/こちらの二重構造はあるが、「小竹物語」では「怪談語り」もそれを語る怪談師もともに俳優が演劇の一部として演じていて、観客である我々はそれを舞台の外側から俯瞰してみる構造となる。
 あるいは劇中では「死んでいる」(あちら)と「生きている」(こちら)という2つの状態も対比される。劇中で高橋は量子理論などを引用しながら、「生」と「死」はどちらも量子の振動の状態であり、それは別々のものではなく、つながっていると語るのだが、それがこの劇の後半に起こる大きなパラダイムシフトの伏線となっている。「小竹物語」の後半部分では外部からの正体不明の闖入者として山田が登場して最後には河村演じる高橋を殺してしまう。つまり、冒頭の高橋の「私はもうすぐあちらの世界(と舞台方向を指す)に行ってしまいますが、またこちらの世界に戻ってくるかもしれません」という言葉は「死の世界」も指しているダブルミーニング(二重の意味)になっている。ここで作品外部の人間が作品に介入していくという構造は実は「郷愁の丘ロマントピア」の百次が演じる演技にもつながっていくもので、そういう意味では「小竹物語」と「郷愁の丘ロマントピア」はまったく作風の違う両極端の作品にも見えるが、実は手法的には呼応するような部分もあるのだ。
 今年の夏に再演が予定されている「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」もやはりその系譜の作品で田舎の中学校の分校を舞台にそこで引き起こされる集団ヒステリーを描き出されている。「雲の脂」では全国から捨てるに捨てられぬ念の詰まったモノたちを一手に引き受けているある辺境の神社を舞台にその没落を現代の日本の滅びの形と重ね合わせた。
 もうひとつの系譜が北海道に題材をとった歴史劇「北海道三部作」と呼ばれるシリーズで今回取り上げる「郷愁の丘ロマントピア」はこちらに含まれる。津軽藩士大量殉職事件を描いた「珈琲法要」は同劇団の出世作で1807年に北海道のオホーツク海沿岸の極寒の蝦夷地で多数の津軽藩士が病に倒れた亡くなった歴史上の悲劇を現代口語津軽弁で描き、これまで札幌での二度の上演や韓国公演でも好評を博した。
 「麦とクシャミ」はホエイの歴史劇第2弾。こちらは太平洋戦争末期の昭和新山誕生の顛末が題材で「珈琲法要」に続き北海道を舞台に歴史上に埋もれた史実を掘り起こして舞台に仕立て上げた。逞しい女優3人(中村真生、緑川史絵、宮部純子)の存在感が魅力的な舞台で緊迫した状況にもどこか呑気な男たちも登場。戦争に天変地異というシリアスな主題をペーソス溢れるタッチで描き出した。舞台ではこの地に日本各地から流れ込んできたきた人々が暮らしているという状況を設定。京都、岩手、広島の異なる地域言語が同じ舞台で共存するカオスな場を描き出し、ここに満洲から戻ってきた陸軍軍人を配し、彼にノモンハン事件のことを語らせる。こうした仕掛けで北海道の寒村で起こった珍事と戦時の大陸の状況を二重重ねにして見せていく。その手つきは鮮やかなものだった。
 これらはいずれも純然たる歴史劇であり、登場人物が話す地域の言葉(方言)が交錯するものの戯曲の構造はリアルタイムで進行する群像会話劇で、平田オリザ流の作劇を思わせるところがある。それに対して「郷愁の丘ロマントピア」では夕張の炭鉱町を舞台に、数十年にわたるその盛衰をそこで働く男らの人生をからめて群像劇として描きだし、より大きな歴史的な時間の流れを射程に入れる新たな作劇手法を開拓した。北海道三部作はこれで完結したが、今回開拓した手法はホエイならびに劇作家、山田百次の創作活動に新たなフィールドをもたらすことになるかもしれない。
 舞台では男らが80~90歳代にならんとする現代から、炭鉱でバリバリと働いていた若かりし時代までを時代は交錯しながら役者たちによって瞬時に演じわけていくのだが、観客がそれを不自然ではなく受容できるのは導入部で上演のルールが示されるからだ。まず登場人物は俳優によって完全にリアリズムで演じるというわけではない。先述した「××が演じる○○」が中間項として入り込んでいるのが「郷愁の丘ロマントピア」の作劇の特徴だ。ここで 描かれるのは「大夕張」と呼ばれている地域だ。夕張市には北炭(夕張鉱業所・平和鉱業所)・三菱(大夕張鉱業所)の3つの炭鉱があったが、現在の夕張市街地はすべて北炭があった地区である。これらの地域は同じ夕張市内といっても離れた場所(20キロ程度離れている)にあった。三菱合資会社大夕張大夕張炭鉱のあった大夕張地区は全盛期には2万人近くの人口をかかえていたが、廃坑とともに人口は激減した。現在はダムの完成にともないかつての市街地はほとんどシューパロ湖の底に沈んでしまった。劇団のホームページには「いま、町を弔う。」の煽り文句もあったが、この「郷愁の丘ロマントピア」はその意味で国策の犠牲となって湖の底に消えていったいまはない町への鎮魂歌といってもいいのかもしれない。
