下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

「ダンス×アート 源流を探る ピナ・バウシュ」セミネールin東心斎橋WEB講座

【日時】2012年1月31日(火)p.m.7:30〜 
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて
【料金】¥1500[1ドリンク付]
 セミネール新シリーズ「ダンス×アート 源流を探る」では80年代に日本に衝撃を与え、日本にコンテンポラリーダンスというジャンルが誕生するきっかけを作った海外アーティストを紹介していきたいと考えています。第1弾として5月にはW・フォーサイス*1を取り上げました。その後、別企画が続いたことなどでずいぶん時間が経過したのですが、今回は「源流を探る」の第3弾としてピナ・バウシュを取り上げたいと思います。   
コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 
 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。昨年から開始した新シリーズ「ダンス×アート」ではジャンルが一般化してから30年近い歳月がたちどこか閉塞感がただようような最近のコンテンポラリーダンスの状況に風穴をあけるためにも、「新鮮な驚きを私たちにもたらしたコンテンポラリーダンスとはいったい何だったのか」というのをもう一度原点に返ってじっくりと考えてみたいと思います。
 これまでレクチャーではウィリアム・フォーサイスローザス=ケースマイケルを取り上げてきましたが今回は与えた影響の大きさにおいてはその2人にひけをとらないどころか日本のコンテンポラリーダンスにはもっとも大きな影響を与え、そして現在も与え続けているピナ・バウシュを取り上げます。
 一昨年の突然ともいえる死去*2は私たちを驚かせるとともにファンを嘆かせましたが、2月には世界初の3Dダンス映画としてヴィム・ヴェンダース*3が製作した「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」が日本でもついに封切りになり、それに合わせて再評価の機運にも拍車がかかりそうです。
「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」予告編

 この映画はすでに大阪ヨーロッパ映画祭のオープニング上映として私も見たのですが本当に素晴らしい出来栄えのもので、2月の封切りの際にはピナのファンはもちろんそうでない人もぜひ一度は見てほしいのですが、今回はその前に「予告編」的にピナ・バウシュとはどんな振付家であったのかということについて、映像を交えながら楽しんで知ってもらいたいと思います。

1940年ドイツのゾーリンゲン生まれ。実家はカフェレストラン。14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でクルト・ヨースに師事。18歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダーの勧めによりメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団などで活動。
1962年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学の教授にもなっている。同年の作品 『時の風の中で』 がケルンの国際振付家コンクールで1位を獲得した。
1973年、ヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任する。
ドイツ表現主義舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼ぶ。
1983年フェデリコ・フェリーニ監督の映画 『そして船は行く』 に出演。 1999年坂本龍一オペラ 『LIFE』 に出演。 2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品 『トーク・トゥ・ハー』 の冒頭で代表作である「カフェ・ミュラー」を彼女自身が踊っている。
2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で死去した。日本では前年(2008年)4月2日の滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホールで、『フルムーン』を踊ったのが最後の公演であった。

 以上の経歴を見れば分かるようにピナ・バウシュは当時ノイエタンツなどとも言われていたドイツ表現主義舞踊の本山であるエッセンのフォルクヴァンク芸術大学の出身で、ここでクルト・ヨースに師事した後にアメリカに留学します。アメリカではジュリアード音楽院舞踊家でアントニー・チューダーらにも学び、その後、ダンサーとしていくつかのバレエ団でも踊りますが、渡米したのが1958年、ドイツへの帰国が69年ですから、マーサ・グラハムからマース・カニングハムそしてジャドソン教会での前衛的な実験の息吹をほぼ同時代で体験したわけで、バレエ団に所属していたこともあり、モダンダンス、ポストモダンダンスのなかに直接いたわけではありませんが、同時代の表現者として強い影響は受けました。
 京都賞受賞の際の講演の中でもピナは「当時のアメリカのダンス界は、ジョージ・バランシン、マーサ・グラハム、ホセ・リモン、マース・カニングハムといった卓越した人たちが活躍する黄金時代でした。私が学んだジュリアード音楽院の教授陣も、アントニー・チューダー、ホセ・リモン、グラハム舞踊団のダンサーたち、アルフレッド・コルヴィーノ、マーガレット・クラスクといった顔ぶれでした。さらに、ポール・テイラー、ポール・サナサルド、ドーニャ・フォイアーらとも数え切れないほど一緒に活動しました」と話しているのですが、そういう影響の元でピナ・バウシュは最初の作品創作をはじまるわけです。
京都賞の講演 http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k23_c_pina/img/lct_j.pdf
乗越たかお http://eplus.jp/sys/web/s/pina/index2.html
 それではドイツ表現主義舞踊について少し説明しておきたいと思います。バレエに対しての新舞踊が20世紀初頭に世界各地で出てくるわけですが、アメリカのモダンダンスに対して、ドイツで登場した新しいダンスをノイエタンツあるいはドイツ表現主義舞踊といいます。これはまずアメリカのイサドラ・ダンカンらに対して、ドイツにマリー・ヴィグマンが出てきたことから始まります。短い抜粋しかありませんが、これがマリー・ヴィグマンの映像です。彼女の代表作で「魔女の踊り」と言われているものです。
Mary Wigman

