下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

宮城聰小論「天守物語」と「野田版 真夏の夜の夢」

 1995年の阪神大震災オウム事件以来の日本の現代演劇の流れを形成してきたのは平田オリザの現代口語演劇を中心とした「関係性の演劇」*1であった。この流れは2000年代に入り、代表的な作家としてポツドール三浦大輔五反田団の前田司郎らを生み、チェルフィッチュ岡田利規の超現代口語演劇へと受け継がれた。90年代半ば以降の日本の演劇を振り返るとそんな系譜が見えてくる。そのことはこれまでもいろんなところに折に触れ書いてきたが、実は90年代には「関係性の演劇」と並んで身体表現を重視するもうひとつ重要な現代演劇の潮流があった。それは「身体性の演劇」で代表的な作家がク・ナウカの宮城聰だった。
演劇は祝祭である
 「演劇は祝祭でなくてはならない」。都市生活を営む私たちに必要なのは祭りではなく、この世界がいかにあるのかを静かに見つめなおすような時間・空間であると「都市に祝祭はいらない」という著書で自論を展開した平田に対し、宮城は対照的な演劇=祝祭論を提唱*2。感情的な反発ではなく理論的な視座において平田の演劇を批判できる数少ない論客でもあった。
 ひさしぶりに宮城の舞台を毎週のように静岡まで出かけ3度(「野田版 夏の夜の夢」=6月4日、「天守物語」=7月3日・9日)にわたって見た。宮城に以前から継続的に注目していたのはもちろんなのだが、昨年来活動が目立ってきている一群の若手作家ら(柴幸男、中屋敷法仁らポストゼロ年代演劇)の作風に平田にはじまる流れとは明らか異質な傾向を感じるなかで、90年代に身体表現を重視する演劇を展開してきた作家たち(宮城のほかロマンチカの林巻子、山の手事情社の安田雅弘、上海太郎舞踏公司の上海太郎、惑星ピスタチオ西田シャトナーら)との類縁性が見て取れ、このことを再考してみたいと考えたからだ。
 宮城は2007年にSPACの芸術総監督に就任以来ク・ナウカ時代のレパートリーは封印してきた。だが、<ふじのくに⇔せかい演劇祭2011>の演目に自らの演出作品2本を用意、そのうち1本はク・ナウカ時代のオリジナル演出復刻版での満を持しての「天守物語」の上演。もう1本が「野田版 真夏の夜の夢」と野田(秀樹)戯曲への初挑戦だった。ク・ナウカ版演出は昨年「王女メディア」を上演してはいるが、引き続き代表作である「天守物語」もレパートリーに加えたことに鈴木忠志からSPACを引き継いで芸術総監督に就任して以来5年。自らの手で若い役者らを育て上げて、ようやくク・ナウカ時代に負けないような陣容が揃ったとの自負を感じた。
天守物語」によるク・ナウカ復活
 ク・ナウカ時代に宮城聰は数多くの作品を上演しているが、代表作といえるのが「天守物語」「エレクトラ」「王女メディア」の3作品だ。なかでも「天守物語」は野外劇として上演されることが多かったこともあり、海外も含めいろんな場所で「場の持つ力」を取り入れながら上演されており、私自身の観劇歴においても北九州・小倉城前、お台場の公園、雨の利賀野外劇場、こちらも激しい雨の中での湯島聖堂……と忘れがたい印象を残した舞台を目撃してきたという意味ではワン・アンド・オンリーの作品と言っていい。
 美加理をはじめ 阿部一徳、大高浩一、榊原有美、寺内亜矢子、吉植荘一郎らク・ナウカ時代のオリジナルキャストに三島景太、仲谷智邦、舘野百代らSPAC創生期からの俳優陣が加わる合同公演のようなキャスティングとなった。現在のSPACのシステムから言えば全員がSPAC契約俳優ということにはなるのだが、それでも昔からのファンにとっては美加理(ムーバー)、阿部一徳(スピーカー)のク・ナウカを支えた黄金コンビが富姫を演じるほか、大高浩一の図書之助とそろい踏みすればこれはもう「ク・ナウカ復活」だろう。