劇の冒頭、前説に山田百次が現れる。彼は「本日は青年団リンク ホエイの公演にご来場、まことにありがとうございます」と観客に向け挨拶する。続いて「皆さん夕張市はご存知ですか?」などとこれから始まる芝居の概要を話し出す。そのままニット編みの帽子をかぶり、「申し遅れました。わたくし山田百次が演じる今回の役名は鈴木茂治と申します」などといい最初は自分が演じる役の人のことを「彼は」などと三人称で説明するのだが、「彼は御年92となりました」などといいながらいつのまにか腰をかがめた老人の演技に入っている。演技スタイル自体は例えば意図的に平板なセリフ回しを多用するマレビトの会などとは違って、普通の会話口調に近いが、この舞台では「登場人物は○○」というだけではなく、登場シーンで「松本亮演じる加藤謙三が来ました」と他の俳優のセリフによって説明されることで「俳優、××が演じる○○」という二重性がたえず呈示される。この導入部で山田はこの上演におけるルールを観客の前に提示していく。この舞台の主要登場人物は茂治と謙三のほか、地元で写真屋をやっている片腕の中村三郎と孫娘に車いすを押されて出てきた島谷紀男の4人。この二人も最初の登場シーンではいずれも茂治演じる山田自らの口から「やっときたのは河村竜也演じる中村三郎85歳」「武谷公雄演じる島谷紀男86歳」とそれぞれの現在の年齢とそれを演じる俳優の名前が紹介される。実はこれも前述したように観客に役柄とそれを演じる俳優の二重性を絶えず意識させ続ける狙いがある。舞台上の俳優は老人の声色を真似てまで老人のような演技をするわけではないが、こうした意識づけにより、俳優のちょっとした姿勢の違いだけで、それぞれの俳優が老人なのか、若者なのかを認識できるようになる。
 チェルフィッチュ岡田利規は「三月の5日間」で役と俳優の分離を方法論的に提示し、後に続くポストゼロ年代演劇の作家たちに大きな影響を与えたが、俳優と役柄の二重性を可視化していくようなホエイの演技法もその延長線上にあるといえるかもしれない。
 この作品では暗転や照明の変化などもいっさいないままに時空が次々と転換する。老人たちが昔のことを回想する会話の最中に両腕がまだある若き日の三郎が突然登場したり、車いすの紀男が帽子をとって立ち上がるような比較的分かりやすいきっかけで一瞬で時空が転換することが何度か繰り返されたうえで、中盤以降はそうした場面転換のルールが観客にも浸透したかと判断されて以降はもっと無造作に融通無碍に時空の転換が行われることで、平田オリザ流の一場固定の現代口語劇では描写することが難しい、戦後すぐから高度成長時代をへて、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていく歴史の流れを描き出した。
 山田がその経歴からしても弘前劇場長谷川孝治平田オリザの強い影響を受けていることは間違いない。ただ、90年代を代表する「関係性の演劇」の作家のなかでもこの「郷愁の丘ロマントピア」はもうひとりの重要な劇作家のことを思い起こさせた。それは桃唄309の長谷基弘である。もっとも長谷川や平田の場合とは異なり、おそらく山田は桃唄309の全盛時代を見ていないと思われるので、長谷と山田には直接的な影響関係はないのではないかと思われる。
 桃唄309の長谷基弘の作劇の特色は一場の群像会話劇が多い関係性の演劇に時空を自由な転換させながら場面転換させ、無造作につなぐ手法を持ち込んだことだ。「関係性の演劇」の多くの作家が一場劇ないしそれに近いスタイルだったのに対し、長谷は短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独自のスタイルを開拓した。時空を自由に往来する劇構造は従来、映画が得意とし演劇は苦手としてきた。それは映画にあるカット割りが、演劇にはないからだ。ところが、短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独特の作劇・演出の手法は映画でいうところのカットに準ずるような構造を演劇に持ち込むことを可能にした。演劇で場面転換する際には従来は暗転という手法が使われましたが、これを多用すると暗転により、それぞれの場面が分断され、カットやコラージュ、ディソルブといった映画特有の編集手法による場面のつなぎのようなスピード感、リズム感は舞台から失われてしまいます。これが通常、劇作家があまりに頻繁な場面転換をしない理由なのだが、これに似た効果を演劇的な処理を組み合わせることで可能にした。
