下北沢通信

2020東京五輪開会式座談会

野田 今の日本はこういうものだよとアピールするというのは今までの流れでもあるし、当然それはやるだろうと思うのですが、どういう日本を見せようとするのか。そこのところが問題だと思う。「クール・ジャパンという言葉は嫌がるかもしれないけれども」という風におっしゃったけれども、クール・ジャパンでもいいんですけど、逆にあれはまさに政策の一部にもなってしまっているし、ある意味海外の人が一番知っているのはアニメであったり、そういうものなんじゃないかと我々も思っているわけですよね。昨日も紛争地域の演劇の2本目の「ジハード」のところで最後に作家さんとスカイプをつないでポストパフォーマンストークがあったのですが、その時にベルギーのジハードに加わるという登場人物のうちの一人がもともとは日本の漫画、アニメを見て絵を描いていたのだけれど、教義上、絵を描くのはけしからんということになって、それである意味人生の目標を失ってしまったというような人が出てくるわけなんです。それで自分の戯曲を日本でリーディングだけれど上演してもらって嬉しかったというところで、アニメというのがそれのつなぎ目になっているというようなことを作家さんが強調してらした。そういう意味ではアニメが入るというのはむしろいいことなのかもしれないとも思う。ただ、政策的な形での日本、こういうのを今売りたいんですというのは当然そうならざるをえないんだろうけれど、何かそれにそのまま乗っからないタイプの芸術家が欲しいよねというのが、私は常にある。それこそベルンハルト的な国のプロパガンダマシンに組み込まれてしまう元前衛芸術家なんかは糞くらえみたいな意識なのかもしれないけれど、飴屋(法水)さんだったらそれをやってくれるんじゃないかという気がどこかしちゃうんです。
 坂口 必ずしも外国が知っている日本をやる必要はないですよね。
 中西 それはそうだけど……。
 坂口 この間のリオだってブラジルの歴史をやってはいたけれど、かならずしもブラジルのイメージとはして知られているようなものではなかったのではないか。演出家にはむしろ何を外国に見せたいのかということがちゃんとわかる人がいい。日本のイメージとしてこういうのが受けているとかはいらないんじゃないか。
 中西 別に外国で受けているからということではない。それは順番が逆であって、アニメが芸術分野の中でクオリティー的に優れているかどうかという問題は外国で受けているからとかそういうのとは関係ないのではないか。 
 野田 いいアニメはたくさんありますよ。いい漫画もたくさんある。
 中西 だから、外国で受けているものはだめで、日本として見せたいものは別にあるというような考え方はおかしいと思います。
 野田 外国に見せたいというか、あまりにも政策的に取り込まれてしまったクール・ジャパン信仰というのが嫌なんですよ。
 中西 でも、何をもってクール・ジャパンと言っているのかがよく分からないというのが最大の問題点で、別にそんなものがあろうがなかろうが、おそらく宮崎駿は海外でも評価されていたと思うし、初音ミクもたぶんそうだと思うんです。
 野田 それはもちろんそうなんですが、そういうことになっちゃうと何かこう……僕がすぐ思いついてしまうのは歌舞伎見せるでしょ。それからアニメ、漫画見せるでしょ。そうなるとじゃあ「ONE PIECE歌舞伎」見せればいいじゃんということになってしまうわけだ。それで途中でたくさん出てくる人たちは太鼓叩くんだろうな。そしてそこにプロジェクションマッピングがおりてきて。それじゃあ、もう読めちゃうじゃない。
 坂口 だから日本の人も驚くようなものが見たい。
 中西 初音ミクの名前を前に出しましたが、それは海外で流行っているからというのではなく、そういうような意味もこめて出しました。ある世代の人に限られているかもしれないけれど初音ミクがなぜここまで受け入れられたのかというと、日本の伝統に即しているからだと思うんです。 
 坂口 どこの伝統ですか?
 中西 歌舞伎、あるいは一番近いのは人形浄瑠璃です。ああいう傀儡とか無生物的なものに何かがやどっているように重ねて、そこに何かを見るというのが日本人の心性には伝統的に刷り込みとしてある。
 野田 えー、そこまで言うのはどうかなあ。
 中西 少なくとも冨田勲さんはそういう風に思って初音ミクについての仕事を始めたわけです。
 野田 人形浄瑠璃と重ねてそれを日本の伝統芸能と関係づけるのはどうだろうか。歌舞伎も確かに文楽から人形ぶりを含めていろんなものを取り入れたというのはあるけれど……。
 中西 もうひとつ言えば平田オリザのロボット演劇もそういう伝統につながるものだと思います。
 藤原 日本的なものということですか……。
 野田 確かに彼も人形劇だと言ってはいますが。

