下北沢通信

中西理の下北沢通信

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フェスティバル/トーキョー「ブルーシート」を巡って考えたこと

 2015年の日本現代演劇を振り返るとこの年が「戦後70年」であったことを反映してか、過去の歴史への認識の問題に焦点を当てた作品が目立った。シアターアーツが今回の特集を「忘却の痕跡――『戦後70年』を経て」としたのはこうした作品傾向を反映したものだったかもしれない。昨年秋の「フェスティバル/トーキョー2015」でもシェイクスピアの「テンペスト」を下敷きに日韓共同制作により両国の過去の一時期にあった歴史の問題に切り込んソン・ギウン作×多田淳之助演出の富士見市民文化会館 キラリふじみ「颱風(たいふう)奇譚」などがあった。しかし、実は私が個人的に歴史とは何なのか、「忘却の痕跡」とは何なのかをもっとも考えさせられたのは飴屋法水いわき総合高校の生徒10人が上演した震災劇「ブルーシート」(2013年)の再演だった。それはどういうことなのか。これから考えていくことにしたい。
 「ブルーシート」が初演されたのは2013年。もともと福島県いわき総合高校のコミュニケーション教育の一環で授業の発表公演として上演されたものだ。東日本大震災原発事故後の風景とそこで生活する高校生たちのたわいのないやりとりを、不在の「11人目」を軸に描き、生と死、その絶望のなかで希望がどこにあるのかを問いかけた。わずか2日間の公演にもかかわらず、飴屋が同作品で岸田戯曲賞を受賞するなどもあって、大きな反響を呼んだ。
 この「ブルーシート」という作品を「フェスティバル/トーキョー2015」の上演演目として再演するという話を最初に耳にしたときには正直言って戸惑いを隠せなかった。そもそも「ブルーシート」は先にも書いたように福島県いわき総合高校の発表公演として同校の在学生により授業の一環として上演された特別な作品であった。岸田戯曲賞の選考の際にもそうした作品に賞を与えることの是非が議論されたと聞くが、それを初演から2年の年月が経過し、初演の出演者もみな卒業している15年に「再演」することに意味があるのか。東日本大震災と福島第1原子力発電所事故により二重に被災地となった福島県で彼ら自身も「被災者」とならざるをえなかった高校生らによって演じられた。描かれていることはあくまで飴屋の創作であり、出演者らの直接の体験そのままではないとはいえ、それでもきわめて「ドキュメント性」の高い作品であり、しかも初演のいわき総合高等学校では演じる方もそれを見る観客もそれぞれ個人個人体験に差はあるとはいえ被災体験を共有しているなかで上演されたものでもあった。福島から遠く離れた東京で上演してそれを「再現」することにもどれほどの意味があるのかと考えざるを得なかった。
 飴屋の舞台において現役高校生らによる再演には前例があった。飴屋は静岡県舞台芸術センター(SPAC)の企画制作により平田オリザ脚本による「転校生」を2007年に上演。この作品は2年後の2009年の「フェスティバルトーキョー春」において再び同じ静岡で募集された現役高校生らによるキャストで再演、高い評価を得た。
 今回フェスティバル側が飴屋に「ブルーシート」の再演を依頼したのは第1には「ブルーシート」が岸田戯曲賞を受賞した評価の高い作品であるのにもかかわらず高校の学内公演として2ステのみの上演だったこともあり、実際に公演を見ることのできた人は少数だった。それでこれを広く知らしめようという狙いがあったと思われる。さらにフェスティバル/トーキョーのような大規模な演劇フェスではこれまで高校生のキャストを公募して作品を製作することあっても高校生が上演した作品自体を招へいするということは珍しかったがこれに関しては前年に正式招へいし上演した青森中央高校による高校演劇「もしイタ 〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」が大好評だったことの後押しもあったかもしれない。そして、上演作品の候補として「ブルーシート」が挙がってきた時点においては「転校生」の上演実績があったことも実現を助けたのに違いない。