 こうした手法で長谷は一場劇では描くことが難しい長い歴史の中での出来事や大きな共同体の中の群像劇を描き出してきた。長編新作「風が吹いた、帰ろう」(座・高円寺2016年)はこうした手法を駆使してハンセン病とその療養施設がある島・大島の歴史に迫った作品。「風が吹いた、帰ろう」は瀬戸内海に浮かぶ離島、ハンセン病元患者の療養所の島「大島」とその歴史をモチーフにしています。現地での綿密な取材を元にはしていますが、単純に歴史を再現したドキュメンタリー演劇ではないところが特徴です。
 このような主題ではハンセン病患者らの遭遇した様々な悲劇的な状況に焦点をあてて描写しがちです。ただ、それだけでは現代の我々にとっては「かつてあった悲劇」は歴史上の遠い出来事のようにしか感じられず、実感を持つことは難しいのです。長谷の作劇が巧妙なのは登場人物が「大島」数十年の歴史を担う島の療養所に暮らす患者たちの物語と並行してそれとは一見無関係なシェイクスピア劇を上演する劇団、現代の東京に暮らす人々とより私たちに近い複数の人物の描写が同時進行させていくこと。
 それらの人物は実は島の出来事と完全に無関係というわけではありません。登場人物の一人にはハンセン病のために戸籍から抜かれた祖母がいて、そのために縁談が壊れたことに後になって。この気が付きます。このように歴史上の出来事は「過去に終わったこと」ではなく、現在にも脈々とつながり、影を落としているんだということを描写してみせる。もうひとつの特徴はそれらの場面が単に現在・過去の出来事が交錯させて描くだけではないことです。リアルな筆致による現代口語劇とダンスや劇中劇など異なる位相にある描写を取り混ぜ、それを積み重ねていくことで「現実の重層性」を再構築しようと試みています。例えば老女となった元患者が島での出来事を回想するシーン。ここでは回想を語るだけでなく、彼女がまるで演出家のように振る舞い、周囲にいる人たちを当時そこにいた人物として配役していき、さらに演技指導なども行う。こうした「メタ演劇」の手法も取り入れることで、こうした当時の現実から様々な距離感をとる描写を複雑に組み合わせ演劇でしかできない「過去の再構成」をしているのだ。
 長谷の代表作が「私のエンジン」(1995年)で、これは戦争に政治的に巻き込まれていく若い芸術家たちの群像を描いた作品で、平田オリザらのいわゆる現代口語演劇では歴史を描くとしても例えば「ソウル市民」がそうであるように時代を象徴するようなある時点での切り取られた「1時間半」を描くということに限定されたが、長谷は時系列を自在に日常描写のスケッチ的な積み重ねていくことによって、戦争などの大きな歴史的な出来事を俯瞰していくことに成功。「私のエンジン」に続き、「この藍、侵すべからず」「五つの果実」と彼が戦争3部作と名付けた「歴史劇」を創作。現代の話、虚構の話なども組み入れられるなど構成はより複雑になっているが最新作「風が吹いた、帰ろう」も大きな意味で言えばこうした作品の系譜につながるものといえそう。
 90年代を代表する「関係性の演劇」の劇作家の中で平田の手法を受け継ぐ作家は数多い。長谷川が提示した地域言語についてのこだわりも小松台東の松本哲也ら受け継ぐ作家が出てきてはおり、広い意味では山田もそのひとりではあると思ってはいる。ただ、長谷はどちらかというと孤高の存在であり、類似の手法を追求した劇作家もこれまでいなかっただけに今回の「郷愁の丘ロマントピア」で山田が短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという手法を試み始めたことは今後長谷だけでは組みつくすことができなかったこの手法で描き出せる演劇の主題に新たな光が照射されそうで、今後のホエイの演劇が生み出す可能性が本当に楽しみで仕方ないのである。