 中西 初音ミクは最新のテクノロジーも使ってはいるけれど構造的には人形浄瑠璃とそんなに変わらないし、基本的に同構造だと言っているわけです。
 坂口 そう言われれば人形浄瑠璃もテクノロジーとしては凄いと思うけど。でも人形浄瑠璃のすごいところは人形を遣うのだけど、その遣う方のテクニックがすごいんじゃないですか。
 中西 それを言うんだったら初音ミクにかかわっているプログラマーだってすごいわけです。あれがここまで受け入れられるようになったのは最初の頃と比べるとムーブメントにしても音声調教にしてもすごい技術です。
 坂口 でも文楽の場合は初音ミクのように対象を見ているんじゃなくて、文楽人形遣いを見てすごいと思うように初音ミクを見てプログラマーがすごいと見ているわけですか。
 中西 そういう人もいると思います。特に自分も作り手の人はそうじゃないかと思います。
 野田 でもやっぱり分かっていなくちゃならないのは人形遣いに注目が集まってしまうような人形遣いはいい人形遣いではないということ。
 中西 この間、初音ミク主演のバレエの作品「ドクター・コッペリウス」が作られたのだけれど、NHKのドキュメンタリーによればモーションキャプチャーでやっていました。バレエダンサーが身体じゅうにセンサーを着けて踊るとそれがそのままミクの動きがそれと同期するようにスクリーンに映写されるようなプログラムを組んで映像化するという仕組みです。

 野田 例えば国歌独唱をやるにしても開会式でそれをやるとなったらすごく日本的といえる人がいいんだと思うのだけれど、しかし例えば米国でビヨンセが歌うとか、レディー・ガガが歌うというのなら「それはありだな」と言えるかもしれないが、日本でじゃあ誰だったら「いいよ」ということになるのか。民謡の人がいいのか、細川たかしがいいのか。
 中西 選ぶ基準にそのままはならないかもしれないけれど、Googleが世界中の国のそれぞれの国を代表するアーティストを使ってCMを作ったことがある。その時、日本の代表は誰かと考えたのだけどいなかったから、初音ミクだという話になったという過去の事例はありました。
 野田 そういう意味では私も日本を代表する歌手というので演歌やJポップかソウルかというのは、あるいはそれが桑田佳祐であってもそれは嫌だなと思う。
 坂口 逆に誰も知らない無名の人でもいいかもしれない。
 野田 むしろ、子供……でもそれはもう北京でやってしまっている。口パクだったのが問題になったけれども。
 坂口 やはり既成の歌手じゃない方がいいのかも。 
 藤原 和田アキ子は何回か君が代歌っている。東京ドームでも歌っていた。
 野田 和田アキ子歌唱力昔と比べると落ちてないかな。
 中西 そういう問題ではないのでは。 
 野田 でもいずれにしてもソウル、ゴスペル系だよね。
 藤原 それが受けがいいじゃないかと思うんだけど。リズム&ブルースの精神を日本人が体現して世界に向けて歌うという感じでは和田アキ子は適任だと思うけど。
 中西 でも単純に歌で表現するというだけだったら椎名林檎が適任じゃないかと思いますが……。
 藤原 まだ宇多田ヒカルは大丈夫ですよ。最近アルバムで盛り返しているじゃないですか。
 野田 宇多田ヒカル椎名林檎にするか、それとも子供に歌ってもらうか。もしくは初音ミクにするか。
 坂口 初音ミク系統だったら相対性理論というのもありますが。