 ただ、「もしイタ」や「転校生」と「ブルーシート」の間には根本的に違いがある。同じ震災劇とはいっても話自体が「もしイタ」は基本的にフィクションであり、初演以来青森中央高校の演劇部によりキャストが入れ替わりながら、毎年演じ継がれてきている。一方、飴屋による「転校生」は94年に平田オリザの手により初演された創作戯曲を07年に飴屋がいわば新解釈により再製作。09年の飴屋版再演はSPACの地元の静岡で再びキャストを再募集しながら上演は07年版を踏襲した「再演」であった。
 それでは今回の「ブルーシート」再演の何が気にかかったのか。最大の懸念は「もしイタ」「転校生」とは違い「ブルーシート」はドキュメント性の高い作品であり、実際の「被災」という事実性を背景としていたこともあり、例えば「転校生」のように現在の在校生の中から新キャストを選び、初演を「再現」することでは初演時にあった「切実さ」をどこまで維持できるのかという疑問があったからだ。
 ところが実際に上演を見てみると私の考えていたことはまったくの杞憂というのが分かった。それは「再演」とは言いながらも今回の「ブルーシート」が初演時とはまったく別物に仕上がっていることが明らかになったからだ。最初に気がついたのは「ブルーシート」のキャストは新キャストを募集したのではなく、一部を除いて初演キャストがほぼ出演していたこと。高校生がそのまま高校生を演じていた2年前と比べて、卒業して2年がたつ彼らが演じる高校生は初演と比較すれば演技の趣きの強いものとなっている。実はこれが2年という歳月の作る対象との距離の遠さということになるだろうが、飴屋はことさら彼(彼女)らを「高校生らしく」演じさせたりはしない。舞台の最後まで見ていくとここで提示されるのは「2年後の現在の彼(彼女)ら」であり、そこでは劇中で彼らの多く(出演者についていえば1人を除いてほぼ全員)が現在福島には住んでおらず関東圏に暮らしていることが語られる。
 形式的にも大きな変更がほどこされた。変更点のうち最大のものは劇の冒頭部分でモニターに映像が映し出されて、そこでは2年前の初演の際に上演前に実際に行われた校長先生の挨拶が映し出される。そして、その映像についてこの挨拶の後で校長ががんにより倒れ亡くなり、いまはもういないということが作者である飴屋自らの口から語られる。
 この映像には一見2年前の再現を映像記録の助けを借りて行ったかにも見えるがそうではない。初演では校長の挨拶はあくまで上演前に行われたセレモニーにすぎなかったが、今回の映像は作品の一部だからだ。今回の「ブルーシート」では作品のそこここで初演から経過した2年の歳月が暗示されるが、校長の映像(ならびにもうここにはいない)ということは初演の「再現」としてこの2年の距離をなかったことにするのではなく、その逆に2年があったことを象徴するような形で提示されるのだ。
 もうひとつは校長先生の死を通じて「ブルーシート」という舞台のメインモチーフである「死」という主題の最初の提示されるという役割。ある団体の企画による「ブルーシート」についての感想を語る会で「校長のがんによる死は放射能の影響によるものじゃないか」と言い出した人がいた。甲状腺がんならともかくそうではないと聞いてはいたので「そんなはずはないと思う」と答えると「なぜそんなことが断言できるのか。そんなことを断定口調で言うのは上から目線だというような趣旨の批判を受け唖然とさせられ。もっとも校長の死が震災と無関係かというと原発事故も含め被災のごたごたで通常だったら発見されていたはずのがんの発見が遅れたというようなことは考えられる。そういう意味も込め、「震災と死」の象徴としてこれがここに置かれたということは間違いないだろう。
