下北沢通信

中西理の下北沢通信

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鳥公園♯14「すがれる」2012/2017@こまばアゴラ劇場

作・演出:西尾佳織

2012年に北九州、大阪、横浜と都市を移動し、環境を脱ぎ替えながら、作品を少しずつ成長させるプロセスを踏んだ「すがれる」。本公演では、大阪バージョン再演と、横浜バージョンのリクリエイションとの2本同時上演を行います。


鳥公園
2007年7月結成。「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。生理的感覚やモノの質感をそのままに手渡す言葉と、空間の持つ必然性に寄り添い、「存在してしまっていること」にどこまでも付き合う演出が特徴。東京以外の土地での滞在制作も積極的に行っている。
出演 武井翔子、山崎皓司(FAIFAI)、八木光太郎(GERO)
スタッフ
舞台監督=浦本佳亮+至福団、舞台美術=中村友美、照明=中山奈美、音響=中村光彩、衣裳=藤谷香子(FAIFAI)
演出助手=長谷川皓大(富士フルモールド劇場)、宣伝美術=鈴木哲生
制作協力=​中山佐代(京都公演)、制作=合同会社syuz'gen
​助 成=日本芸術文化振興基金、公益財団法人セゾン文化財団、公益財団法人全国税理士共栄会文化財
提 携=こまばアゴラ劇場(東京公演)
共 催=アトリエ劇研(京都公演)
協 力=FAIFAI、GERO、舞台芸術工房六尺堂、富士フルモールド劇場、シバイエンジン
製作・主催=鳥公園

鳥公園の作品には余白が多い。この舞台でも室生犀星の小説などから引用された「死」や「老い」にまつわる複数のテキスト(老作家と金魚との会話で構成された「蜜のあはれ」、凄絶なガン闘病記「われはうたえどもやぶれかぶれ」、「蜜のあわれ」出版時の犀星自身と栃折久美子氏の装丁のことを題材にした「火の魚」)が舞台上で引用され上演されるが、それは厳密な意味でひとつのテキストに収斂されるということはない。舞台上ではそれぞれの物語はゆるやかに漂いながら響き合っている。


 室生犀星の小説が原作ではあるが、実はこの物語は2010年にNHKドラマ「火の魚」、昨年(2016年)に映画「蜜のあはれ」として映像化されている。「すがれる」には老作家の担当女性編集者が出てきて作家から金魚の魚拓をとって、小説の表紙の装丁デザインにするように依頼されるのだが、この部分が書かれているのが「火の魚」。NHKによるドラマは尾野真千子が若い女性編集者役、原田芳雄が老作家役を演じ、国内外の数多くの賞も受賞したのだが、この舞台を見てどこか既視感を感じたのは以前にこのドラマを見ていたからだったようだ。

すが・れる【▽尽れる/▽末枯れる】 の意味

出典:デジタル大辞泉

[動ラ下一][文]すが・る[ラ下二]

1 草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる。
「梅が散って、桃が―・れて」〈風葉・恋ざめ〉

2 人の盛りが過ぎて衰えはじめる。
「自然 (じねん) と―・れて来る気の毒な女房の姿は」〈漱石・道草〉

3 物が古びる。
「―・れたる綿繻子の帯の間より」〈露伴・いさなとり〉

4 香が燃えつきる。
「―・れたれども名香とおぼしき空炷 (そらだき) に」〈読・逢州執着譚・五〉

 「すがれる」というのは耳慣れない言葉だが、辞書で調べてみると 「1 草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる。」が転じて「2 人の盛りが過ぎて衰えはじめる」の意。先に書いたように老境に入った作家を描くことで「老い」やその先に来る「死」をモチーフとしていることは間違いないだろう。個人的な体験を書くのはどうかとは思うが、50歳をとっくに過ぎ、60歳を目前に控える年齢になるといろんな意味で「老い」を実感せざるをえないし、身につまされるようなことも多くて人ごとではない。
 前回公演の「ヨブ呼んでるよ」の観劇後の感想*1で鳥公園(=西尾佳織)の芝居の叙述の特徴を「通常は例えば小説の記述における地の文のようなものがあり、それが劇の中で何が語られているかの手掛かりになることで全体としての構造がつかめてくるのだが、劇描写の中にはそういう地の文のようなものがない。あるいはあるとしてもすごく分かりにくい形でしか存在していない。ネット上の感想などをみると「分かりにくい」というものが多いが、ひとつはそうした特徴にあるのではないか」と書いたが、この「すがれる」では手掛かりとなる描写の核がいずれも小説のテキストを元にしているものであるため、私にとっては「ヨブ呼んでるよ」のような根源的な理解不可能性を感じさせるものではなく、この人の作品としてはすごく分かりやすい。
 とはいえ、ことテキストという限りにおいてはおそらく「すがれる」の初演は2012年だから初演時にすでに室生犀星の原作小説「火の魚」だけではなく、脚色したドラマもイメージとして参照していたのではないかと思われる節*2があること。その後、昨年今度は二階堂ふみ主演の映画「蜜のあわれ」が公開されるわけだが、映画は私は見逃していてこれが演出家にとっての直接的な参照項になっているかどうかは不明だが、この時期にこの作品が再演されたことと映画の公開はまったくの無関係といえないのかもしれない*3 *4。 

*1:「ヨブ呼んでるよ」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20170319

*2:装丁家栃折久美子をモデルにしていた人物を編集者としていたのはドラマのオリジナルだったが、この舞台でも女は担当編集者として登場する。西尾によればドラマは存在は後で知ったが見ていない、編集者には私が変更したのでドラマとの一致は偶然とのことだった。

*3:少なくとも映画の公開を知らないで舞台を作っているとことは考えにくい。とりあえず未見の映画を何とかして見てみたいと思った。

*4:西尾によれば映画も見ていないということだった。