下北沢通信

中西理の下北沢通信

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チェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人である」@愛知芸術文化センター

あいちトリエンナーレ参加
『わたしたちは無傷な別人である』
作・演出:岡田利規
出演:山縣太一 松村翔子 安藤真理 青柳いづみ 武田力 矢沢誠 佐々木幸子

8/20~21 Nooderzon Performing Arts Festival Groningen (グロニゲン/オランダ)※プレビュー
http://www.noorderzon.nl/index.php?speech=uk

9/24~26 あいちトリエンナーレ(愛知)※世界初演
http://aichitriennale.jp/

プログラムには世界初演とあったが、これはあいちトリエンナーレの事務局の方から「世界初演ということでお願いします」というようなことがあったのではないか。横浜で上演された「わたしたちは無傷な別人であるか?」を練り直しての再演である。再演であるし即興の要素も含まれているので横浜公演と同じというわけではないが、岡田もテキスト的には「98%まで同じ」というアフタートークで話したように作品としては同じ。今回の名古屋公演では音楽が大谷能生によるオリジナルに変更されたほか、より大きなフリースペースである愛知芸術文化センターでの上演とあって巨大な白いモノリス状の舞台美術が用意されたほか、照明効果などの一層の工夫が凝らされた。
それゆえこの舞台のレビューとしては前作「ホットペーパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」の後、wonderlandに長文のレビュー*1を書いたのでそれに加えて特筆すべきことはあまりないのだが、この日のアフタートークによればこの2つの作品「ホットペーパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」「わたしたちは無傷な別人である」の対象的な方法論のうちどちらかのみを今後追求していく、つまり饒舌体のような文体を捨ててしまうのではなく、両方を並行していわば行きつ戻りつしながら作品を作っていくということを話しており、以前に横浜で話を聞いた時には「今は『わたしたちは無傷な別人であるのか?』で試みたような方法論により強い興味がある」と話していたことを考えれば若干の心境の変化があったのかもしれない。
 横浜で見た時と今回見たものとは若干異なる印象もあった。もっともそれはパフォーマンスが大きく変わったというよりはこの舞台を見るのが2回目であって次になにが起こるかとか、話の筋立てとかはすでに知っているという事実が私の観劇時における舞台との向かい合い方を少しだけ変化させた。(続く)