下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ミュージカル「WE WILL ROCK YOU」

ミュージカル「WE WILL ROCK YOU新宿コマ劇場)を観劇。
 全曲Queenの曲を使ったミュージカルがロンドンで上演されて話題になっているという話はだいぶ以前に耳にして気になっていた。今回、やっと来日公演が実現して「これはいかなきゃ」と思って行ってみたのだが、「いやはや、これがなんとも」。ミュージカルとしてはどう考えても失敗作だよなあ、これは……。つっこみどころ満載の内容に思わず笑ってしまった。
 全世界が巨大なコンピューター会社に支配され、ロックが滅びてしまった未来世界で、ロック魂を持った反逆児が立ち上がるといういかにもB級SFな筋立て。どこかで聞いたことがあるようなという気がして考えてみるとこれってアミューズがプロデュースして劇団★新感線のいのうえひでのりが演出したD−LIVE「ROCK TO THE FUTURE」とそっくりのような気が。もっとも、D-LIVEの筋立て自体当時「ターミネーター」のパクリとの声もあったし、ロックミュージカルとチープなSFは「ファントム・オブ・パラダイス」や「禁断の惑星からの帰還」の例などから考えてみてもむしろ相性がいいといえなくもない。
 しかし、反逆組織の名称が「ボヘミアン」、主人公の名前が「ガリレオフィガロ」、ヒロインが「スカムラーシュ」。そして、コンピューター会社を率いる女ボス、悪役が「キラー・クイーン」ときてはクイーンファンといえどもちょっと恥ずかしいのではないだろうか(笑い)。私は恥ずかしかったぞ。
 これが新感線だったら役名がベタでも狙ってるのが明瞭なので気にならないのだけれど、このミュージカルが困ってしまうのはギャグなのかどうなのかが微妙で判断に苦しむところが散見されるところだ。ここで写真を掲載したフレディの金ぴかの銅像などはロビーに展示してあるのを見て、その悪趣味ぶりに思わず笑ってしまったのだけれど、実は本編にも重要な場面で登場して、それが果たしてギャグのつもりなのかどうなのか……。
 舞台の中盤に過去に若くして亡くなったミュージシャンたちに対するオマージュのシーンがあってこれは泣かせる場面だったのだが、Queenのファンなら一番ぐっと来るはずの最後に登場するフレディの映像の直前が日本向けの演出を意識したのだとは思うが、なんと尾崎豊で、私の見た回ではギャグと受け取る人がいたのか、会場の一部から失笑が起こっていた。これはひょっしたら尾崎だからではなくて、画面に日本人の顔が映って、その時すぐにはだれだか分からなくて、一瞬の間があって気がついたからかもしれない。順番の問題もあるとは思うけれど、これなどはフレディにも、そして尾崎にも結果的に失礼なことになってしまっていたし、明らかに逆効果にしかなっていなかった。
 一部歌詞を入れ替えてるとはいえ、かなりの曲を原詞のままに使っていることもあって、物語の展開にも無理からのところが多くて、その強引な持っていきかたには思わず「おいおい」の声をかけたくなるところがてんこ盛り状態。もっとも、曲をつなげてストーリーを作った側にもこの究極のクロスワードパズル的状況に同情はしますけど。
 でも、Queenのヒット曲をつないで作ってあるだけあって曲は素晴らしい。Queenというとどうしてもボーカルであるフレディ・マーキュリーの特異なボーカリゼーションを抜きにしては語れない印象が強いが、こういう風に聴いてみるとこのバンドの底力というものを改めて感じさせられたし、その曲がフレディひとりによるものではなくて、4人のメンバーがそれぞれに名曲を書いているということろがこのバンドの凄いところだ。
 今回はロンドンではなくオーストラリアのキャストによる公演なのだが、キャストの歌唱力は素晴らしい。特にフレディの歌った難曲を数多く歌うことになるガリレオ役の歌唱はフレディの歌唱を彷彿とさせるような瞬間さえあり、世界は広い、いるところにはいるもんだと感心させられた。また、ヒロインも歌唱力抜群で魅力的だった。
 これだけ批判的なことを書いておいて今更言うのもなんだが、このミュージカルの本領は多重録音を駆使して作ったためにQueen自身も不可能であった「ボヘミアン・ラプソディ」の完全ライブを実現したことだ。この曲を最初に聴いた時にはこれはいったいなんなんだと思って強烈なインパクトを受けたことが今でも忘れがたいが、Queen自体もロックのなかでジャンル分け不可能、不思議なバンドではあったのだが、この曲を聴いて「そうか」と思ったのは「ひとりロックオペラ*1
 それまでに聴いた音楽のなかでQueenの方向性と一番近い近親性を感じたのが、ロック系の音楽に分厚い群唱を組み合わせたアンドリュー=ロイド=ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」だったからだ。
 考えてみれば「ショー・マスト・ゴー・オン」をはじめ、特にフレディのショービジネスへの傾注には明らかなものがあったし、フレディ亡き後という誤算はあったが、Queenがミュージカル界に打って出るというのには必然があったんじゃないかという気がしてならない。
 だから、失敗作と書いたのもあまりの期待の大きさゆえ。終わった後に躊躇なくリピーター割引の列に並んでチケットを買ってしまった。
 

 
 

*1:バンドだから正確にはひとりではないが。そういえばアルバムの表題も「オペラ座の夜」だった。