下北沢通信

中西理の下北沢通信

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シベリア少女鉄道「ここでキスして。」

シベリア少女鉄道「ここでキスして。」紀伊国屋サザンシアター)を観劇。

作・演出:土屋亮一
 舞台監督:谷澤拓巳+至福団 音響:中村嘉宏[atSound]
 照明:伊藤孝[ART CORE design] 映像:冨田中理[Selfimage Produkts]
 演出助手:キモトマユ 小道具:畠山直子
 宣伝美術:土屋亮一 thanks Norimichi Tomita
 制作:保坂綾子 製作:高田雅士 企画製作:シベリア少女鉄道
 主催:ニッポン放送
 出演:
 内田慈(若女将)、横溝茂雄(板前)、篠塚茜(仲居)、藤原幹雄(旅館の主人)、前畑陽平(代議士)、吉田友則(代議士の息子)、出来恵美(金髪の女性客)

 公演の最中にネタばれ的なことを書きにくいというのがシベリア少女鉄道にはあるのだが、これまでの感想を検索してみたら、少なくとも「下北沢通信」からこの「大阪日記」に移転して以降の公演では私が非常に高く評価している劇団であるにもかかわらず、一言感想のようなものしか書いていなかったことに愕然とさせられた。
 公演から少し時間が経過してしまいディティールという面では少しあいまいになってしまった点もあるが、次回公演はいよいよここ数年ごしで私が待ち望んでいた大阪公演(精華小劇場)もついに実現するので、関西の演劇ファンへの紹介の意味もこめて、少し詳しく感想レビューを書いておきたいと思う。
 シベリア少女鉄道の世界がほかの演劇とは大きく異なるのは「演劇」が彼らにとってはある仕掛けを実現するための前提でしかないことである。彼らの演劇を「メタ演劇」と呼ぶ人もいるが、メタ演劇とは「演劇についての演劇」*1であって、そこでは一度そこで上演されている「演劇」から外にでて、その位置からもう一度「上演」を見直すという共通点はあるけれど、シベリア少女鉄道の場合はそのメタレベルでの立ち位置がそれをなんと呼ぶにせよ、明らかに演劇ではないものであるため、そこには大きな違いがある。
 もっとも、そうした中では今回の「ここでキスして。」は前言を翻すことになりそうだが、メタ演劇に近い、あるいはメタ演劇だということがいえるかもしれない。
 というのは「ここでキスして。」はあえてそれに名前をつけるとすれば「メタ・シチュエーションコメディ」であったからだ。この芝居の前半は旅館を舞台にしたシチュエーションコメディ、あるいはその中でもドアコメディと呼ばれる種類のものとして展開していく。
 舞台は旅館である。そこはどうやら、主人(藤原幹雄)と若女将(内田慈)によって経営されているらしく、従業員としては昔からここにいる板前(横溝茂雄)と最近ここに来てまだ慣れていない新前の仲居(篠塚茜)が働いている。この旅館には常連客であるらしい代議士(前畑陽平)がやってきて2階の部屋で待っている。そこに代議士の息子(吉田友則)が遅れてやってくる。代議士が息子をここに呼んだのはどうやら政略結婚のために息子に縁談の話をするためらしい。ところがここで思わぬ出会いが起こる。実は新前の仲居と代議士の息子はかつて恋人同士だったが、引き裂かれた仲だったのである。以上のことを前提条件としてこの物語ははじまる。
 実はこの芝居では実際に2階建ての大きさがある巨大なセットが舞台上に設営されていて、そこから観客は代議士のいる2階の部屋とその前の廊下と1階のロビーの様子を同時に見ることができる。そして、下のロビーには上手側に入り口と帳場と帳場の奥の小部屋。帳場より下手側に2階に向かう階段に通じる廊下。さらに下手にエレベーター。下手端に調理場に続く入り口がある。
 シチュエーションコメディというのは隠したい秘密があって、それを隠すために巻き込まれた登場人物たちが大奮闘するということが多いのだが、舞台の進行にしたがって、姑息な嘘をつくなどしてつなわたりを続けるうちに状況がどんどんエスカレーションしていくことにその面白さはある。この芝居では隠したい秘密というのはこの息子の恋人だった仲居の存在で、もちろん、知られたら困るのは代議士に対してなのだが、だから、とりあえず代議士に対してこの秘密を隠しながら、女将と板前が恋人たちを助けて、駆け落ちさせようとするということが前半部分のメインのストーリーとなっている。
 ドアコメディと書いたのはこの部分でこの舞台上に設けられたいくつかの出入り口からの人物の出入りが重要な役割を果たすからで、この種のコメディの勘所をうまく捉えた土屋の脚本はなかなかの出来栄えで、かなりそれだけでも楽しむことができた。
 もっとも、女将と板前がその場しのぎで嘘をついて決定的な破綻を回避しているうちに情況はしだいに悪化。それこそ、いくらなんでもこれはどう始末をつけるのと思っているとそこでシベリア少女鉄道ならではの第2の仕掛けが爆発する。実は物語の冒頭でさりげなくサンダーバードのテーマ曲がかかってからこの芝居はスタートするのだが、これが第2の仕掛けの伏線だった。
 実はこのシチュエーションコメディに見えていたのは危機回避のレスキューゲームだったのである。この後は単に舞台設定上の内部条件だけではなく、外部条件ともいえる登場人物自体の動き自体にも支障が起こって、つまり舞台内でのつじつまの合わなさだけではなくて、本来いるべき場所に役者がいなかったり、明らかに台詞と動作が合わなかったりするとそこに赤枠で囲われた光の矩形のようなものが現れて、激しい警戒音が舞台上で鳴り響く。
そうするとおそらく、ゲームをプレイしていると想定されているプレイヤーはゲームオーバーになるのを防ぐためにその支障を取り除く操作をゲーム内のキャラを用いて行うという、メタレベルでの作業が舞台で進行することになるのだ。
 このメタレベルとオブジェクトレベルでの物語の同時進行が今回の主題で、この特殊な形式で土屋はアクロバティックなつなわたりを見せていく。危険回避に対する方法論の違いはあっても、シチュエーションコメディとレスキュー系ゲームは同じ構造を持つと気がついたのが土屋の慧眼で、これを「メタ・シチュエーションコメディ」と冒頭で書いたのは実はそういう意味があった。
 今回の舞台は今までの作品のいくつかにあったような単純に元ネタがあって、それのある種のパロディとして作品があるという関係ではない。後半部分で土屋はエヴァンゲリオンの音楽を使っているため、これをそのパロディーと読み解くような解釈もネット上ではいくつか散見されたが、たぶん、これはそうではなくて、エヴァンゲリオンもレスキューゲーム的な構造を持った物語として、冒頭のサンダーバード同様にゲームのイメージを提示するために提示されたものにすぎないと思われる。
 つまり、ここで土屋は「シチュエーションコメディ(演劇)に見えるゲーム(危機回避ゲーム)」に見える演劇を舞台上で展開するというかなりややこやしいことをやってるわけだ。
 もっとも、これだけ詳しく内容を解説したとしてもおそらく、シベリア少女鉄道を見たことのない人にはそのどこが面白いのかはよく分からないかもしれない。というのは実はそこで面白いのはそういう無理からなことを舞台上でやらされて、とんでもない状態になっている役者の生身の身体を見せるというところにこの舞台の面白さはあるわけで、その意味ではこれはライブである演劇でしかできないことなのである。 
 
 
 
 
 

*1:演劇の制度性を問う演劇「メタ演劇」を90年代後半にやり続けた集団としては「猫ニャー」があった