下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

横浜ダンスコレクションコンペティションII(1日目)@野毛シャーレ

横浜ダンスコレクションコンペティションII(1日目)・若手振付家@野毛シャーレ

斉藤 稚紗冬『みいむ』
小林 菜々『ニセモノ』
永野 百合子『まぐろ』
池上たっくん『捨てる』
髙宮 梢『なかりけり』
長岡 慧玲奈『しつらい』




審査員(五十音順)
伊藤千枝(珍しいキノコ舞踊団主宰・振付家・演出家・ダンサー)
ヴィヴィアン佐藤(美術家)
浜野文雄(新書館「ダンスマガジン」編集委員


昨年は結局1日目しかコメントできなかった。最終的な結果が出てからだとやはりコメントは出しづらいのが昨年分かったので今年は短くていいから私なりの評価を書いていきたい。ちなみに昨年は私の評価は審査員の出した結果と一致せず(笑)。まあ、この方がどうせ個人の見解だと好き勝手自由に書けるかも。でも普通の人(特に批評家)はそういうリスク背負わないからねえ。

初日よかったのは池上たっくんの「捨てる」だった。この種のコンペには珍しい男性2人女性3人のアンサンブル。今年から会場が赤レンガ倉庫の2階から野毛シャーレに替わり、柱もなくなり、天井も高くなった。あるダンサーがもうひとりのダンサーに力をかけるとそのダンサーが吹っ飛んでいき、天井を向いて人形に横たわるというような場面が多用されたりするのだが、広い空間でより迫力のあるパフォーマンスが可能になったが、そうした利点を存分に活用した。
ロボット少女を演じた小林菜々も魅力的であった。ただ、それは彼女がもともと持っているキャラや容姿を十分に活用したものであり、その愛らしさこそ作品の魅力の源泉だと考える。ダンスの振り付け自体にはいわゆるロボットダンスにはならない独自性はあるとしてもダンスコンペで評価するような作品なのかについて疑念が残った。ただ、パフォーマーとして魅力的で出演する舞台があればぜひ行ってみたいと思わせた。
高宮梢「なかりけり」は女性ダンサー2人によるデュオ作品。振り付けのムーブメントに強烈な個性があるわけではないが、2人が醸し出す柔らかな空気感に女性デュオ特有の魅力を感じた。
この作品を見ていて思い出していたのはこのコンペの前身の横浜ソロ×デュオコンペティションにはほぼ10年にわたり応援してきたCRUSTACEA(濱谷由美子)をはじめほうほう堂など魅力的なデュオユニットが活躍していたが最近はあまり見かけなくなった。それが今回この作品を見ていて改めて感じたのは「表現=自分」になりがちなソロと違い、作品の客観性がはっきりとしているし、それでいて個々の動きのディティールが分かりやすいデュオが好きなのだということだった。
  ただ、最後に残念な思いがしたのは作品の最後の部分で高宮がひとりで踊ったことだ。デュオが継続的なものであるならばしばらく追いかけて応援しようかなという気分にもなったのだが、あの終わり方からすると今回の作品はたまたま2人で踊っただけで、ペアが継続的なものというわけでもないのかもしれない。継続的な活動をしているデュオならばああいう終わり方はしないような気がする。
一方、斉藤 稚紗冬『みいむ』は典型的なソロダンス。冒頭しばらく見ただけでこの人が相当以上に卓越した身体能力を持つ優れた踊り手だというのは分かる。洋舞コンクールのようなコンペであれば上位入賞するのかもしれないが、振付作品として評価はしづらい。
  長岡慧玲奈『しつらい』も一定以上の技量を持ったダンサー3人による群舞作品でこういうものを高く評価する層の存在があることを否定できないが、それだけでは私には退屈と言わざるをえない。しかも、これはなぜこういう作品を選んだのかという選考過程にも疑問がぬぐいきれないが、これからどう展開するのだろうかと見ていたら作品が短くて展開する前に終わってしまった。これだと振付家としての才能を評価すること自体が困難なのではないか。
  さて、最後は永野百合子『まぐろ』。こういうものが選ばれているということ自体面白くはあって1日目最大の問題作かもしれない。とはいえ、言葉こそ使っていないが、私の基準からすればこれは演劇である。多摩美術大学の出身者だということもあって、被り物の「まぐろ」の着ぐるみや紙芝居などビジュアル造形のセンスには面白いところがないではないが、ダンスの振付・ムーブメント自体が新味がないのは厳しい。


simokitazawa.hatenablog.com

simokitazawa.hatenablog.com