 天候・気候により雰囲気が一変するのが野外劇の醍醐味。予報が思わしく少し心配したのだが、3日夜はめったにないほどの好天だった。傾斜のある客席と斜面に建てられた建物に取り囲まれ、その底の部分に野外劇場「有度」の舞台はある。舞台背後の奥には緑濃い山並みも見えた。昼は暑かったが夕刻になり、開演前から気持ちのよい風が山から吹き上げてくる。この開放感が野外劇の魅力だ。 幕が張られた舞台裏から下座音楽となるパーカッションの軽快な音楽がにぎやかに鳴り出して「天守物語」は始まった。最初の場面では客席上手上方から破れ傘をさして富姫に扮した美加理が登場して、通路となっている階段をゆっくりと降りてくる。
 富姫の衣装に身を包んだ美加理のなんとも神々しくも美しいことか。「美加理、健在なり」と思い、「静岡まで来たかいがあった」と嬉しくなった。美加理の「天守物語」を最後に見たのは2001年7月(お台場・都立潮風公園噴水広場)。今から10年も前のことになる。富姫は播磨国姫路城の五重に棲む高貴な妖怪なのだが、美加理の人間離れしたまばゆいばかりの美貌に「この人自身が妖怪では」あるいは「人魚の生き胆でも食したのでは」などと考えてしまうほどだ。失礼ながらそれなりの年齢になってはいるはずだが、美しさにも人並みはずれた存在感にも一層の磨きがかかったように思われた。
 前半部分のあまり動かない部分で以前は人形振りのような所作をしていたが、今回そこで美加理の指先と腕の動きに東南アジアの舞踊風の動きのように見えた。演出が変わったのかと思い終演後尋ねてみると「意識したものではない」とのこと。ただ、ここ2年ほど南インドにたびたび渡り、現地の舞踊家とも交流を重ねているらしく、「そうしたことが無意識に動きに反映されているかも」とのことであった。「天守物語」に関していえば、鯉のぼりをあしらった派手な色の衣装といい、獅子頭や破れ傘の造形といい無国籍かつ多国籍風にアジア的なイメージを打ち出していることもあり、美加理の南インド風身体所作もそうした要素の一つとして似つかわしいものであった。
 スピーカーを担当した阿部一徳の語り芸にもより一段と熟練の業を感じた。以前はなかった唄まで入って、まさに自在の境地だ。大高浩一演じる図書之助の涼やかなる美男ぶりといい、これ以外の組み合わせを創造するのが難しい最高のキャストによる「完成度」のきわめて高い舞台でもあった。
 ク・ナウカでは通常の芝居のように1つの役を1人で演じる(言動一致体)のではなく動きを担当する俳優(ムーバ—)と語りを担当する俳優(スピーカー)の2人1組が1人の人物を演じる。人形を操る演者と語りを担当する演者が分かれて、1人の人物を演じる人形浄瑠璃からの連想で「人間浄瑠璃」などとも呼ばれるが、この特殊な様式でギリシア悲劇シェイクスピア、歌舞伎台本のような古典から三島由紀夫の「熱帯樹」などの現代劇にいたるまで、様々なテクストを上演してきた。2人1役はそれを間に挟むことで現代人である俳優がリアルに演じることが難しいような等身大を超えた非日常的な人物像を具現していくための手段であり、そこにはそれを具現化するための演技論もセットとして組み込まれている。
レチタティーヴォとアリア
 オペラにおけるレチタティーヴォとアリアに例えられるような演技二分法がそれで、最終的にはアリアのような開放されたものを見せたいのだが、演劇はそれだけを見せてもだめで、最後にアリアを見せるためにはその前に唄わない(踊らない)セリフ・演技による状況や関係の説明(レチタティーヴォ)がどうしても必要だというものだ。最終的に至高の高揚を見せるのが目的でもそれをより効果的に見せるには抑制された演技の積み重ねが必要。このためク・ナウカの舞台ではパフォーマーがアリアのように歌う開放された演技を許されるのは最後の方のほんの一瞬だけなのだ。
 この「天守物語」はほかの人物も登場するが、それは状況の説明のためのものにすぎず、ほとんど富姫と図書之助2人だけの物語というシンプルな構造を持っていること。2人の出会いと恋がメインモチーフだが、それが余計な挟雑物なしにほぼ一直線に突き進んでいくこと、などの理由からク・ナウカの方法論とのシンクロ率がきわめて高い。そのせいか「エレクトラ」「王女メディア」などほかの作品で宮城は作品に演出家なりの現代的な解釈を持ち込んでいることが多いのだが、この「天守物語」はそうした要素はほとんどなく、それが一層純度を高めている。