 マリー・ヴィグマンの次に出てきたのがクルト・ヨースという人で、その代表作がこの「緑のテーブル」。ピナ・バウシュはこの人の直弟子ということになります。ウッバタール舞踊団の芸術監督にピナが就任したのは1973年なのですが、その最初のプログラムではピナ自身がこの「緑のテーブル」と米国留学中に学んできたと思われるアグネス・デ=ミルのバレエ「ロデオ」を踊っています。 
Kurt Jooss - La Mesa Verde (1932)クルト・ヨース「緑のテーブル」

アグネス・デ=ミル「ロデオ」

Susanne Linke 「Frauenballett」

Susanne Linke created „Frauenballett" in 1981 for the Folkwang Tanzstudio (FTS). The piece became successfull immediately -- the FTS toured all around the world with it -- and numerous companies put it on their playing schedule. In 1992/93, Susanne Linke again produced „Frauenballett with dancers of Folkwang Tanzstudio - and very recently in 2010 as part of the „2nd Biennale Tanzausbildung". The revival celebrated on 4 March premiere in Essen.

Pina Bausch - Das hat nicht aufgeh醇rrt, mein Tanzen ...

ピナ・バウシュドキュメンタリー(2006) http://www.ubu.com/film/bausch_linsel.html
Choreographer Pine Bausch (April 2009)

Another amazing excerpt from the 2008 Paris production of Pina Bausch's 1975 choreography to Gluck's opera of Orpheus and Eurydice. "Choreography" has become too small a word for me when describing Bausch's accomplishment with this opera. This is a triumph on every level that actually surpasses the opera itself when in almost every case in history opera serves as nothing more than a Mephistopheles for the performance artist, literally the devil. Everyone thinks they can interpret opera with dance or some kind of movement when opera is already a full work, it's beyond full, it's bloated. It seldom stops when it should and is often more than anyone needs...all opera is done in 2 hours yet none are less than 2 and a half.

When choreographers and performace artists play with opera, it's like a child playing with matches in a barn while having an epileptic fit during the worst drought in 30 years: no good can come of it. But one pulled it off. Pina Baush was one of the most complicatedly understated artists of our time (that made sense even though it sounded like it didn't). I didn't get her for a long time. I liked Cafe Muller because I thought it was like a Saturday Night Live sketch and compared to MacMillan and Bejart and everyone who butchered Stravinsky's "Rite of Spring" in the absence of Nijinsky's 70 year long lost choreography, I thought Bausch's was the least ridiculous. But it wasn't until I found her work to "Orpheus" that I was struck by her genius. Now I can see her other work more clearly. Maybe you see it too.

Unfortunately the quality of this clip sucks. AND the shot should have been wider because there is so much more happening on the stage than what was filmed. I looked everywhere for something better. Nothing. Best I could find.

