下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「中ハシ克シゲ展」

「中ハシ克シゲ展」(児玉画廊)を見る。
 中ハシ克シゲは私のなかで好きというか、以前からどうも気になっている現代美術家で個展などの展示も何度かは見たことはあるのだが、これまで見たのはほとんどすべて、その土地にゆかりのあるゼロ戦を、プラモデルから撮った実物大の写真を張り合わせて制作し、燃やすという「ゼロ プロジェクト」に関連した作品であった。
 今回の個展はその「ゼロ プロジェクト」と平行して数年前から中ハシが行っている「On The Day Project」を中心とした展示であった。「On The Day Project」とは歴史上で起こった出来事にちなんだある1日にその出来事と関係のある場所に出かけて、夜明けから日没までその場所をそのなにかをなぞるようにして5000枚ぐらいの写真に撮り、後でその写真が現像されるとボランティアと一緒にそれを貼り、つなぎあわせて1枚のおおきなレリーフのようなものとするというプロジェクトで、場所として選んだのがほとんどなんらかの形で戦争と関係がある場所であるということ、写真をつなぎ合わせるのに現地の人も含めたボランティアに参加してもらうという参加型の体験プロジェクトの側面を持っているという点で「ゼロ プロジェクト」より主題における広がりはあるけれど、コンセプトとしてはその延長線上にあるものだということが、いえるかもしれない。
 児玉画廊の3つある展示室のうち、入り口に一番近い展示室では「On The Day Project」の作品が3点展示され、一番奥の展示室でも1点が展示された。
 最初の展示室では「On 1st March Rumit Dome」ほか2点が展示された。これがどういうプロジェクトかを具体的に説明するためにこの「On 1st March Rumit Dome」について説明すると1954年3月1日にマーシャル群島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」をあびて被爆した。作品名のOn 1st March とはこの第五福竜丸被爆の日(3月1日)にちなんだもので、この日から50年が経過した2004年3月1日にやはりアメリカが67回にわたって核実験を行った場所のひとつであるエニウエトク環礁にあるルニット島に出掛けていき、そこにある核爆発によるクレーターに島の放射能汚染土壌を埋め込んでコンクリートの覆いをした直径110メートルのルニットドームの上で、その表面うぃなぞるように5000枚の写真を撮り、それを繋ぎあわせたのが「On 1st March Rumit Dome」という作品なのである。
 もちろん、実際にはこの作品は元々、都立第五福竜丸展示館の被災50周年記念プロジェクトのために制作されたもので、元の大きさは幅12メートル、高さ2・5メートルという巨大なレリーフだったのをその一部が児玉画廊で展示されていたのである。
 そのほかに米軍による日本本土上陸のあったその日付けに地面に散った桜を撮った「19th February」、降伏文書の調印が行われた日付に、マッカーサーがオーストラリアのブリスベーンに置いていた旧GHQ総本部の建物の入口付近を撮った「2nd September」が入り口側の展示室に、ベルギーのイープルに咲くポピーをテーマにした「3rd May」が奥の展示室に展示されていた。
 この人の作品を私が好きなのはその主題(テーマ)に対するアプローチの仕方というか構え方にある。「ゼロ プロジェクト」にしてもこの「On The Day Project」にしても主題は「反戦」そして「歴史」ということになると思うのだけれど、作品から感じられるのは「声高に反戦を叫ぶ」というようなアジテーション的なメッセージの発信とはかけ離れたもので、ある枠組みをそれを見る人に与えてあげることで自分で考えさせる、という態度をとる。もうひとつはその作品を制作するに当たって、ある場所なりにフォーカスしていく場合にその周囲の人間を巻き込んでいくという体験型アートの性格を持っているところだ。
 現代美術の世界でこういう種類のものがどのくらいポピュラリティがあるのかは門外漢の私には判然としないが、舞台芸術の枠組みだけでは位置づけるのが難しかったトリのマークのサイトスペシフィックな作品やモノクロームサーカスの「収穫祭」との類似を最初に感じたのが中ハシ克シゲの「ゼロ プロジェクト」で、ひょっとしたら、舞台芸術の世界からするとアウトリーチの1つと考えられてきた彼らの活動が、中ハシの現代美術フィールドでの活動などと考えあわせてみると、美術・ダンス・演劇などといったタコツボ的なジャンルを超えて作品の制作での現実へのアプローチという意味でジャンルクロスオーバーして、ひとつのカテゴリーをなすのではないかと思ったのだ。そして、どうやら私はそういうアートが好きなようなのだ。