 2人1役システムについてなにより美加理という特別な存在をいかに魅力的に見せるのかという仕掛けだから実は「美加理システム」と呼んでもいいものだと言って、演出家である宮城に嫌な顔をされたことがあるのだが、舞台上で日常とはかけ離れた美しさ、神々しさを体現できるという美加理の魅力がもっとも存分に発揮されたのが「天守物語」だと言ってもいいだろう。
SPACでの新たな挑戦「野田版 夏の夜の夢」
 実はこのことは美加理の素晴らしさとともに逆にク・ナウカシステムの実現には美加理が必要不可欠ではないのかという疑念も感じさせた。それでは宮城はSPACに移った後、すぐに美加理を呼ばずに何をしてきたのか。そして、これから何をしようとしているのか。 今回短い期間にSPACに来てからの最近の演出法に基づいた「野田版 夏の夜の夢」とク・ナウカ版の「天守物語」を続けて見ることができたことで、宮城の方法論がク・ナウカ時代と現在ではかなり異なることがはっきりと分かり、そこが興味深かった。もちろん、もっとも大きな違いはSPACでの上演は言動一致体で「天守物語」のようにムーバ—(動き)とスピーカー(語り)が分かれてはいないことではあるが、どうやらそれだけではない。
 SPAC「野田版 真夏の夜の夢」(静岡芸術劇場)は野田秀樹によるシェイクスピア作品の脚色を宮城聰が演出した。野田秀樹はもともと宮城の中学から東大時代までの先輩で、宮城自身「中学の時に野田の舞台を駒場高校の学園祭で見て演劇を志した憧れの存在」と語るほど影響を受けているが、それだけにいままで触れてはいけないものとして避けてきた。今回初めて野田戯曲に挑戦したのはフランスの演出家、オリビエ・ピィの言葉に触発され、最近の宮城がことあるごとに強調している「詩の復権」をめざすために、日本の劇作家では「二人の女」で取り組んだ唐十郎に続き、野田の戯曲に取り組むことを決めたという。
 ただ、唐十郎の場合も唐の代表的な作品はあえて避けて、源氏物語ならびに能の「葵上」を下敷きにした「二人の女」を取り上げたようにどうやら宮城の場合、古典を下敷きにしたような重層的なテキスト*3により惹かれる傾向があるためなのか「野獣降臨」「小指の思い出」「ゼンダ城の虜−苔むす僕らが嬰児の夜−」といった夢の遊眠社時代の代表作ではなく、外部作品として1992年に日生劇場で上演されたものだが、オリジナル作品ではなく、シェイクスピア作品の脚色でもある。夢の遊眠社でもNODA・MAPでもないせいで、その後、再演もされてないせいか一般の知名度もあまり高くない「野田版 真夏の夜の夢」を持ってきたところが宮城らしいといえるかもしれない。
「野田版 真夏の夜の夢」はSPACサイトからあらすじを紹介すれば以下のようになる。創業130年の割烹料理屋「ハナキン」。その娘・ときたまご(ハーミア)は許婚がいた。板前のデミ(デミトーリアス)である。デミはときたまごを愛していたが、彼女は板前のライに恋心を寄せていた。ときたまごとライ(ライサンダー)は<富士の麓>の「知られざる森」へ駆け落ちする。それを追いかけるのはデミと、彼に恋をしている娘・そぼろ(ヘレナ)。森では妖精のオーベロンとタイテーニアが可愛い拾い子をめぐって喧嘩をしている。オーベロンは媚薬を使ってタイテーニアに悪戯をしようと企み、妖精のパックに命令する。ついでにそぼろに冷たくするデミにも媚薬を使おうと思いつく。しかし悪魔メフィストフェレスが現れ、パックの役目を盗みとる。そこに「ハナキン」に出入りしている業者の面々が結婚式の余興の稽古にやって来て、事態はてんやわんやに……。
