下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

Ervi Siren振付作品「KITE」 日本ーフィンランド共同製作@京都芸術センター

 振付:エルヴィ・シレン
作曲・音響デザイン:アーケ・オッツサラ
照明デザイン:藤本隆行
出演:垣尾優/川口隆夫/玉邑浩二/岩淵多喜子/立石裕美
ステージ・マネージャー:尾崎聡
翻訳・制作スタッフ:ケイトリン・コーカー/千代苑子

 JCDN/日本とZODIAK(フィンランド)の共同製作。フィンランド人振付家エルヴィ・シレンが、照明アーティスト藤本隆行と日本人パフォーマーと日本(東京)にレジデンスして新作ダンス作品を制作した。フィンランドコンテンポラリーダンスに対してまったく前知識がなかったこともあって、どんなものなのだろうと思いながら見たのだが、この作品はあまりにもとりとめがなくてどのように見たらいいのかがよく分からない。正直言って退屈してしまった。
 コンテンポラリーダンスを見る時に私が注視する判断材料は大きく分けて2つある。ひとつ目はその作品がどのような独自の動き(身体言語)を持っているのかということで、これが本当に優れているものを初めて見た時にはほかのものはいらないほどである。もうひとつはそれが作品としてどのようにビビッドに「いま・ここに」を切り取っているのか、ということだ。
 これは「身体言語」とした部分を「様式」あるいは「スタイル」と置き換えればほかのあらゆるジャンルの現代アートにも共通して成り立つ判断基準でもあり、それなりの普遍性を持っていると考える。ところがこの「KITE」という作品はそうした2つの基準では測りがたい。まず最初にムーブメントもなにも動きについてはなんらかのスタイルはないではないのだけれども、最初にソロで立った若い女性のダンサー(立石裕美)の動きを見ているとこのダンサーがそれほど舞台経験がないのが明らかに露呈してしまう。手慣れた演出家であれば力量において差のあるダンサーが舞台上にいれば演出的な工夫などで、それを目立たなくするものであるが、ここではそういうことはいっさいなされていないので、作品全体を見た時に明らかに完成度に問題がある舞台に見えてしまうのである。
 さらに言えばどうやらこの作品では動きはなんらかの制約は課せられているようだが、動き自体はそれぞれのダンサーから出ているもののようで、ここには全体としての統一された動きのディレクションは感じられない。
 もうひとつの着目点である作品の主題に関していえば「KITE」というのはどうやら凧のことのようだが、それがなにを意味しているのかが作品からははっきりと伝わってはこない。むしろ、それがメタファー(隠喩)としてなにか具体的なものを表象しているというよりは凧というものの持つ浮遊したイメージをゆるやかにリンクするような形で場面、場面と個々のダンサーが存在する、そのための結節点のようなイメージにすぎないのではないかと思われてきたのだ。
 その意味では確かに「KITE」のイメージは作品にとって重要なものなのだということは感じられるが、なぜそれが「凧」なのかということは全然分からない。日本のダンス作家であったら、少なくともコンテンポラリーダンスの作家であれば「凧」をモチーフにして作品を作るということはありえないのではないか。あるいはもし作るとしても例えば「糸の切れた凧」のようなもう少しそのもの以外の具体的なイメージが表象できるような形で主題化するのではないかと思う。ここには「いま・ここで起こっていること」、すなわち現代社会における諸問題を作品と関係づけようというような意思はほとんど感じられない。
 それでは「ダンスそのもの」を脱構築するような類の作品なのかというといわゆる「ノンダンス」やジャドソン教会流のタスク系のダンスでもなくて、個々のダンサーは場面によっては音楽に合わせて踊っていることも多いし、結局のところ日本のコンテンポラリーダンスとはまったく異なる文脈で作られてるなということが分かる程度で、それがなんなのかはいまひとつはっきりとはしないのだ。ただ、ダンスというのは踊り続けられることで、大きく変貌していくものであるし、この作品はフィンランドで上演されたうえで、これから坂本公成フィンランドで制作することになるもう1本の作品と一緒に「鳥の劇場」で上演されることも決まっており、今後どのような作品になっていくのかについて引き続き注目していきたいと思う。