下北沢通信

中西理の下北沢通信

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弘前劇場「家には高い木があった」@スタジオデネガ

 弘前劇場「家には高い木があった」*1(スタジオデネガ)を観劇。
 弘前劇場の主宰である長谷川孝治の代表作である「家には高い木があった」を彼らのホームグラウンドであるスタジオデネガで見た。この芝居が初演されたのは97年であり、今回は4回目の上演である。舞台は祖父の死にともない葬式に集まってきた神崎家の四人の兄弟(妹)を巡って展開する。この四人のうち、福士賢治(長男)、畑澤聖悟(次男)、後藤伸也(三男)は初演以来同一キャストで演じられてきたが、今回は後藤が退団したこともあり、青年団から永井秀樹が客演し、三男役を演じた(長女は森内美由紀)。
 「家には高い木があった」は弘前劇場のなかでも単に代表作であるということを超えて特別な芝居である。それは初演の時に劇団の中心的存在であった四人の俳優に四兄弟(妹)の物語としてあて書きされた登場人物がその当時にそれを演じた俳優の実年齢に近く設定されていたのが、再演ごとにその時の俳優の年齢に合わせて作り直され、「俳優とともに成長していく舞台」と長谷川が位置付けたからである。
 俳優が年齢とともに熟成していくのに呼応してこの舞台も熟成していく。そんな年代もののワインのような味わいを私たちに感じさせてくれるのが「家には高い木があった」という作品なのである。その意味で今回の舞台を実際に見て感慨深かったのは長男を演じた福士賢治の存在感である。
 最初に「職員室の午後」という舞台で弘前劇場の芝居と出合った時からすでに福士賢治の東京や関西の俳優にはちょっといないんじゃないかと思わせる独特の存在感には驚かされてきたのだが、今回の「家高」での福士の演技にはその中でもついにここまで到達したのかというような俳優としての特別な境地を実感させるものがあった。
 それは奇跡のようなことがごく稀に起こる演劇ならではの奇跡の瞬間と表現することもできる。だが、優れたワインを熟成させるには偶然だけではないさまざまな条件(良質なぶどうの収穫、丹念な管理、醸造の高度な技術)が必要なようにこの舞台の初演以来、あるいは弘前劇場の旗揚げ以来のさまざまな試行錯誤の連続がいまここに必然としてその瞬間を起こしたのだと考えたい。
 「ローマは1日にしてならず」というが現代口語津軽弁演劇という弘前劇場の独自の方法論が作り出す速射砲のせりふの嵐によって提示される登場人物のかかえる様々なドラマ。それをささえ、緊密なアンサンブルを織り成す弘前劇場ならではの個性的な俳優たち。今回に関していえばそれまでの3回の舞台で三男を演じてきた後藤伸也とまるで違う役作りながら、情けない男の造形に抜群のさえを見せて好演した永井秀樹の客演も大きかった。しかし、これも偶然ではなく、青年団とのこれまでの長年の付き合いのなかから、長谷川がある種の確信を持って依頼した配役であるし、永井がそれにこたえることが可能だったのはそれまでの弘劇との交流で出演は初めてであっても芝居を何度も見ていることも含め、長年の信頼関係があってのことであろう。
 手前で小声で話をしている永井と畑澤の背後で、そうしたすべてのことをまるで背負うかののようにその直前に酒に酔って布団のなかで寝かせられた福士が静かに上半身を起こす。そして、観客に背中を向け、静かに煙草をくゆらせる。この芝居の最後の場面である。その物言わぬ背中が雄弁に語りだす万感の思い。それはそんじょそこらの俳優にはけっして出せない成熟した男だけが持っている味わいだ。
 弘前劇場の福士賢治はこの瞬間、自らの集団を持つ演出家であればだれもが「こんな俳優がひとりいたらなあ」との夢想を抱くような「夢の俳優」であった。