 実際の舞台を見た印象では意外と野田秀樹の印象は強くない。祝祭音楽劇「夏の夜の夢」と銘打たれているように全編は打楽器を主体とした音楽に彩られて進行していくし、それぞれの登場人物も野田秀樹の演出時のように走り回ったりはせず、また速射砲のようなセリフ回しもない。セリフはほとんどが舞台正面を見てしっかりと語られる。役名などは野田流に書き換えられたりはしているが、前半の4人の恋人たちが「知られざる森(アーデンの森)」を彷徨うようになるあたりまではほぼ原作に忠実な筋立てゆえに野田戯曲というよりはむしろ、宮城版「真夏の夜の夢」という感触を強く感じた。
 ただ作劇上の変更でもっとも大きな変更点は原作ではパックのいたずらで混乱が生じたという部分をファウストにも登場する悪魔、メフィストフェレスを登場させ、この悪魔が明確な悪意からパックの仕事を乗っとり、妖精の森の世界に大混乱をせしめるという筋立てに変更していることだ。このメフィスト登場の意味合いは3・11後の上演としては大きかったのではないかとも思った。いずれにせよ、これまで見た「真夏の夜の夢」のなかでも上質の舞台であった。
 この「真夏の夜の夢」の舞台の肌ざわりは「天守物語」「王女メディア」といったク・ナウカ時代の作品とはまったく異なっていた。キャスティングでもこちらはタイテーニア役のたきいみきをはじめSPAC育ちの役者たちを中心に据え、「天守物語」とは一線を画した。アフタートークでの宮城の発言によればこの舞台では俳優はレチタティーヴォとアリアではなく、「詩」「音楽」「世話」の三文法により演技を構成した。それによって「職人たちに代表される庶民の世界/貴族たちの世界/妖精たちの世界」で構成されているシェイクスピアの世界をすべて舞台に載せてしまうような劇世界が捉えられるという。
 つまり、逆に言えばク・ナウカの旗揚げ公演はやはりシェイクスピアの「ハムレット」であり、これを宮城は失敗作と位置づけていた。このほかに「マクベス」「オセロー」もク・ナウカ時代に挑戦してはいるが、こうした直線的な物語構造の悲劇はともかく、「ハムレット」「真夏の夜の夢」といった物語の構造が重層的なテキストはレチタティーヴォとアリアの二分法により至高へと向かうク・ナウカの方法論にはなじみにくいのだ。
「詩」「音楽」「世話」の演技の三文法
 そこで今回登場したのが「詩」「音楽」「世話」の演技の三文法というわけだ。「詩」というのは「詩の復権」という際の「詩」なのだが、これがそれほど簡単ではない。一般に「詩」といえば朗誦するように歌うセリフのことをさすと思いがちだが、宮城の定義によればそれは「詩」とはいえない。「詩とは天から降ってくる隕石のようなものだ」と宮城は例える。だが、この説明も分かりやすいとはいえないだろう。
 私なりに解釈すれば「詩」というのは役者の内部から表出されるものではなく、例えば「旧約聖書における神の啓示のように天から降ってくる、つまり絶対的な外部性を持つものだ」と言うことができるかもしれない。この説明からするとク・ナウカにおけるアリアは大部分が感情の発露のような表出的なものであるがゆえに「詩」ではない、ということが分かる。「それではなにか」というとやはりそれは「音楽」だということになるかもしれない。つまり、ここで「音楽」としてのセリフはアリアとアリアではないけれどレチタティーヴォほど説明的でもない音楽的なセリフも含むということになるようだ。
 もっとも、この方法論はまだ始まったばかり。演技に対して使う言葉について宮城自身にも聞いてみたのだが、その使用概念にはまだ若干、未整理な部分があるようだ。
 というのは「真夏の夜の夢」では例えば職人たちのセリフには「詩」はなく、「世話」と「音楽」からできているという。だが、逆に「貴族である恋人たち」のセリフは「詩」「音楽」そして若干の「世話」からできているという時にどうやらこの場合の音楽には野田秀樹特有の長台詞のモノローグ(つまり、これはク・ナウカに当てはめればアリア的なセリフとなる)を含むが、この時の「音楽」と職人のセリフの音楽(こちらはアリアというよりは意味のない鳥の囀り的なセリフを指してることが多そう)とが同じ意味内容とは思えない。さらに森に迷いこんだ恋人(貴族)たちのセリフも多くが修辞的なものであり、ここは「音楽」的にうたう部分といえるのかもしれないが、同じ「音楽」だとしてもこれと最後の方のアリア的なセリフは質が違うであろう。
