下北沢通信

2014年演劇ベストアクト

 年末恒例の2014年演劇ベストアクト*1 *2 *3 *4 *5 *6 *7 *8 *9 *10 *11 を掲載することにしたい。さて、皆さんの今年のベストアクトはどうでしたか。今回もコメントなどを書いてもらえると嬉しい。

2014年演劇ベストアクト
1,悪い芝居「スーパーふぃクション」(赤坂・赤坂RED THEATER)
2,鳥公園「緑子の部屋」(3331 Arts Chiyoda B104)*12
3,Cui?「止まらない子供たちが轢かれてゆく」小竹向原・アトリエ春風舎)
4,SPAC「マハーバーラタ ナラ王の冒険」(横浜・KAAT、静岡・静岡舞台芸術公園野外劇場)
5,維新派「透視図」(大阪・中之島GATEサウスピア)
6,ミクニヤナイハラプロジェクト「桜の園(西巣鴨・にしすがも創造舎)
7,青年団若手公演河村企画(現・青年団リンクホエイ)「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア小竹向原・アトリエ春風舎場)
8,Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「가모메 カルメギ」(横浜・KAAT)
9,川上未映子×マームとジプシー「まえのひ」(新宿・風林会館)
10,青年団「変身」(横浜・KAAT)

 今年は最近では珍しく豊作な1年。10本に絞り込むのは困難を極めた。アビニョン演劇祭で日本の現代演劇としては20年ぶりに招へいされ大きな成果を残したSPAC(宮城聰演出)を今年を象徴する「この1本」に選ぶのが普通であろう。「マハーバーラタ」上演といえばピーター・ブルックによるアビニョン・ブルボン石切り場での上演がひとつの伝説となっているが、宮城は古代インドの叙事詩を、平安調の衣装と打楽器の生演奏で彩る音楽祝祭劇として上演、現地で高い評価を得た。ただ、渡仏前の静岡での公演、凱旋公演となった横浜公演を見てはいるもののこの舞台の演出はブルボン石切り場という場所の力を借りて初めて完成するもので、それゆえ、フランスでの歴史的上演を見ることが出来なかった悔しさを込めて、上位はあえて今後の演劇界を引っ張っていきそうな勢いを感じさせた若手の舞台を選んだ。
 ここ数年関西で面白いのはと聞かれると挙げてきた悪い芝居だが、今年(2014年)は「圧倒的な虚業を目指す」と宣言する主人公を登場させた一風変わった音楽劇「スーパーふぃクション」で突き抜け、山崎彬(=悪い芝居)は一気にこの世代のトップランナーに躍り出た。この舞台は最近の現代演劇全体のすう勢からいうとどう位置づけたらいいのか難しい部分もあるため賛否は分かれそうだが、1990年代、一番勢いのあった頃の大人計画ナイロン100℃を思わせる迸るようなエネルギーを感じさせるもので今年の一番の収穫に挙げたい舞台だった。

 一方、さらなる次世代の萌芽を感じさせたのが鳥公園(西尾佳織)とCui?(綾門優季)であった。いずれも20代とまだ若く、特に綾門は21歳という年齢を聞いてびっくりさせられた。鳥公園の西尾佳織はフェスティバルトーキョーで上演した「透明な隣人 〜8 -エイト-によせて〜」では形式と方法論が一致していない感が強かったが「緑子の部屋」は主人公であるはずの緑子が最初は登場せずにそれを語る人物、そこで語られる人物も次第にずれていき、なにがあったか、誰がいたのかという事実関係の基本さえその揺らぎの前に不確定なものとなっていく。西尾本人がその方法論にどこまで確信犯なのかについてやや疑問も残るがチェルフィッチュ「三月の5日間」、東京デスロック「3人いる」などで手掛けてきた演劇における叙述やのあり方をさらにもう一歩推し進めようというような作風で今後の活躍が期待できそうと感じた。
 昨年は自分に課した大きな主題にこれまで多田淳之介、前田司郎、松井周、岩井秀人ら次々と現代演劇の新たな才能を輩出してきた青年団周辺の全貌を知りたいということがあった。実はこれはまだ道半ばであるが、その中で次の世代を担うアンファンテリブルとして驚くべき才能の出現を感じさせたのが綾門優季Cui?主宰、青年団演出部)だった。最初にその舞台を見た時点ではまだ22歳、無隣館(青年団による若い演劇人の育成機関)のメンバーでしかなかったのだが、舞台を見て、その水準の高さに驚かされた。「止まらない子供たちが轢かれてゆく」には先行世代のポストゼロ年代作家らにない悪意がある。この悪意は大人計画ともポツドールとも違う。カタストロフィーに向けて走るある学校崩壊の一類型を冷徹な筆致と疾走感に溢れた演出で描き出していく。一人の役者が先生と子供、親と子供など複数の役柄をハイスピードで演じるのだが、興味深いのはこの舞台の空間は3つのゾーンに分けられていて、それぞれが子供、先生、親のゾーンに振り分けられていて、そのルールは演出ではなく戯曲の執筆段階から設計されている。表現された内容は大きく異なるが、こういう戯曲作成の方法はままごとの柴幸男らのやり方を前提とし、その次の展開をうかがっているように思えた。
 青年団では俳優の河村竜也が主宰し山田百次(劇団野の上主宰)が作演出を担当する青年団リンク ホエイの活動も異彩を放った。「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」も「止まらない子供たちが轢かれてゆく」同様に学校が舞台(こちらは複式学級の中学校)でこちらは一見スタイルは群像会話劇であり、平田オリザの現代口語演劇に近い。この舞台はいじめにつながりかねないような集団の同調圧力や教師の偏向教育も描かれていて一見、中学生を描いた芝居にも見えるのだけれど、どう見ても中学生には見えない大人たちが中学生を演じるというのがひとつの仕掛けで、教室という小さな空間で起こる出来事は連合赤軍オウム真理教事件などのカルトがどのように生まれるかという世界の構造と二重写しになっていく。ホエイでは江戸末期における蝦夷地での津軽藩士の悲劇を津軽方言を生かした会話劇で「珈琲法要」では三重、北海道、青森とツアー公演も果たした。2月には新作「雲の脂」上演も予定されており、来年は青年団を代表する劇団内ユニットとして、一層の注目を集めそうだ。
 青年団平田オリザの活動ではももいろクローバーZの主演により小説「幕が上がる」が映画化、舞台化されるのが今年の大きな話題となっているが、昨年の公演ではフランス人キャストによるアンドロイド演劇「変身」が興味深かった。
ここ数年アビニョン演劇祭への正式招へいを目指しいろいろ動いていたことは聞いていたので、昨年夏アイドル評論誌「アイドル感染拡大」*13に執筆したももクロ論「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」では以下のように書いた。