 藤原 相対性理論ってまだ健在なんですか。
 中西 もちろん、今もやっていますよ。ただ、音楽としてやくしまる(えつこ)さんのことは嫌いじゃないですけれど、彼女を選ぶ特別な理由もないと思いますが……。
 坂口 だから特別なことがない人がいいと思うんだけど。

 野田 これってもっと大きな問題にリンクしてくるんですよ。結局、日本の文化や伝統といったものを開会式のアーティスティックプログラムにいれて各国に紹介したり、アピールしたりするというのがある。じゃあ、どういう日本を売ってほしいのか。もしくは見せてほしいのかといったときに当然のことながら千差万別ですよね。千差万別のところで絶頂期の和田アキ子のゴスペル調でもなければ、都はるみ、あるいは生きていた時の美空ひばりのタイプでもない。じゃあ、どういうのってなった時にむしろ色がない方がいいよね。そしてなかつ日本の記号がついているのっていうことになると初音ミクというのもあるかも。だけど、どういう日本を売ってほしいのということになった時にこういう曖昧な日本、落とし込まれてしまう日本、神主みたいな恰好をしている巫女みたいな恰好をしている、それが聖火に伊藤みどりが火をつけてなんなんだろうあの衣装はという風に浅利圭太さんの時にも言われたじゃないですか。何だか知らないけれど無理やり日本的なイメージをそれこそ「歌舞伎版ジーザス・クライスト・スーパースター」のイメージでぶっこんでませんかというような形でね。そんな文句をつけられるぐらいだったら個人的に突出した前衛芸術家のビジョンをこうなんだよとして言ってくれた方がいいのかなと思っているという点では飴屋法水なんです。
 坂口 飴屋さんだったら日本人がびっくりするようなものを出してくれると思う。
 野田 日本人がびっくりするような日本を出してくれる、いわばアートとしてのコンセプトを実現してくれる人、これが理想なんですよ。
 中西 ちょっとよく分からないんですけど。おっしゃってることがまったく。
 坂口 既成のものを積み上げるというのはだめということですよ。
 中西 いや、字づらは分かるんですが、既成じゃないものというのは何ですか。

 野田 それはないんだけど、その期待感が欲しい。結局は先ほども言ったけど「ONE PIECE歌舞伎」のようになってしまうのが嫌なんです。いや「ONE PIECE歌舞伎」が悪いと言っているんじゃなくて、それはいいんですよ。ただ、開会式で「ONE PIECE歌舞伎」のようなものをプロジェクションマッピングと組み合わせてやって面白いのかというとそうは言えない私がいるわけです。開会式でのアーティストプログラムの演目としては「歌舞伎もあるだろ。アニメもあるだろ。どうだ」と言われても「うーん」となっちゃう。
 坂口 日本と言われてパッケージされたものがいくつか出てきたとしても面白くないし、実際それが日本かと言われたら日本の生活の中にそれほどあるわけではない。
 中西 うーん。それはある人もあるし、人によるのでは。例えば今年ヒットしたいろんな記録を塗り替えた映画にしてもアニメーション、あるいは「シン・ゴジラ」ですよね
 野田 「君の名は。」ねえ。「君の名は。」の神楽の部分とかは入ってほしいなとも思うけど。でもやっぱり……。
 藤原 それは心配しなくても入りますよ。
 野田 「君の名は。」は見たよ。思ってたよりよかった。東宝ですか。
 中西 東宝というよりは僕はもう個人的には引き受けてくれるものならば庵野さんが適任であるうちのひとりかなとは思っているけれど、ただ、「エヴァンゲリオン」も作れないのにそんなことを引き受けるなという声は当然出てくると思う。ただ「エヴァ」と「ゴジラ」の2つを持っているから、国際的な知名度は高い。それに庵野さんは実写も撮るし、「ゴジラ」とかは自分でやったみたいだけど丸投げもできる人でもある。
 野田 丸投げもできるからというのはどういう意味? 誰がどこに丸投げするの?
 中西 身体表現とか人間が出てやるところの振り付けとか演出が必要な場合はそれができる人。つまり、専門家である演出家に投げるというか、まかせることができる人だと思うわけ。ここをこういう風にやってくれと絵コンテのようなものでイメージを伝える、あるいはデザインだけを描いたうえで、細部についてはそれを担当するアーティストにまかせる。
 野田 確かにそういうのは得意かもしれない。
 中西 映画はたぶんそうやって作っているはずですから。
 藤原 人にまかせていくタイプの人ということですね。
 中西 同じアニメーション作家でも「君の名は。」の新海誠監督などは最初に作った「ほしのこえ」などは監督・脚本・演出・作画・美術・編集など、ほとんどの作業を自分1人で行ったようにすべてを自分ですみずみまで手掛けないと気が済まないタイプ。ジブリ宮崎駿さんも出来上がってきた絵を1枚1枚自らチェックして直させるというように全部自分の美学で統一されていないと納得できないタイプだと思います。どちらがアーティストかといったらその2人の方がアーティストなのかもしれないけれど、こういうイベント的な要素の強いものをつかさどる能力は庵野さんの方があると思います。ただ、ダメ状態になると本当にダメみたいなんでそういうリスクはあり、日本の大事を任せられる人なのかという問題はあるわけですが(笑)。
 坂口 それでだめだめになってもいいんじゃないの。
 中西 ゴジラが出てきて大暴れして、次にエヴァが出てきて「ここまでしかできなかった」とバンと出て突然終わるとか(笑)。
 野田 私がどうしても気になるのは特にエヴァンゲリオンにかかわる庵野さんなんだけれども、セクシャリティフェティッシュ、つまり性的にくすぐる部分があって……それが気になる。