 実は今回の舞台を最後まで見るとそのことはより明確になってくる。見終わった後で「これこそが再演の意味だったのではないか」と得心させられた。最後のシーンでもう一度映像が流されるのだが、その映像には初演に出演したが今回の舞台には出演していない女性が映し出され、「実はこの再演の舞台に自分も当然出演するつもりだったのだが、できなくなった」などと語りだす。そして、その理由は子供が生まれる(生まれた)からだというのが最後に判明する。そして、そのことにより、この再演版の「ブルーシート」では本編部分はそれぞれ「死」「誕生」を象徴する2つの映像にはさまれて入れ子として存在しており、初演では中心的なモチーフとして提示された「ブルーシート」をはじめ、そこには無数の「死のイメージ」がちりばめられているのは初演とかわらないが、それが「死→誕生(生)」という明確な外枠のイメージに囲い込まれているのが大きな違いだ。
 岸田戯曲賞の受賞後の最初の「再演」だということもあって、劇中のセリフ自体の変更はほとんどないのだが、おそらく2年前の上演と今回の上演ではセリフの意味するところがまったく変わってしまっているセリフがいくつかある。そのひとつが冒頭に近くシーンでなされる「人数確認」の場面。ここで舞台にいる出演者は10人なのになぜかカウントは11まで数えられる。今回の舞台ではこれが最初なんのことか分からなかったが、舞台を最後まで観終わって感じたのは、この11人はいま生まれてきている赤ん坊のことではないのだろうかと感じた。それでこのカウントが11であるというのを今回付け加えられたものかと考えていたのだが、戯曲集などで「ブルーノート」の初演時のテキストを再確認してみるとこの部分は初演の通りで変わっていないということが分かった。
 もう一度初演のテキストを読み直してみると、この11人目というのはこの原稿の冒頭にも「不在の11人目」としたようにいまここにいない大勢を象徴しているわけだが、当然そのなかには震災の犠牲者である無数の「死者たち」の意味合いも込められていたであろう。今回の舞台でもそうした意味合いはまったくないわけではないが、最後の映像が付け加えられたことで、この部分には生まれてくる赤ちゃんのイメージを媒介として「これから生まれてくる無数の人々」の意味合いが一層深く込められているように感じられた。
 そして、「震災から4年」「初演から2年」という歳月が短いながらも確実に対象(この場合は例えば震災)との距離は変わっているということを描くということが再演の意味だと思ったのだ。
 「戦後70年」などと一言で言って、戦争体験の風化などということも言われ、そうしたさまざまな歴史的な事実を風化させないために舞台にするなどということもよく言われる。私がそういうもの言いに対し、そらぞらしさを感じざるをえないのはそうした舞台の多くが歴史的に起こってきたことを疑うことがなく、確定的な史実として描き出し、例えば戦争責任について問うたり、忘れられた重要な問題に再び光を当てたなどとしていることだ。
 「ブルーシート」などを見てて感じるのは事実を再現しようと考えたりした時に震災までのわずか4年の歳月どころか、2年という短い時間でさえ、対象との距離を絶望的に離れさせているというのにである。
 先ほど最近あった放射能に関するやりとりを短く紹介したが、震災後のある時期には実はそういうやりとりが無数にあって、地震についての直接的な被害がほとんどない大阪に住んでいながら、例えば原発放射能の問題についての会話を他人と交わした際にあまりにもコミュニケーションがうまく成立しないことに絶望的な感覚を覚えることがあった。そういう感覚さえもそうした軋轢を無意識に避けるスキルがしだいに次第に向上することなどもあって、最近は感じることが少なくなり、それこそ「忘却の痕跡」だけがわずかに残っている状況にあるが、「ブルーシート」をまつわる会話はそうした感覚をひさしぶりに思い出させてくれる貴重な体験だった。
 新聞、テレビでは「戦後70年」を巡る常套句が毎日のように報道されたが、そもそも70年も前のものを「確実な事実」として言及するような言説はすべて安易なものに過ぎないのではないか。「何々があった」という言説も「何々はなかった」という言説も同等にまずは「疑わしい」と考えることからはじめねばならない。