Das Tanztheater der Pina Bausch

Pieces

1973
FRITZ
Dance-evening by Pina Bausch
Music: Gustav Mahler, Wolfgang Hufschmidt
This program was completed by „The Green Table“ choreography Kurt Jooss and „Rodeo“choreography Agn醇Qs de Mille

IPHIGENIE AUF TAURIS (IPHIGENIA IN TAURIS)
Dance-opera by Pina Bausch
Music: Christoph W. Gluck
IPHIGENIE AUF TAURIS de Christoph Willibald Gluck (2010-11)

1974

ICH BRING DICH UM DIE ECKE (I´LL DO YOU IN)
Popmusic ballet by Pina Bausch

ADAGIO – FIVE SONGS BY GUSTAV MAHLER
by Pina Bausch

1975

ORPHEUS UND EURYDIKE◎
Danceopera by Pina Bausch
Music: Christoph W. Gluck
Orphee et Euridice - Pina Bausch

このように最初の数年間は、私にとってとても難しい時期でした。苦しいこともありました。しかし、私は物事を簡単に投げ出すような人間ではありません。一筋縄ではいかない事態でも、私は逃げません。どんどん仕事を進めました。他にやりようがなかったのです。どのように私が考えるのかを話し続け、行うよう試みました。そうしなければなりませんでした。
そんな時に私を助けてくれる一人の男性が現れました。それがロルフ・ボルツィクです。『オルフェウスとエウリディーチェ』が、ヴッパタールで初めて彼とともに創った作品です。ロルフ・ボルツィクと私は仕事を一緒に行っただけでなく、共同生活も始めました。私たちは、フォルクヴァンク・シューレの学生時代からの知り合いでした。彼はグラフィック専攻で、デザインに卓越した才能を持ち、写真家であり、画家でもありました。学生時代からありとあらゆる発明を行っていて、例えば、水上走行も可能な折りたたみ自転車などを開発していました。彼はあらゆる技術的な物や、飛行機や船の開発に関心がありました。非常にクリエイティブな人でしたので、まさか自分が舞台美術家になるなどとは考えもしなかったでしょう。同様に、私も自分が振付家になるなど全く思いもしませんでした。ただ踊りたかっただけなのです。私たちは二人とも、なるべくしてそうなっただけのことなのです。
共同作業は、非常に密度の濃い集中的なものでした。私たちはお互いから刺激を受け、どの作品においても何千ものアイデアを出し、おびただしい数の案を作りました。新しい作品の成立過程で、質問し、試み、迷い、そして絶望している時ですら、私たちは相手を信頼することができたのです。ロルフ・ボルツィクは、いつもすべてのリハーサルに立ち会いました。常にそこにいて、私をいつも支え、守ってくれました。彼の想像力は豊富で、途切れることがありませんでした。
七つの大罪』では、彼は舞台技術者と劇場から街中へ出て行き、ある道路の型を取ってきました。舞台上の道路が本物らしく見えるようにするためです。彼は舞台美術家として、自然の物をステージ上に登場させた最初の人物です。例えば、『春の祭典』では舞台は土で覆われましたし、『青髭』では落ち葉、『私と踊って』では木や薮や柴、『アリア』ではついに水まで使用しました。すべて70年代の作品です。大胆かつ美しいプランでした。そのうち、動物も舞台に登場するようになります。カバやワニも、彼の発案でした。いつも劇場の工房では、「そんなこと無理だ」とまず言われました。しかし、ロルフ・ボルツィクはどのようにすれば実現するかを知っていて、すべて実現させてしまったのです。彼自身は、自分の舞台を「自由な活動空間」と呼んでいました。彼の言葉に従えば、「我々を楽しくさせ、残酷な子供にする空間」だというのです。ダンサーたちは皆、彼を尊敬し、とても愛していました。彼が撮ったリハーサルや公演時の写真は、親近感にあふれ、情愛に満ちています。誰もこのような見方はできません。
彼の最後の舞台美術作品は、『貞女伝説』です。私たちは彼がもはや長くは生きられないということをずいぶん前から知っていました。しかし、この『貞女伝説』という作品は悲劇的な痛ましい作品ではありません。ロルフ・ボルツィクは、愛を求める気持ちと生きる喜びとが共存する舞台となるよう望んでいました。1980年1月、ロルフ・ボルツィクは長い闘病生活の末、亡くなりました。35歳でした。
DAS FR遵礬LINGSOPFER (THE RITE OF SPRING)◎
by Pina Bausch
Music: Igor Strawinsky

