下北沢通信

中西理の下北沢通信

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法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術

 京都大学ミステリ研の後輩でミステリ作家である法月綸太郎のミステリ評論集である。評論めいた文章をはじめて書いたのも京大ミステリ研時代だったのだが、いろんな意味で大学時代このサークルに所属していたことは私にとっての原点だった、ということを以前書いたことがあるのだが、法月の評論を読んで80年代になにを考えていたのかということをちょっと思い出した。
 演劇やダンスなどを対象とした批評を書き始めてかなりの時間がたつが、批評という行為は私にとってまず対象を前にしての思索なのである。実は演劇やダンス以前にその対象としていたのがミステリ小説で、ちょうどニューアカブームなどと言われていた当時、次々と現代思想の著作を濫読しながら、自分なりに思索を進めていたのだが、それが浅田彰だろうが柄谷行人、ミッシェル・フーコーレヴィ=ストロースグレゴリー・ベイトソンヴィトゲンシュタインソシュールと次々に変化していってもそれぞれの思考モデルの有効性を確認するためにまず当時自分が対象としていたのはまずミステリ小説であった。それが評論としてどうだ、という以前に以上のような理由から法月が柄谷行人の「形式化」と「ゲーデル問題」を参照して展開する「初期クイーン論」を読んでものすごく懐かしい思いがした。
 というのは当時私も確かに法月同様に柄谷の著作をはじめとする上記の思想家たちの思想を手掛かりとして、エラリー・クイーンについて考えていたという思わぬシンクロニシティーがあったからなのだ。ところが刺激的だったのはこの法月の論考は「初期クイーン論」ということで主として「読者への挑戦状」がついている国名シリーズをはじめとする初期作品についての論考であるわけなのだが、私が主たる対象として考えていたのは「後期クイーン」で、そこにこそクイーン問題の本質があると考えていて、ほぼ同じようなアプローチをしながら、そこにまったく違う地平線を見ていた。
 クイーンといえば普通はレーン4部作や国名シリーズなど初期の作品群が代表作とされ、挑戦状をつけたりしてフェアプレーを重視した純粋パズラーの作家と見なされているのだけれど、私はこの人のミステリ作家としての本領は「盤面の敵」「十日間の不思議」「第八の日」「悪の起源」といった中期以降の作品群にあると考えている。それはこうした作品群においてまだ前期の作品においては露わな形では出てこなかったこの人の論理の特異性が極限的な形で露呈してくるからである。それがなにかというと……。「クイーンの談話室」の読後の感想でこんな風に書いたのだが、当時、柄谷の著作を読んで考えていたことの最大の問題点は非常に単純化すれば「言語」「コミュニケーション」「独我論の檻」などという諸問題であった。
 クイーンの面白さは法月がここで指摘しているように通常のミステリ作家と比較した時に極端なほど論理に拘泥していくことにあるわけだが、ひとが「独我論の檻」に閉じ込められていて、そのコミュニケーションが必然的に挫折せざるをえないようにいかに形式化を押し進めて、合理性に拘泥しようとその論理は必然的に敗北していく。
 ところがクイーンが興味深いのは彼の作品には意図的に志向したと思われる「形式化」の背後にそれとはまったくベクトルが逆の「形式化を拒む論理」が多用されていることだ。「形式化」の典型を論理学におけるバルバラの三段論法に求めるとすると、これはグレゴリー・ベイトソンが言うところの「草の三段論法」*1。あるいはミッシェル・フーコーが「言葉と物」で描き出す「前近代の論理」(=ミクロコスモスとマクロコスモスの照応)などとの近親性を感じさせるものだ。
 単純に「形式化」「合理性」「明晰な思考」などということだけでクイーンを捉えたのでは「見立て」「あやつり」「ダイイングメッセージ」などというモチーフにこの作家がなぜにこれほどの拘りを見せたのかということについては理解に苦しむところがある、といわざるをえない。法月はこの「初期クイーン論」の脚注のなかで都筑道夫によるクイーン理解を「フェアプレーの精神にもとづく本格長編推理小説の理想的モデル」として紹介したうえで、都筑が「エラリー・クイーンが、はじめのうち理想にちかい作品を生みだしながら、だんだん踏みはずしていった理由は、わかりません」と告白していたことにも言及している。実は都筑道夫が例外的な「踏みはずし」と考えたところにこそこの作家の本質があるというのが私の考えだった。