 藤原 「シン・ゴジラ」にはそういうのはないけど。
 野田 確かに「シン・ゴジラ」にはないけど。

 中西 それは難しいですよね。リオ五輪の閉会式の東京側パフォーマンスで女子高生が制服で渋谷の街を歩いているところから始まったことに対して批判があったじゃないですか。でもあれは本当に高校生の体操選手でだから制服を着ているだけで……。
 坂口 それはそうなんだけれどやはり女子高生出すということが問題なのではないかと思う。
 中西 でもコスプレさせたとかいうのなら問題だけれど普段あの格好なわけですよね。
 野田 厳しいところは当然児童ポルノのような感性でやっていると見るでしょうね。そこがうるさいからねえ、世界は。庵野さんは割とそれがある。
 中西 そんなことを言い出したら宮崎駿の方がやばいじゃないですか。
 野田 そうね。
 藤原 ある意味、完全にロリだものなあ。
 中西 そういうことを攻撃される前に巨匠になってしまったので、そこにあえて突っ込む人はいませんが、誰一人として「ロリでない」と否定できる人はいないと思いますが、でもそういうことと作品の芸術的価値の評価というのは関係ないのじゃないですか。
 野田 むしろ性的なくすぐりが効いたということですかね。
 中西 ここで話すことでもないですけど、現代美術の作家で会田誠さんているじゃないですか。妻に見せたらこういうのは許せないとかぶつぶつ言っているわけです。それでその後にすぐ彼女が以前から割と好きなルノワールの絵を見せてルノワール会田誠とどこが違うんだと聞いたんです。ロリだというならどちらもロリじゃないかと。
 坂口 ルノワールの絵はでっぷりしてますよ。
 中西 でも少女の絵をどちらも描いてますよね。
 野田 でもあれが当時はセクシーだったんだよ。
 中西 だから、そういうことで非難したりすること自体がバカバカしいということなんです。
 野田 今の視点から言っても昔の視点から言ってもルノワールキッチュとして切ってしまうことは可能かもしれない。僕自身ルノワールをあまり好きではないということもあるけれど、そういう意味では庵野さんの作品にも俗悪という意味でのキッチュ性は認められるだろうと思う。
 中西 でもだからこそある種の大衆性を持つということもあるのではないでしょうか。
 野田 ハイアートとそれに対するロウアートというかサブカル的なアート。メインストリームとそれに対するカウンターカルチャーとが拮抗しているようなところでないとそういう言語は表れてこない。日本にはそれがない。例えば何らかの知的スノッビズムが成立するような環境があるかといったら日本にはない。みんなキッチュいいじゃないということで、ほとんどの人はそれがもともとは俗悪だという意味は知らない。ならばこういうアーツ環境が成立しているということはいいことなんですか、悪いことなんですかといえばそれはいいところも悪いところもある。そういうところも含めてハイカルチャーとしての日本を売るとして何があるのか。歌舞伎なのか、能狂言、神楽をやるのということになるよね。東儀さんとかに曲を書いてもらって笙とかを演奏してとか。そういうのばかり見せたいですかといわれたら「ウーン」てことになるよね。そうじゃない部分を日本が今売ろうとしているというのがたぶん「クール・ジャパン」の方じゃないかと思う。そちらの方はお茶であったり、歌舞伎であったりとかではない日本。もっといえばキッチュな部分を多分に含んでいる。そういうところを売りたい。実際に売れてるしね。