 日本の舞台芸術の流れを1990年代から振り返ると平田オリザは1990年代に「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、80年代以前の演劇が色濃く持っていた祝祭性を否定した。当時若手演劇人としてライバル関係にあった宮城聰(静岡舞台芸術センター芸術総監督=当時はク・ナウカ主宰)はインタビューで、平田の論に抗して舞台における祝祭的な空間の復活を論じた。「死が隠蔽されることで、宗教的な場が失われてしまった現代社会において、生命のエッジを感じさせるようなものを具現できる数少ない場所が劇場。だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだ」と強調した。90年代半ば以降、平田の現代口語演劇が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えた。ところが東日本大震災を契機に観客の多くが生と死という根源的な問題と向かい合ったことが関係してか、震災以降、人々は強く「祝祭性」を求めるようになった。(「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」)

 つまり、アビニョン演劇祭での宮城の成功と昨年夏のももクロライブ「桃神祭」での巨大な祝祭空間の出現により、宮城の提唱した「祝祭的パフォーマンス」の時代がやってくるかに思えて、その前提でももクロ論を展開したのだが、まずはこの「変身」で平田の敗北が私の思い込みにすぎないことを感じさせ、さらに今度は映画、舞台でももクロと組んで登場するという離れ業に震撼、平田オリザ恐るべしとの感を強くしたのである。
 青年団演出部にも所属する多田淳之介が率いる東京デスロックが韓国の劇団、劇場と共同製作した「가모메 カルメギ」も韓国との継続的な交流から生み出された好舞台であった。ただ、韓国では高い評価を得たようだが、残念ながら帝政末期のロシアを日本占領期の朝鮮半島に置き換えたこの作品の趣向が現在の日本においてどれほどのアクチャリティーを持つかについては疑問を感じざるを得ない部分もあった。
 同じチェーホフの翻案では原作の筋立てをほぼ解体してしまいながらも「桜を伐る」というモチーフを桜を移植したい開発会社と桜を守ろうという運動を進めてる女性、そして桜のある土地を売却してしまいたいという地権者の三者三様の葛藤を描きだしたミクニヤナイハラプロジェクト「桜の園」の方が原発問題や沖縄の基地問題にも通底する射程を持ちだけにポスト3・11の日本社会においてはよりビビッドに感じられた。
 維新派が大阪の地に10年ぶりに帰ってきて上演した「透視図」は滅びゆく古き良き大阪に対する松本雄吉=内橋和久のコンビが描き出す挽歌を思わせた。SPACの「マハーバーラタ ナラ王の冒険」同様これをトップに持ってきてもおかしくない公演ではあったが、昨年維新派「MAREBITO」を1位とした経緯もあり今回はこの順位とした。
マームとジプシーは昨年も数多くの公演をこなし健在ぶりを示したのが独り芝居でありながらパンクミュージシャンのライブを思わせた川上未映子×マームとジプシー「まえのひ」(新宿・風林会館)が圧倒的に素晴らしかった。