1976

Die sieben Todsünden (THE SEVEN DEADLY SINS)ブレヒト七つの大罪
The Seven Deadly Sins Of The Petty Bourgeoisie and Don't Be Afraid
Dance-evening by Pina Bausch
Music: Kurt Weill, Text: Bertolt Brecht

1977

青髭」BLAUBART - BEIM ANH遵ムREN EINER TONBANDAUFNAHME VON BELA BARTOKS "HERZOG BLAUBARTS BURG" (BLUEBEARD - WHILE LISTENING TO A TAPED RECORDING OF BELA BARTOK'S "DUKE BLUEBEARD'S CASTLE)
A piece by Pina Bausch
Pina Bausch : Barbe Bleue「青髭

問いかけによって創り上げるという方法も、新しく採り入れたものでした。すでに『青髭』で、いくつかの役柄のためにダンサーに質問するというやり方を始めていました。その後、ボーフム劇場で初演したマクベスに基づく作品『彼は彼女の手を取り城に誘う—皆もあとに従う』では、この方法をさらに進化させました。4人のダンサー、4人の俳優、1人の女性歌手と1人の菓子職人が登場する作品です。この作品では、もはや決まりきった動きを用いるわけにいかず、どこか別の所から出発する必要がありました。(中略)
いわゆる「質問」、つまり、私が常に自分自身に対して問いかけていることを彼らに投げかけました。この制作方法は、土壇場から生まれてきたものです。これらの「質問」は、テーマに手探りで注意深く近づくための手段です。非常にオープンな作業であると同時に、非常に正確な方法でもあります。質問は、私が自分一人では全く考えもつかなかったような多くの事柄へ案内してくれるのです。

「私と踊って」2010年 KOMM TANZ MIT MIR (COME DANCE WITH ME)◎
A piece by Pina Bausch


RENATE WANDERT AUS (RENATE EMIGRATES)
Operetta by Pina Bausch

1978

ER NIMMT SIE AN DER HAND UND F遵礬RT SIE
IN DAS SCHLOSS, DIE ANDEREN FOLGEN... (HE TAKES HER BY THE HAND AND LEADS HER INTO THE CASTEL, THE OTHERS FOLLOW ...)
A piece by Pina Bausch,
In coproduction with Schauspielhaus Bochum

「カフェミュラー」CAFE MULER◎
A piece by Pina Bausch

「コンタクトホーフ」KONTAKTHOF◎
A piece by Pina Bausch

1979

「アリア」ARIEN (ARIAS)
A piece by Pina Bausch

「貞女伝説」KEUSCHHEITSLEGENDE (LEGEND OF CHASTITY)
A piece by Pina Bausch

1980

1980 - A PIECE BY PINA BAUSCH
A piece by Pina Bausch


そうしてできた作品が、『1980年—ピナ・バウシュの世界』です。リハーサルで私たちはいつものように、子どもの頃についてのたくさんの質疑忚答をしました。私はこの時、ペーター・パプストという舞台美術家(彼は劇場や映画製作の現場で多くの演出家とともに仕事をしていた人です)に、一緒に仕事をしないかと尋ねました。彼から、『1980年』の舞台美術を担当してもよい、という承諾を得られたのは大きな幸運でした。
ペーター・パプストと私は、すでに27年以上も、これまでにない作品を創るという冒険に意欲的に関わり合ってきました。それだけではありません。彼は大切な舞台美術家であるばかりか、アドバイスや実践を通して、私たちや舞踊団全体のために不可欠な存在になったのです。たくさんの舞台空間が生まれました。

1980年、チリのサンティアゴでの客演中に、私は人生のパートナーとなるロナルド・カイと知り合いました。彼は詩人で、チリ大学で美学と文学を教える教授です。1981年に私たちの息子ロルフ=サロモンが生まれて以来、ヴッパタールで一緒に暮らしています。私は、人がどのように死ぬのかを経験しなければなりませんでしたが、同時に、人がどのように生まれてくるのかを経験することもできました。そうした出来事によって、いかに世界の見方が変化するかということも体験しました。子どもがどのように物事を経験するか、子どもがいかに偏見にとらわれることなくすべてを観察するか、どれほど自然や人に信頼を寄せるかを見てきました。自分の身体で何がどのように起こっているのか、身体がどのように変わるのかという体験とは別に、一人の人間の誕生を丸ごと把握しました。自分が何もせぬまま、すべてが起こるのです。こうした体験が、どれほど私の作品と仕事に流れ込んでいるか計り知れません。

