下北沢通信

少年王者舘「シアンガーデン」@下北沢ザ・スズナリ

少年王者舘「シアンガーデン」@下北沢ザ・スズナリ

作:虎馬鯨
演出:天野天街
出演

夕沈
小林夢二

岩本苑子
井村昂
篠田ヱイジ[名古屋公演のみ]
山本亜手子[名古屋・東京公演のみ]
水柊[兵庫公演のみ]
中村榮美子[東京公演のみ]
がんば(きのこともぐら)[兵庫公演のみ]

スタッフ

脚本:虎馬鯨
演出:天野天街
舞台美術: 田岡一遠
美術製作: 小森祐美加
映像: 浜嶋将裕
照明: 小木曽千倉
音響: 岩野直人[ステージオフィス]
舞台監督: 岡田 保[演劇組織KIMYO]
振付: 夕沈/池田遼
音楽: 珠水/ FUMICO
チラシ: アマノテンガイ
写真: 羽鳥直志
撮影: 山崎のりあき/田中博之
制作: 宮璃アリ/水柊/藤田晶久/篠田ヱイジ

協力:うにたもみいち/小島祐未子/望月勝美/金子達郎
サカイユウゴ/うえだしおみ/相内友美/近藤樺楊/山本かおり(賄い方)

杉浦胎兒/中村榮美子/サカエミホ
雪港/☆之/水元汽色/カシワナオミ
街乃珠衣

共催:伊丹市立演劇ホール(兵庫公演)
主催:少年王者舘

少年王者舘「シアンガーデン」@下北沢ザ・スズナリ観劇。今回は作が天野ではなく、虎馬鯨ということでやや純度は落ちるかもしれない。セリフのいわゆる「天野語」と呼ばれている独特の言い回しや詩的な表現、掛け言葉ような言葉遊び天野ならではの煌めきを感じさせるような風味は薄かったかもしれない。ただ、幾重にも重なった「夢の中の夢」の入れ子的多重構造やアパートの3つの部屋が融通無碍につながって作られた不条理かつ不可思議な世界はやはり濃厚な天野天街ワールドで、そこは充分に堪能することができた。
2010年2月に上演された「夢+夜」のレビューで*1、その10年前の2000年に「下北沢通信雑記的日記帳」に書かれた「自由ノ人形」の感想を引用した。その部分には以下のようにあった。

 「大阪日記」の2000年9月にある「日記風雑記帳」にある少年王者舘「自由ノ人形」の感想の再録であるがここで注目してほしいのは「天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている」という部分で、ここでは死者の視点からの実現しなかった未来の幻視となっているが、実はこの未来というのは「過去」「現在」「未来」が混然一体となった無時間的なアマルガム(混合物)ともみなすことができる。つまり、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に擬えるならばここで天野が描き出すのは「世界の終り」であり、そこには時間がないゆえにそこでの時間は伸縮自在でもあって、ループのように繰り返されながららせん状にずれていく平行世界のような存在でもある。そして、「幻視」される世界のなかで不可視なのはその中心にある「死」であり、天野ワールドではそれは明示させることはほとんどないが、まるで空気のように「死」に対する隠喩がその作品世界全体を覆いつくしている。

 この「シアンガーデン」は天野脚本ではないために少しその設定があいまいなところもあるが、それでも基本的な構造は同じである。ここに出てくる3つの部屋は「死者の世界」であり、ロボットは実現しなかった死者の夢の象徴のようなものかもしれない。また、この世界では死=眠りでもあり、死は眠りであるからこそ、そこは自分が望んだことが自由に実現する世界でもある。だから、夕沈演じる少女の部屋には実際にはいなかったお姉さんが一緒に住むために帰ってくるし、隣りの部屋には父親と兄妹が住んでいて、兄妹とかくれんぼや鬼ごっこで遊ぶこともできた。
通常の天野戯曲であればここで死んでいるのは夕沈が演じる少女であり、すべては彼女にとって実現しなかった「過去」「未来」への「幻視」ということになるのだが、最初のシーンが父と兄妹が幻の世界を天井の穴から覗き込む場面からはじまり、3人の場面は半ば少女の夢からは独立した並行世界のようにスタートする。物語の進行に従って、突然父が少女のことを亡くなった妻だと言い出し、息子娘は「亡くなった母であるお前の代わりに私が産んだ」などと言い出し、2つの物語を繋ごうするが、その関係はかなり無理やりの感がある。 
「シアンガーデン」のもうひとつの重要な主題はロボットであろう。前述の「自由ノ人形」をはじめ人形は天野作品に頻出するキーアイテムなのだが、天野作品ではあまり見たことがない。もっとも天野