 中西 でも「クール・ジャパン」って経産省の分類では伝統工芸とか、伝統芸能も入ってしまっていますよね。本来は違うと思いますが。

 野田 日本が自分の文化を周囲に示したいという時に感じる葛藤がそれなんだと思う。ハイカル、ローカルみたいに両方あるんですよという風に見せるのは簡単。ただ、何かそういう風になっちゃうと行き着く先は先ほどから何度も言ってるようにプロジェクションマッピングの中で演じられる「ONEPIECE 歌舞伎」なんですよ。そしてそれは何か嫌だなと思ってしまうわけです。

 藤原 分けるだろうけどね。歌舞伎と「ONEPIECE」は。それは分けて何でもありの日本を多分見せていくんだと思う。先ほどのことを考えても、日本には別に中心というものはないわけですから。その中心のなさというペラペラ感を見せるのに一番いいのは初音ミクなんじゃないかと聞いてて思った。そういう意味での日本を海外にアピールしていく。何もない空虚な森、中心の不在というのを出すなら初音ミクでいい。
 野田 ロラン・バルトの「記号の国」ですね。
 中西 初音ミク自体もそういう方向に向かってるといえる。パソコンの中だけのバーチャルアイドルというようなものから、まずオペラ「THE END」が作られパリでも公演した。 
 野田 あれは岡田利規が俺の作品じゃないと言っているけどね。
 中西 でもあれはもう岡田さんの作品だと思っている人は少ない。渋谷慶一郎の作品でしょう。
 野田 うちのカミさんは岡田利規が好きだったのでわざわざパリまで行ったんだけどね。
 中西 その後、冨田勲初音ミクを起用し宮沢賢治をモチーフにした「イーハトーヴ交響曲」をつくりました。これは中国でも上演され好評を得ています。おそらく、冨田勲の死後作られたバレエ作品は追悼公演ということもあり、感動はしたのだけれど、バレエ作品として素晴らしかったのかと聞かれれば少し疑問も残るのですが、多分再演もするので作り直してクオリティーを上げていくとは思うのですが、舞台芸術とのマッチングはよい。生では見られなかったけど「ニコニコ超歌舞伎」として中村獅童初音ミクと一緒に歌舞伎をやったのですが、これも映像で見る限りはけっこうおもしろく、予想以上によい出来栄えでした。
 野田 そうかー、やっぱり獅童初音ミクかあ。もしくは猿之助初音ミクか。そうなったら猿之助が芸術監督かなあ。
 坂口 別に日本のショーケースである必要はないのではないでしょうか。
 野田 多様な日本を見せたいと言ってもそうなってくるとけっこう両極端を見せてとなると先ほどから何度も言ってるけれどプロジェクションマッピングの中で演じられる「ONEPIECE 歌舞伎」になってしまう。
 中西 「ONEPIECE 歌舞伎」とこの前やったライゾマティクスのアートパフォーマンスではだいぶ違うと思うのだけれど。
 坂口 ロンドンにしても、リオにしても別に文化の紹介じゃあなかったよ。国の紹介。日本の紹介なんだけれど、その国のアーティストの紹介ではない。

 中西 でもロンドンの時はポール・マッカートニーは出てきた。後、エルトン・ジョンとか。
 坂口 でもそれはそこら辺の人は出してもいいのだけれどそれだけじゃなくて他はもっと英国の紹介みたいだった。

