下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ロロ+キティエンターテインメント・プレゼンツ「父母姉僕弟君」@シアターサンモール

ロロ+キティエンターテインメント・プレゼンツ「父母姉僕弟君」@シアターサンモール

【脚本・演出】三浦直之 【音楽】曽我部恵一 【衣裳】伊賀大介 【出演】亀島一徳 篠崎大悟 島田桃子 望月綾乃 森本華(以上ロロ) 緒方壮哉 北村 恵(ワワフラミンゴ) 多賀麻美(青年団) 田中佑弥(中野成樹+フランケンズ) 松本亮
2017年11月2日(木)~11月12日(日)

前回公演「BGM」*1を見たときにロードムービー風作品を前にも見たことがあった。その記憶がおぼろげに甦ってきたが、それがの「父母姉僕弟」の初演(2012年王子小劇場)だったことを今回の舞台を見ている間に思い出した。
ロロの作品は難解というわけではなく、特別な知識がない観客でも肩肘張らずに見ることができるものではあるが、実はアニメ、漫画、小説など様々なテキストからの引用がなされている。この「父母姉僕弟君」でもそうした他作品からの引用は多用されている。
 途中の野球の場面での「ドカベン」「タッチ」など様々な野球漫画からのセリフの引用などはおいておくとしてもまず考えられるのは作者が大好きだと言う高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」の影響であろうか*2
 主人公である明夫・ザ・キッド(亀島一徳)ほかヒロインの雨天球(島田桃子)、仙人掌、ダーティ・ダンディ・ダディーマン、エノモトキハチ、笠原園絵、森永重樹、雨陸生、キャット・バ・バーと登場人物の名前はみな来歴がありそうで風変わりなものばかりだが、出典が分かるものは限られている。エノモトキハチはもちろん野球選手の榎本喜八だろう*3
 明夫・ザ・キッドと雨天球は仲の良い若い夫婦。キッドの故郷をドライブしている。そこでなぜか突然のように天球が「私が死んだらすぐに新しい奥さんをもらってほしい、でも私を忘れないでほしい」と遺言のように死後への希望を語り始める。これが物語の冒頭だ。
 天球は死に白衣に羽のついた天使になっている。キッドは自分と天球が出会った日の大きな木の下を目指し、時空を超えた旅に出ることにし、その途中で先に挙げた仙人掌はじめ奇妙で不可思議な仲間たちと出会い、擬似家族的な集団を結成する。これがファンタジーに溢れたロードムービー風の演劇「父母姉僕弟君」の筋立てだ。
 ロロの三浦直之はボーイ・ミーツ・ガールの物語を劇団の旗揚げ以来ずっと描き続けてきた。そこでは主人公の男が愛を捧げる女の子は「もうすでに失われている」ことが多く、初演を見た際はこの物語もそういう一連の系列の物語なんだろうと単純に考えていた。
 ただ、今回改めて再演を見てもう一度考えてみて、ここにはそれだけではない、あるいはそれ以上の何かがあるのではないか。まずヒロインが死別したというのは今までもないことはないのだが、冒頭に登場して病気だからとか何かの説明もなしに突然死んでしまうのはなぜなのか。そして、この作品のもうひとつの主題が「記憶」ということだが、時間の経過によりいやおうなく失われていく記憶のことが天球の口から何度も繰り返されるのだ。
 もうひとつはやはり作品中のあらゆる場面に散りばめられている「死」のイメージだ。物語内で一度ははっきりと死者になってしまうのは仙人掌の父親であるダーティ・ダンディ・ダディーマン、雨陸生、死の国にいる電源……。自分が死者とははっきりと描かれているわけではないが、キッドをはじめほとんどの登場人物はその死者と深い関係を持っている。エノモトキハチももちろん亡くなってほどない元野球選手の名前だ。
 そこで分かってきたことがひとつある。それが直接言及されることはいっさいないけれど、「雨天球」とは東日本大震災津波にのまれそれ以前の景観をすべて失ってしまった三浦の故郷、宮城県女川町のことではないのか。
 東日本大震災の被災地はあまりにもエリアが広いのでどの場所についての知識も広く持っているわけではないが、とある理由で女川町については特に海岸部分は津波の直撃を受けて、東日本大震災の前と後では普段の風景が一変してしまっていることも映像などで見た記憶がある。

 いわき、松島、仙台、石巻の旅程を選んだ土地がすべて東日本大震災の被災地であることには絶対に偶然ではなく大きな意味があるはずだ。この作品の主題が失われてしまった過去の風景であることを考えれば、この作品で設定された10年という歳月にはただの物理的な時間というだけではなくて、2016年から2006年へと過去に遡る際に、その間に2011年3月11日はあり、しかもそれは過去の風景を完全に消し去ってしまうような切断線としてそこにあるんだということを誰も否定できないだろう。
 ところが、この舞台で三浦直之はあえて物語の核心である震災には触れることはない。この芝居を見る全ての観客が設定から予期すること、つまり震災の記憶をあえて描かないのが三浦らしいと思った。

ロードムービー風演劇としてこの「父母姉僕弟君」の続編的な意味合いを持つ「BGM」では震災のことは直接劇中では触れられないけれど「いわき、松島、仙台、石巻」の地名は出てきた。
 「父母姉僕弟君」でそれさえ出てこないのは震災から1年半ぐらいしか経過していない当時の心情ではそれに触れることもできないほど傷は深かったからかもしれない。なんとも言えず「せつない」のがロロの持ち味ではあるのだが、この「父母姉僕弟君」がいつもにもまして「せつなさ」濃度が高いのは失われてしまった雨天球にはもう一度出会えても「さよなら」の思いをもう一度告げることしかできないわけだし、そのことに失われてしまった故郷の風景への思いが力いっぱい盛り込まれているからだろう。
優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

ロロ「父母姉僕弟君」
ロロ http://llo88oll.com/
「父母姉僕弟君」
佐藤佐吉演劇祭2012参加作品

2012/8/5(日)〜14(火) @王子小劇場 14st.

【脚本・演出】 三浦直之

【出演】
明夫・ザ・キッド:亀島一徳(ロロ)
雨天球:島田桃子
仙人掌:望月綾乃(ロロ)
ダーティ・ダンディ・ダディーマン:内海正考
エノモトキハチ:田中佑弥(中野成樹+フランケンズ)
笠原園絵:葉丸あすか(柿喰う客)
電源:多賀麻美
森永重樹:篠崎大悟(ロロ)
雨陸生:山田拓実
キャット・バ・バー:小橋れな

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:書評家・豊崎由美はキャサリン・ダン「異形の愛」を参照項として指摘しているようだが、その著作は未読なため判断は留保する

*3:私の年代ではあまり現役時代のことは分からないのでソースは沢木耕太郎「敗れざるものたち」なのだが、初演の上演時期に近い2012年3月に亡くなっているので、当時話題になったのかもしれない