1981

バンドネオン」BANDONEON
A piece by Pina Bausch

1982

WALZER
A piece by Pina Bausch
In coproduction with „Holland-Festival“

カーネーション」NELKEN (CARNATIONS)
A piece by Pina Bausch
Chor醇Pgraphie: Nelken de Pina Bausch 醇A N醇ames「カーネーション

1984

AUF DEM GEBIRGE HAT MAN EIN GESCHREI GEH遵ムRT (ON THE MOUNTAIN A CRY WAS HEARD)
A piece by Pina Bausch

1985

TWO CIGARETTES IN THE DARK
A piece by Pina Bausch

1986

「ヴィクトール」VIKTOR◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Teatro Argentina, Rome


1987

「アーネン」AHNEN
A piece by Pina Bausch

1989

パレルモパレルモ」PALERMO PALERMO◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Teatro Biondo Palermo and Andres Neumann International


1990
「嘆きの皇太后」DIE KLAGE DER KAISERIN
Film by Pina Bausch

1991

TANZABEND II
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Festival de Oto醇oo, Madrid

1993

DAS ST遵磴K MIT DEM SCHIFF (THE PIECE WITH THE SHIP)
A piece by Pina Bausch

1994

EIN TRAUERSPIEL
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Wiener Festwochen

1995

「ダンソン」DANZ遵マN◎
A piece by Pina Bausch

1996

NUR DU (ONLY YOU)
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the University of California in Los Angeles, the Arizona State University, theUniversity of California in Berkeley, the University of Texas in Austin and Darlene Neel Presentations and Rena Shagan Associates, Inc. and The Music Center Inc.

1997

「フェンスタープッツァー」DER FENSTERPUTZER (THE WINDOW WASHER)◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Hong Kong Arts Festival Society and Goethe Institut Hong Kong

1998

MASURCA FOGO
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the EXPO 98 Lissabon and the Goethe Institut Lissabon
Pina Bausch : Masurca Fogo (Extrait)

1999

O DIDO
A piece by Pina Bausch
In coporduction with the Teatro Argentina in Rom and Andres Neumann International

2000

「コンタクトホーフ」KONTAKTHOF◎
Mit Damen und Herren ab „65“
A piece by Pina Bausch
http://www.ubu.com/film/bausch_kontakthof.html
http://www.ubu.com/film/bausch_kontakthof.html
WIESENLAND
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Goethe Institut Budapest and the Th醇P醇Ctre de la Ville Paris

2001

「アグア」遵檬UA
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Brazil, the Goethe Institute Sao Paolo, and Emilio Kalil

2002

「過去と現在と未来のこどもたち」F遵祿 DIE KINDER VON GESTERN, HEUTE UND MORGEN (FOR THE CHILDREN OF YESTERDAY, TODAY, AND TOMORROW)
Ein St醇・k von Pina Bausch

2003

「ネフェス」NEF遵ッS
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the International Istanbul Theatre Festival and the Istanbul Foundation of Culture and Arts

2004

「天地」TEN CHI
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Saitama Prefecture, Saitama Arts Foundation, Japan, and Nippon Cultural Center


2005

「ラフカット」ROUGH CUT
A piece by Pina Bausch
In coproduction with LG Arts Center and the Goethe-Institute Seoul, Korea

2006

「フルムーン」VOLLMOND (FULL MOON) ◎
A piece by Pina Bausch

2007

BAMBOO BLUES
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Goethe Institutes in India



2008

‘SWEET MAMBO’
A piece by Pina Bausch

「コンタクトホーフ」ティーンエイジャー編KONTAKTHOF
Mit Teenagern ab '14'
A piece by Pina Bausch

2009

"...COMO EL MUSGUITO EN LA PIEDRA, AY SI, SI, SI ..."
In coproduction with Festival Internacional de Teatro Santiago a Mil in Chile and with the support of Goethe-Institut Chile.
In cooperation with Andres Neumann International