 野田 ダニー・ボイドの時にはシェイクスピアの「テンペスト」というか、「夢の島」という枠組みはあった。

 中西 それはコンセプターの部分ですが実際に何を出したかといえば007も女王陛下自らというか人形でしたが登場したわけですよね。

 野田 問題は4年後に開会式に陛下が出られるのかというのもある。まだ平成だと思うんですよ。でも出席できるのかどうか。それこそ「不在の帝国」になるよ。

 藤原 いないでしょうね。一応、平成30年で退位するというようなことになっているみたいですし。ぎりぎりいらっしゃらないですよね。2020年となると平成31年ということになりますから。

 中西 それはいてもいなくても(今の)皇太子がやることになるとは思いますよ。健康をおもんばかってとかそういう理由で。
 野田 それじゃあ内容に戻りますが、新日本風土記みたいになるのかな。それとも遠野物語みたいになるのか。
 坂口 日本の紹介といったときに何を紹介するのかはちゃんと考えないといけない。
 中西 歴史的な文化とかそういうものになるんじゃないでしょうか。
 野田 そうなるとアイヌの人と琉球の人はかならず出てくるだろう。
 中西 「源氏物語」の世界とか、中国との交流の歴史なんかは出てくるんじゃないですかね。
 藤原 「源氏物語」なら高畑勲さんにやってもらいたいよね。 
 中西 あまりリアルに歴史はやらないと思うんですね。太平洋戦争とか原爆のこととかどうしたらいいのか問題になるのは避けたいでしょうから。わざわざ自分から地雷を踏みにいくようなことはしない方が無難でしょうから。 
  野田 それは基本的にやっちゃあいけないことだろうからねえ。
  中西 だから、歴史というよりは風土とかの紹介になるんじゃないでしょうか。日本の四季とか。だから、大陸から渡ってきたとか、縄文時代弥生時代がありましたみたいなことはイメージ的にやるかもしれないけれど、でもそれもやる必要がないような気がします。だから、歴史というよりは風土とかの紹介とかをやうのではないか。
 野田 最終的にはどういった日本を開会式の場で全世界の人に我々は見てもらいたいのか、発信してほしいのかという話だよね。やはり、多様性……。
 藤原 多様性というか雑多で何でもありの日本ってなるんじゃないですかね。
  中西 歴史というよりはいわゆる古いものとハイテクノロジーの最先端のものが無造作に共存しているというようなことじゃないでしょうか。
 藤原 柔軟性のある日本。大きな懐の深い日本でしょうか。
 中西 よくも悪くも何でもありの日本。
 野田 秋葉原からちょっと行けば新橋って感じかなあ。
 藤原 サラリーマンがいて、オタクがいて、後、渋谷もあってというような。
 野田 渋谷は出てくるだろうな。
 藤原 渋谷の女子高生もあってもいいし、歌舞伎もあるしという。
 野田 ただ、それを1本にまとめるとなうとやはりストーリー(物語)がいるよね。
 中西 だから、コンセプターが必要ななんじゃないかと思うんです。だれか全体のコンセプトを決めてそれを割り振らないと本当にカオスになってしまう。
 野田 それを飴屋(法水)さんにやってもらいたいんだけどなあ。
 中西 ここで言っていいことかどうか分からないんですが、ある高名な演劇評論家がトークショーで二階堂瞳子さんを五輪開会式の演出家の候補に挙げていました。
 野田 二階堂さんって誰?
 中西 革命アイドル暴走ちゃんという集団の主宰者です。
 藤原 その評論家というのは誰のこと?
 中西 内野儀さんです。より、正確に言うと内野さんが二階堂さんの名前を自分で言い出したわけではなくて、対談相手の佐々木敦さんが内野さんが以前、二階堂さんの名前を五輪開会式の演出家の候補として言及したことを披歴したのですが。
 坂口 それは受けてもらえば面白いと思うよ。
 藤原 そういう意味では雑多な日本をなんとかやるんでしょうね。二階堂さんなら。
 野田 そうなるとサラリーマンが出てくるなら(振付は)近藤良平さんでいい気がする。
