下北沢通信

中西理の下北沢通信

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チェルフィッチュ「労苦の終わり」

 チェルフィッチュ*1「労苦の終わり」(STスポット)を観劇。
 今年の春に神戸で見たチェルフィッチュ「三月の5日間」(KAVCギャラリー)があまりにも面白かったので今回の新作にも大きな期待をして出かけたのだが、取り上げた対象はイラク戦争という大状況まで射程に入れた前作とはとって代わって、「結婚」という卑近な主題を取り上げた舞台だったのだが、これがやはり見ていてわくわくしてくるほど面白く横浜までわざわざ見に来たかいがあったと嬉しくなってしまった。
 前回の公演の感想で「チェルフィッチュはハイパーリアルにそれまでの既存の演劇が捉えることができなかったような現代の若者の地口のようなものに迫っていくのだが、その方法論はそれまでの現代口語演劇の劇作家たちがそうであったような群像会話劇(平田オリザの用語では対話の劇)ではなく、モノローグを主体に複数のフェーズの会話体を「入れ子」状にコラージュするというそれまでに試みられたことがほとんどない独特の方法論により構築された「口語演劇」であるからだ」と書いたが、この「労苦の終わり」でも基本的にそのスタイルは変わらない。
 ただ、今回もう一度見てみて、こうしたある意味、実験的な手法を取りながらも、それがエンターテインメントとして楽しく見られるのは劇作家である岡田利規のモノローグにおける語り口の巧みさにあるんじゃないかということを感じた。
 「労苦の終わり」には主要登場人物としては今泉くんと順ちゃんというこれから結婚しようとしているカップルと順ちゃんのルームメートで結婚が破たんしてしまったカップルとの2組のカップルが登場する。この2組のカップルを通じて観客である私たちが結婚について考えさせられることになる、っていう仕掛けになっている。「労苦の終わり」というタイトルからしても構造的には後半に登場する破たんしたカップルがなぜ破たんしたのかということがメインのテーマになってはいるのだが、実際の舞台ではそこに一直線には行かないで本質的な話の周囲を迂回するように周辺から物語ははじまる。(続く)
 
 

*1:前回公演の感想はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040604