下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

「DEATH NOTE  デスノート the Last name」*3(金子修介監督)

金子修介監督「DEATH NOTE デスノート the Last name」 道頓堀角座)を観劇。

監督:金子修介
脚本:大石哲也 原作:大場つぐみ小畑健「DEATH NOTE」
出演:夜神月藤原竜也
L(エル)/竜崎:松山ケンイチ
弥海砂戸田恵梨香
高田清美片瀬那奈
出目川:マギー
西山冴子:上原さくら
佐伯警察庁長官:津川雅彦
松田:青山草太
宇生田:中村育二
相沢:奥田達士
模木:清水伸
佐波:小松みゆき
吉野綾子:前田愛
日々間数彦:板尾創路
夜神幸子:五大路子
夜神粧裕満島ひかり

リューク中村獅童(声のみ)
レム:池畑慎之介(声のみ)

ワタリ:藤村俊二
夜神総一郎鹿賀丈史

前編*1、後編に分けて上演された映画版「DEATH NOTE」の後編である。原作ものの映画でよくあることだが、この映画はストーリーや設定に原作を変更したところがあるということだったのだが、テイストという意味では原作の味をかなり忠実に再現したのではないかと思う。
 前編では顔見せ程度だった弥海砂戸田恵梨香)が大活躍するし、イメージとしてはもう少し我侭ぶりを発揮してもらいたいところではあったが、マネージャー役を務める松田を振り回す場面は原作では第二部以降なのでやむをえないか。監禁シーンでの無駄なエロさはなかなかのもので、物語的に言えばなんで監禁するのに着替えさせないでこの服装のままなのかという疑問は湧くのだが、そういうところはさすが元日活ロマンポルノ出身だけはある金子修介なのであった(笑い)。この人がそうだというのは忘れていたのだが、いくらなんでも「ガメラ」や「ゴジラ」ではそういうところはNGだろうからなあ(笑い)。
原作とは違う結末の触れ込みがあったのだが、それはいくぶんは第一部から原作の第二部のラストに途中を省いて直接つなげているようなところがあるためで、デスノートの論理についてはその枠組みもほぼ原作通り。途中で超絶技巧論理のノートの所有権放棄と交換のくだりは原作の論理のうちで一番面白いところであり、それがここでもそのまま忠実に再現されているのは勘所を踏まえた脚本といえるのであるが、ミステリの謎の提出と結果だけが提示されていることで疑問も若干感じた。原作を読んでいずにこれだけを見て要するにどうなっていたのかが分かる人がどれだけいるんだろう。
原作には登場しない部分がこの前編では一番、デスノート特有の論理が使われているというところに監督、脚本家ともにこの物語の勘所を間違えてはいないとの判断ができ、後半への期待が膨らんだと書いたのだが、この後半でも特にラストにおけるオリジナルのアイデアは秀逸であったと思う。映画を見ていた時にはしばらくの間、意味が分からなかったのだが、相手の手にデスノートがあって、自分の名前を知られていてもそれでも相手の手にはかからない方法の発見。表題の「the Last name」というのはそういう意味があったのかということに改めて気がついた時には「この脚本家は凄い」と感心させられた。結局のところ、原作の漫画の最大の欠陥は知的な面白さはレベルが高いのだけれど、主人公である夜神月にも、その好敵手であるL(エル)にも感情移入がしにくいところで、そこが映画としてどうなんだろうと思っていたのだが、この結末はアイデアとして原作には出てこないけれど確かにそうだということに加えて、それを実行に移すことでLという存在に原作にはない深みを与えている。
 もっともその後で冷静になってもう一度考え直してみると、キラに対して罠をしかけるところで「それができるのなら、もう少し別のやり方があるのじゃないか」と思ったりもしたのだが(笑い)、その時には鮮やかな幕切れにそういうことにはすぐには目がいかない、というのはすぐれたミステリ小説と同工のレトリックが使われているということだと思う。
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