 坂口 その辺はどうなんだろうなあ。
 藤原 それがそういう風になんでもありな日本というのがある意味その通りなんだろうけれど、でもやっぱりそれを受け入れられない日本国民ってけっこういると思う。
 中西 日本国民というよりはたぶん日本政府が受け入れないだろうなとは思います。
 藤原 そうかなあ。
 野田 今の日本政府がということだね。さらに言えば今の日本会議系の人々がね。
 藤原 そういう層も含めて反発する層もかなりいるんじゃないかと思うわけです。そういう人たちはやはり伝統とか文化を出したいんだろう。
 中西 だから両方出せばいいのかなと思うんです。
 野田 それだと「ONE PIECE歌舞伎」になっちゃうじゃないの。
 中西 別に一緒に出さなくてもコーナーを分けて考えればいい。でも一緒に出す方法もあるんですよ。先ほど言った「初音ミク歌舞伎」とか。
 坂口 いわゆる伝統というのはまったくなくてもいいと思うんだけどね。
 中西 そうですね。ただ音楽で和楽器的なものは何らかの形で出てくるとは思いますよ。特に打楽器。
 野田 太鼓は絶対出てくると思う。
 坂口 出てくるとは思うんだけれども、出さなくてもいいんじゃないかな。
 野田 何だか知らないけれど輪島あたりの御陣乗太鼓に竿燈もしくはねぶた。ここら辺は出そうな気がする。仙台の七夕はどうしようもないからなあ。
 坂口 盆踊りにしちゃうのかなあ、全部。
 野田 踊りは阿波踊りだよ。そうなると無茶苦茶になっちゃう。
 中西 お祭り的なものを出すならここの人は誰も知らないかもしれませんがももクロももいろクローバーZ)の演出を手掛けた佐々木敦規を推します。夏に日産スタジアムに6万人集めておこなわれるももクロのライブ「桃神祭」で日本全国から10ぐらいのお祭りの人たち数百人を集めて非常に巨大なそれまで見たことがないような祝祭空間を作り上げました。
 野田 それって結局よさこいになっちゃうんじゃないか。よさこいは嫌なんだよ。
 藤原 近藤良平にカッコいいよさこいを作ってもらえばいいんじゃないですか。
 中西 コンテンポラリーダンスを見慣れた目線で見るとよさこいはどうしてもダサく見えますよ。まあ、いろんな見方があるから、それをカッコいいとしている人もあるのも認めるけど。特定の集団のことを言うのはなんだけれど、EXILEなんかにも似たような空気を感じるということはあります。
 野田 マスパフォーマンスで私が恐れているのは総よさこい化してしまうんじゃないかということで、それなら須藤元気がやっているWORLD ORDER(ワールド・オーダー)の方がいいんじゃないか。
 藤原 一世風靡とかも昔やっていたでしょう。スーツとか着てああいう形でまたやるという手はあると思うけど。
 野田 アヤバンビとかならまだいいけどよさこいは駄目だ。WORLD ORDERとアヤバンビというのはどうだろう。でも組み合わせ的に無理かなあ。
 中西 そこまで言いだすならピコ太郎はどうですか(笑)。
 藤原 ピコ太郎ねえ。
 中西 東京五輪の時にはもう忘れられてかもしれませんが。
 藤原 芸人とかの可能性はないですかね。そう考えたら。
 中西 芸人は問題を起こす可能性がありませんか(笑)。
 藤原 ディレクターをやるっていうことじゃなくてさあ。どこか吉本興業はからんでくるんじゃないかな。
 野田 吉本まで来ちゃったか。少し話がそれてきたので本論に戻すよ。先ほど坂口さんが言ったように日本の雑多性を提示できるような人がいい。
 坂口 雑多な日本と言っても出てくるものは具体的なものになっちゃうわけだから、ある程度方向性は決まってしまいますよね。
 中西 それはそうですが、それはもう仕方ないんじゃないんですか。五輪の開会式というフォーマットはだいたいそうなっているということがあるわけですし。
 野田 もちろんそうなんだけれど、そのなかで坂口さんが言っていたように我々日本人でさえも知らなかったような新しい発見としての日本を出せるそれこそスーパーマンのような演出家はいないかねという夢も捨てきれないわけよ。
