下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ダンスについて考えてみる(構成・振付・演出とは)

 ダンス作品において、よく「構成・振付・演出」とクレジットされることがあるが、その際に1人の人物がそのすべてをになう場合に実際の作業としてどこからどこまでが「構成」で「振付」で「演出」なのか、ということに対して果たして一般的なコンセンサスがあるのかどうかについて考えると、それはあまり明確には腑分けできないことなのかもしれない。ただ、少なくとも慣例的な部分はあるにしても、こういうクレジットがあるということは「構成」「振付」「演出」の各作業というのがそれぞれに異なる作業だという風に考えられていることも確かなようなのである。
 演劇では同種のクレジットに「作・演出」というのがあり、その場合の「作」が脚本すなわち言語テキスト、「演出」が「それ以外の言語テキストを舞台上に具現化していく時のもろもろの作業すべて」ということであればこれはもう少し分かりやすい。このモデルを援用すれば「構成」は言語テクストではないが「脚本に相当するもの」と考えられるので、「作品において設計図となりうるような全体の構造を規定するもの」と一応定義ずけられるような気はするのだが、そうだとすると面倒なのは例えば複数の場面を持つダンスにおいて、どのダンスがどういう順番で踊られるのか、これは明らかに「構成」にかかわる事柄といえると思われるが、それではそのそれぞれの場面を構成する動きのシークエンスのなかでどれがどういう順番でつながれるのか。言葉の意味は結局用例(つまり、どのように使われているのかによって決まる)ということであるとすればネット検索などで調べてみたところではこの場合も「ダンスの構成」とされている用例が多いということが分かってくる。もちろん、これは単なる誤用ということも考えられる。
 ただ、極端なことを言い出せば、このつなぎ方の順番というのを単位を細分化していくと、身体言語といってもそれは微分していけばどういう身体の形をどういう順番につなぐのかということになっていかざるをえないために「振付」に該当する部分はほとんどなくなってしまうということさえ考えられる。
 もうひとつの疑問はダンス作品における「空間構成」などは「構成」なのか「振付」なのかということ。自戒の意味もこめてなのだが、「空間構成」も「振付」というよりは「構成」の一部という風に考えて、言葉を使ってきたことがあったのだが、これは言葉として「構成」に引っ張られた感もあって、空間構成といっても例えば群舞におけるダンサー個々の配置などは「振付」以外のなにものでもないという気がするし、照明や舞台美術などもそれに含めればそれはどちらかというと「演出」の範疇であろう。もちろん、スタッフとして舞台美術や音響、照明などは専門のプランナー・オペレーターがいればそれぞれ個別にクレジットされるのでこれはあくまでそういうそれぞれの要素が実際にどのように組み合わされて舞台として具現化するのか総合的に判断するのが演出の仕事だという意味でである。
 実際においては現場における用例としては最終的に意味が通じればなんでもいいというプラグマティズムで運用されているのではないかと考えられるので、「現場にとってはどうでもいいこと」ではないかとも想像するのだが、実際にはどういう風に使い分けられていることが多いのかが、クレジットを見ながら気になったのである。実際どうなんでしょう。