下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

維新派「呼吸機械」@びわ湖水上舞台

維新派「呼吸機械 <彼>と旅をする20世紀三部作 #2 」(びわ湖水上舞台)を観劇。

維新派「呼吸機械」
<彼>と旅をする20世紀三部作 #2


キャスト
岩村吉純 藤木太郎 坊野康之 森 正吏 木戸洋志 西塚拓志 金子仁司 大久保こう 中澤喬弘 野口雄介 森本竜司 石本由美
平野 舞 エレコ中西 稲垣里花 江口佳子 中麻里子 尾立亜実 境野香穂里 大石美子 大形梨恵 辻本真樹 土江田賀代 まろ 田口裕子 金子紗里 近森絵令 吉本博子 石橋秀美 市川まや 今井美帆 小倉智恵 木下なず奈 桑原杏奈 桑原杏奈 ならいく 松本幸恵 森百合香
スタッフ
作・演出 松本 雄吉
音楽 内橋 和久
舞台美術 柴田 隆弘
照明 三浦 あさ子
照明協力 吉本有輝子・皿袋誠路・ピーエーシーウエス
音響 松村 和幸(Kazuyuki Matsumura a.k.a ZAK)・田鹿充・move
舞台監督 大田 和司
SE 佐藤 武紀
衣装 維新派
衣裳協力 木村 陽子・高野 裕美
メイク 名村 ミサ・松村 妙子
宣伝美術 東 學(188)
宣伝文 村上 美香(188)
写真 福永 幸治(スタジオ・エポック)
ウェブ製作 中川 裕司(house-A)
印刷 翔樹
制作 山崎 佳奈子・清水 翼
制作協力 高岡 茂(スタジオデルタ)・小堀 純
協力 井上憲次・羽柴英明・金城恒次・池田剛・白藤垂人・阿部弘秀・栃下亮・柏木準人・大鹿展明・内田欽弥・百々寿治・田辺泰志・新宮延子・富島美奈・松下香代子

 ■日時  2008年10月2日(木)〜5日(日)
           9日(木)〜13日(月・祝)
  全日 18:30開場 19:00開演   
  ※上演時間は約2時間を予定しています。

 ■会場  さいかち浜 野外特設劇場 <びわ湖水上舞台> 
    (滋賀県長浜市高橋町さいかち浜/JR田村駅西口より徒歩約5分) 

 ■料金  一般 ¥6,000 18才以下 ¥5,000 <全席指定・税込> 
     (当日券各500円UP)
  ※維新派でお申し込みされた方で、一回のお申し込みにつき
   5枚以上お買い上げの方は1枚につき500円割引

 ■チケット発売日 7月13日(日)

 ■チケット取り扱い

 発売日以降に、維新派のサイト、維新派事務所【06-6763-2634(平日10:00〜18:00)】、
 また滋賀県内施設、各プレイガイドにてお申込みできます。

http://www.ishinha.com/
http://ishinha.com/history/kokyukikai/blog/

 内橋和久作曲の変拍子の音楽に合わせて単語を羅列したような大阪弁ラップ調のセリフをパフォーマーたちが群唱するのが維新派のヂャンヂャン☆オペラである。しかし、維新派のヂャンヂャン☆オペラはそれだけではない。新国立劇場で上演された「noctune」あたりから私は便宜上「動きのオペラ」と呼んでいるが、パフォーマーの動きだけでセリフがないダンス風のパフォーマンスがもうひとつの柱となってきた。「キートン」(2004)、「ナツノトビラ」(2005−2006)、前作の「nostalgia <彼>と旅をする20世紀三部作 #1 」(2007)とその方向性はしだいに明確なものとなってきた。
 今回の作品はまさに表題の「呼吸機械」を思わせるダンスシーンを作品の冒頭とラストのそれぞれ15−20分ほど、作品の中核に当たる部分に持ってきた。「それありき」で作品が組み立てられているところから、「動きのオペラ」のひとつの到達点を示した作品に仕上がったといえるかもしれない。
 特に前半部分の動きをほぼ映すような形で反復しながらも、それをびわ湖の湖面に向かって、少しずつ下がっている舞台空間、その上を流れていく水のなかに浸かりながら行う。パフォーマーの動きだけでなく、野外劇場だからこそ可能な水の中の演技で飛び散る水しぶきさえ、照明の光を乱反射して輝き、50人近い大人数による迫力溢れる群舞とともにほかに比較するものが簡単にはないほどに美しいソーンを展開した。維新派上演史に残る珠玉の10分間だったといってもよいだろう。
 「呼吸機械」の中核の場面をダンスシーンとあえて書いたのは実は前々作「ナツノトビラ」の際*1にこのサイトで維新派コンテンポラリーダンスと見なしうるかどうかについての若干のやりとりがあったからだ。やりとり自体はそれぞれの議論に前提についての手続き論に終始してしまいあまり実りあるものとはならなかったのが、残念だったのだが、このやりとりが維新派コンテンポラリーダンスの双方について考えるきっかけとなったという意味では私にとっては有意義なものであった。