 藤原 その雑多性は別に統制する必要はないわけですよ。その雑多性をより攪拌してもいい。そういったことをやりそうなのは飴屋さんというのがある。
 坂口 雑多を雑多なままもってこられるというのはなかなか難しい。
 藤原 だから飴屋さんにそれを期待したいというのはあるんでしょ。
 野田 すごくあるね。
 藤原 雑多なものをより攪拌してやる。それはそれでカオス的で日本だなという気がします。
 坂口 いろんなものをやるんじゃなくて一つのイメージを延々とやるのもありかもしれない。
 中西 アーティスト性を前面に出してひとつのイメージでやるのはいいのだけれど、それはクオリティーとかインパクトとかが相当突出した人でないと無理だと思う。
 野田 飴屋さんは突出しているじゃない。
 中西 飴屋さんはそういうタイプのアーティストではないと思っていますが、ここでひとりだけ異議を申し立てても実りがなさそうな感じなのでここはこれまでにします。意見に承服しかねるということだけは発言しておきます。
 野田 どうなるんだろうね。今本当に世界的な演出家って言ったらはっきり言って鈴木忠志しかいないだろうしね。
 中西 宮城聰さんもいますけどね。
 藤原 でも鈴木さんか宮城さんかということになったら鈴木さんの方が世界的に名が知れているでしょう。そこは鈴木さんってなるんじゃないかな。
 中西 そうかなあ。宮城さんはアヴィニョン演劇祭で成功したからそうでもないんじゃないのかなあ。
 藤原 アヴィニョンでは成功したかもしれないけれど鈴木さんはもうちょっといろんなところで成功しているからさあ。
 野田 鈴木さんにやってもらわなくちゃいけない年代構成って悔しいなと思うわけ。結局、蜷川幸雄さんが生きていたらとか、松本雄吉さんが生きていたらとかいうことになるわけでしょ。
宮城さんだって東京五輪の時は還暦だよ。だからといって藤田貴大は若すぎるでしょう。
 藤原 それはまだ荷が重いよね。下手したら潰れるよ。
 中西 そこまで若い人も対象にするのであれば僕は多田淳之介を推薦しますよ。
 藤原 その方がいいかもね。
 中西 ただ多田淳之介は「反東京五輪」で五輪開催自体に反対しているという問題はあるのですけど(笑)
 藤原 だから多田淳之介がやるとすればある種の批評性が入ってくるだろう。それは日本に対する批評性も含めて出してくるだろうからそれはそれでありといえばありかも。
 中西 たぶん固辞しそうな気がしますがPerfumeの大ファンなので、Perfumeのスタッフ陣でもあるライゾマティクス+MIKIKO三顧の礼をもって嘆願すれば受け入れるかもしれない。
 野田 五輪開会式の芸術監督は失敗したとみなされると周りがよってたかって叩くからけっこうきついよね。かといって五輪で知られるようになったからといってその後の活躍が目立つというほどでもない気がする。
 藤原 最後になりますが、それでは結局どういう人を僕たちは推していこうということになりますかね。何人か挙がりましたが。まず飴屋法水鈴木忠志庵野秀明、多田淳之介、宮城聰。
この5人ぐらいを推すということでいいのね。 
 野田 庵野さんはゲバ評に挙がっているけど他の人はあまりこれまで名前が挙がっていなかった人たち。後、演出家では野田秀樹さんがいるけど有力な候補のひとりだからここであえて取り上げる意味はないかなと考えました。
 藤原 その中で我々の中でも違った意見がある。
 野田 けれど多様な日本を見せたいという点では共通理解が得られたんじゃないかな。最終的な理想は日本人さえも「ああ、これが日本なんだ」と思えてしまうような日本像を出せればそれこそ理想的だと思う。
 藤原 そうなったらその先の日本の文化状況も含めて何か変わりそうな気がします。
 野田 じゃあ、期待いたしましょう。
(終わり)










  
















 
 
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