下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

うさぎストライプ「みんなしねばいいのに」@アトリエ春風舎

作・演出:大池容子
出演 小瀧万梨子(うさぎストライプ・青年団) 亀山浩史(うさぎストライプ) 緑川史絵(青年団) 長野 海(青年団) 立蔵葉子(青年団) 芝博文
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿)
音響:角田里枝(Paddy Field)
舞台美術:濱崎賢二(青年団
舞台監督:宮田公一(箱馬研究所)
宣伝美術・ブランディング:西 泰宏(うさぎストライプ)
制作・ドラマターグ:金澤 昭(うさぎストライプ・青年団
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)


 うさぎストライプ「みんなしねばいいのに」@アトリエ春風舎観劇。芝居のなかにはよく分からないからつまらないものとよく分からないけど何故か面白く感じるものがあり、これは後者。ただ分からないとただ言ってるのも癪なのでもう何回か見て考えたいと思う。大池容子といえばこれまで私には青年団若手屈指の優等生的な存在というイメージが強かった。
 平田オリザ原作の映画「幕が上げる」に主人公らの演劇部の先輩が出演している劇団として登場するのが大池が率いる「うさぎストライプ」である。映画撮影の収録場所がアゴラ劇場で、ちょうど彼女らの「デジタル」が公演していたからというのが、映画の中で上演される舞台に選ばれたひとまずの理由であろうが、単に公演を収録したというだけではなく、先輩役の女優をキャストに加えたバージョンを特別に上演してそれを撮影したことからも窺われるようにおそらくこれは監督の本広克行が原作者でもある平田オリザに相談した結果、うさぎストライプが選ばれたと思われ、それは平田の大池容子に対する評価が高いことの表れではないかと思うからだ。
 さらに言えば大池はアトリエ春風舎の芸術監督という役目も任せられている。彼女に聞くとこれも「自分でどうしてもやりたくて手を上げたからだ」ということだが、これももちろん前提として平田のそれなりの信頼があるからであろう。
 彼女のこれまでの作風も先輩である平田オリザ流の群像会話劇から彼女が私淑するという多田淳之介の影響を受けたような激しい身体的負荷をかけながらセリフをいわせるようなポストゼロ年代演劇まで幅広く、どちらも器用にこなして見せるスマートさがあるのも大池の持ち味だった。そうした特色がもっとも分かりやすく表れたのが昨年5月のうさぎストライプ「いないかもしれない 2部作」@こまばアゴラ劇場の公演。この公演ではかつていじめのあった学校の仲間がひさしぶりに集まる同窓会的会合を描いた戯曲を青年団(=平田オリザ)的な現代口語演劇の手法で上演した「いないかもしれない 静ver.」と同じ戯曲を皆が動きながら演技をするようなポストゼロ年代的演出で上演した「いないかもしれない 静ver.」の2本立てでやってみせて、いわば青年団という劇団およびその周辺(東京デスロックなどOBが関わる劇団)で行われている演劇表現の広がりを総覧してみせてみせるというもので、「青年団の申し子」というのに相応しい存在であることをみせつけた。
 ところがこの「みんなしねばいいのに」はそうしたこれまでのうさぎストライプのあり方とはかなり異なった肌触りが感じられる舞台だった。冒頭で「よく分からない」と書いたのはその意味をこめてのことで、これまでの大池のやり方では例えば「デジタル」でいえば振付家・木皮成が振り付けたダンスというか奇妙な身体所作をしながらセリフを語ることに物語上どんな意味があるのかということは確かに説明はできないがそれをする演出的な意図(身体的負荷)は明確であり、そこにはそれほどの「謎」はない。ところが、そういうよくも悪くも「整理されたところ」は「みんなしねばいいのに」にはなくて、いわばおそらく作家が好きであるいは入れたくて入れたいろんな要素のごった煮、アマルガムであり、それが未完成な状態でただ投げ込まれている感が強い。だから、例えば突然現れる鬼のような角の生えた「人」は何者なのか。看護師の部屋に居座っている幽霊は誰なのか。斧を持って人を襲いにいっている男を登場させた意味は何なのか……。そういうことを理屈というか意味の領域で考えるとあまりにもとりとめがなく「よく分からない」。それでも、一応の主役的存在として登場する3人の女性(小瀧万梨子、緑川史絵、長野海)はそれぞれ個性的で魅力的。批評家としての性癖としては冒頭にも書いたように登場人物それぞれの意味合いについてももう少し考えたいと思わせられるが、作品を楽しむという意味ではこれで十分とも感じた。