 実はここまで書いているうちに気がついたのは、法月のクイーン論は私が当時考えていたこととそれほど大きな隔たりがあるわけではないということだ。法月がここで論じているのは柄谷が考えた西洋近代思想(モダニズム)の破綻のミステリの形式をとった一種の縮図のようなものがクイーンの作品群のなかに見られるということであり、そのためのキータームとして持ち出したのが「形式化」「ゲーデル問題」ということであり、それはモダニズム思想は必然的に破綻するというひとつの思考モデルなのである。
 つまり、私が当時考えていたことが、「その破綻の果てに現れてくる新たな地平」についての思考であるとすれば法月はここでその前段としてのクイーンにとっての「踏みはずしの必然性」を初期のクイーンを材にとることで論じてみせてくれているわけで、構造主義以降の現代思想の立場からすれば「あまりに自明」ということはあるにしても従来考えられていたクイーン=論理の人という単純な図式を突き崩していくにはこの地道な作業は必要だった、のかもしれない。
 法月のクイーン論は実は三部形式で構想されていて、「初期クイーン論」がその第1部、やはりこの評論集に収録されている「一九三二年の傑作群をめぐって」が第2部に相当する。これは「初期クイーン論」の最後に「いったん時間を遡って『Yの悲劇』について論じた後で、クイーンの後期の作品についても扱う予定だった」と書かれていることからも明らかであろう。「一九三二年の傑作群をめぐって」が時間を遡って『Yの悲劇』について論じるということに相当するのは明白だが、「後期の作品についても論じる」というのはまだ実現していないと思われる。もっとも、それがどのようなものになりそうなのかということについては、「初期クイーン論」に注(15)として若干のシノプシスめいたものが書かれているのだが、これが非常に興味深い。短い文章のなかにグレゴリー・ベイトソンレヴィ=ストロースの名前も登場するのだが、これこそ私が当時クイーン論として構想していたことと深くかかわりそうな問題群を扱った論考となりそうな予感が感じられるもだからだ。
 生きているうちにエラリー・クイーン論と大学時代に一度書いたことのあるアガサ・クリスティ論の改稿を何とか実現したいというのが、いまだ私の見果てぬ夢であるのだが、もっかのところの探求対象である演劇とダンスについての論考を書き続けるだけでも、青息吐息の状態(笑い)でそれがなかなか実現できそうにないのが残念である。
 実はこうした思考の延長線上で「コミュニケーション/ディスコミュニケーションと言語」にかかわる問題を考え続けていた私の眼前に新たに考えるべき対象として突如現れたのが、ともに非言語的なコミュニケーションについての知見を私に考えさせる*2きっかけとなった上海太郎平田オリザ*3の舞台作品であり、その意味で私にとっては上海も平田もクイーンもいわば私に思考のモデルを与えてくれるフィールドワークの対象物として同一の地平線上の存在なのであるが、それはまた「アナザー・ストーリー」ということになるだろう。
 最後に「悩めるミステリ作家」というのが法月について考える時にまず思い浮かべるイメージなのだが、彼がそういう意味で「悩める思想家」であった「探求I」以前の柄谷行人に引かれていったというのは分かりすぎるほど分かるという気がした(笑い)。後期ヴィトゲンシュタインを発見して、この悩みから解放されたかに見える「探求」以降の柄谷に対し法月が違和感を感じざるをえない理由もよく分かるのだが、その意味では「初期クイーン論」がクイーン論であると同様にクイーン=柄谷行人法月綸太郎のトライアド(三角形)についての思考とならざるをえないところが面白い。
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*1:草の三段論法とは人間は死ぬ。草は死ぬ。人間は草だという三段論法のこと。論理学の見地からすれば誤り以外のなにものでもないわけだが、メタファー的思考という回路を介して、人間にとって非常に重要な役割を果たしている。以下のサイトに分かりやすい解説があるhttp://www.kitaokataiten.com/archives/2005/08/gregory_bateson.html

*2:ダンスに興味を引かれていくことになったのも本質的にはそういう問題群についてのフィールドワーク的な側面が強かった

*3:simokitazawa.hatenablog.com