下北沢通信

中西理の下北沢通信

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チェルフィッチュ「三月の5日間」@KAVCギャラリー

 チェルフィッチュ「三月の5日間」KAVCギャラリー)観劇。
 昨年のガーディアンガーデン最終選考会*1で圧倒的に面白かったチェルフィッチュの本公演を初めて観劇。期待にたがわぬ刺激的な舞台であった。平田オリザは自らの演劇を「現代口語演劇」と呼んだが、これはまさに平田とは異なる方法論で「現代の口語」に迫る演劇であった。
 というのはチェルフィッチュはハイパーリアルにそれまでの既存の演劇が捉えることができなかったような現代の若者の地口のようなものに迫っていくのだが、その方法論はそれまでの現代口語演劇の劇作家たちがそうであったような群像会話劇(平田の用語では対話の劇)ではなく、モノローグを主体に複数のフェーズの会話体を「入れ子」状にコラージュするというそれまでに試みられたことがほとんどない独特の方法論により構築された「口語演劇」であるからだ。
 平田オリザ岩松了長谷川孝治松田正隆といった90年代の群像会話劇の作家らによる作品群を会話を通じて登場人物の隠れた関係性が浮かび上がってくるというような共通項があることから「関係性の演劇」と名付けた。
 ところがこれらの作家の影響を受けながらも90年代末に入ると同じく会話劇系の舞台でありながらも五反田団の前田司郎、ポかリン記憶舎の明神慈、ポツドール三浦大輔らこうした先行する作家たちと明らかに志向性の異なる若手劇作家が相次ぎ登場してきている。もちろん、これらの作家たちもそれぞれ異なるアプローチで作品を作り出しているのだが、それでもここではスタイルとして会話劇的な体裁をとるという点では共通点のようなものが見られた。
 チェルフィッチュ岡田利規の場合もその台詞において、現代口語を舞台にのせるという意味では特に先に挙げた前田、三浦の2人と共通する問題意識から出発しているようではあるが、前田、三浦が舞台の登場人物による会話を覗き見させるような形でいまそこにあるそこはかとない雰囲気を追体験されていくような「リアル」志向の舞台を構築していくのに対して、岡田のアプローチは会話体において「ハイパーリアリズム」であるにもかかわらず演技・演出においては「反リアリズム」であるというところにその特徴があるようだ。
 それは一見なんの企みもないように無造作に見えるように作られているが、ブレヒトの異化効果や60年代以降さまざま形で試みられてきたメタシアター、90年代の現代口語演劇、日常的な身体のあり方を様式化することで身体表現に取り入れてきたコンテンポラリーダンスなどさまざまな方法論のアマルガムともいえるきわめて複雑な構造の統一体として、舞台上で実現される。この作品の具体的な内容、方法論の詳細についてはもう少し考えてから、まとまった文章を書きたいと思うが、今年のえんぺ大賞の最優秀新人作品(あるいは場合によればえんぺ大賞)の最有力候補であることは間違いない。