 もうひとつの混乱は宮城がこれを「ペール・ギュント」から試みている新ジャンルに「祝祭音楽劇」と名付けてもいることである。ここでの「音楽」は「セリフの音楽」ではなく文字通りに楽器演奏のことだ。これについて俳優がときどき生演奏をやる、あるいは演奏家がときどき芝居じみたことをやるというのではなく、舞台上の人が演技しているときと演奏しているときとが、同じ比重でそれにより世界全体を描くことが可能になると会見の席などで説明しているようなのだ。
 どういうことかというと「コトバを獲得する前の半分」と「コトバを獲得した後の半分」が、人間を形成しているが、コトバは本当の意味では2度とくり返せない。同じことを言ったとしても1回目に言ったこととは違ってしまう。それに対して、「獲得する前」の方は──動物とかがそうですが、呼吸とか、あるいは心臓の鼓動とか、くり返すことを本質にもっている。気持ちいいコトは、つねにくり返す。ダンスとか音楽というものは、くり返すという本質を持っている。繰り返しがない単線ですすむコトバと、くり返す本質を持っている音楽。その両方を半々づつやることによって、人間全部を描ける。こちらが「祝祭音楽劇」についての説明だが、どうやらこの「真夏の夜の夢」ではこの「祝祭音楽劇」と先に挙げた「詩の復権」を担う演技の三文法という異なる2つの実験が同時進行で試みられたようなのだ。
 このうち「祝祭音楽劇」の方は比較的にその成果と狙い、そして達成度が分かりやすいのに対して、残念ながら「詩の復権」の方はまだまだ発展途上。正直言って宮城の説明を聞いた後でもどういう演技が「詩」にあたり、演技のやり方でそれが正解なのかどうかが判然としなかった。
 「最弱の身体」「隕石にあたって穴だらけになった」「その人を超えたところから、その人に襲い掛かるもの」「それに出会うと身体自体が変わってしまい元のままの自分ではいられなくなるもの」。宮城はいろんな言葉で「詩」がどういうものかというのを説明しようと試みているのだが、現在のところ、上演をいくら思い起こしても「これが詩の演技だ」というイメージが焦点を結ばない。
 むしろ、説明を聞けば聞くほど「そんなことは人間業では不可能だろう」との思いを強くするのだが、それでも単なる夢想家と片づけてしまえない理由がはっきりとある。
 それは私が最初にク・ナウカを見た時*4にやはり実際の上演と宮城が話す「ク・ナウカ像」にギャップを感じて今回の舞台の後、「詩」について問いただしたように宮城に問いただしたことがあったのだが、今でもはっきりと覚えているが当時「どの程度考えていることが舞台で具現しているか」の質問に2〜3割と答え、その低い数字にまず驚いた。だが、それだけではなく、「メンバーにこういう手順で訓練を積ませれば実現は可能です」と明確に答えただけではなく、その時に語っていたク・ナウカの演劇を2年後の「エレクトラ」で実現してみせたからだ。
 それだけに宮城が「詩の復権」と呼ぶ演劇の姿は現時点ではまだまだ水面下で実現されてはいないが、それがSPACの新たな挑戦として具現化する日を楽しみにして次の作品を待ちたいと思うのだ。






 
 

 
 

*1:[セミネール]「平田オリザと関係性の演劇」 Web版講義録http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000227

*2:宮城聰インタビュー1998年 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000331

*3:オリビエ・ピィ作品でも「グリム童話」を上演した

*4:「チッタ・ヴィオレッタ」@恵比寿イーストギャラリー=1993年