下北沢通信

中西理の下北沢通信

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福島県立いわき総合高等学校 総合学科 芸術・表現系列(演劇) 第14期生 東京公演「1999」@こまばアゴラ劇場

福島県立いわき総合高等学校 総合学科 芸術・表現系列(演劇) 第14期生 東京公演「1999」@こまばアゴラ劇場

作・演出:野上絹代(FAIFAI /三月企画)


「1999年、世界は終わらなかった。だけど世界はまだ気づいていない、私たちの誕生に。
ほぼ1999年に生まれた10人の女子高生による演劇。ノストラダムスの予言によると恐怖の大王が空から降ってきて、世界を滅亡させるという1999年。しかし世界は終わらなかった。
終わらなかった世界はどうなったのか。 終わらなかっただけで世界はどうなってるのか。
その年に生まれた彼女らはいわば、「世界の終わりに誕生した希望」。JKだからってキラキラした甘酸っぱいことすると思ったら大間違いだぞ。走って転んで泥だらけでも大笑い。そんないじらしい舞台にしていきたい。



福島県いわき総合高校 総合学科 芸術・表現系列(演劇)とは


福島県いわき総合高校は、普通科から総合学科へと転換し15年目となる総合学科高校です。校是である「個性・自律・創造」という理念の下、自然科学・人文国際・情報・芸術表現・スポーツ健康・生活福祉の6系列があり、多様な科目の中から生徒一人一人が自分の興味関心・進路目標に応じて授業を選択します。その中の「芸術表現系列」の中に、学校設定教科として「演劇」の科目があり、22単位の授業を設けています。本校の演劇の授業の目標とするところは、演劇の手法を用いたコミュニケーション教育です。「人と人との関係の芸術」である演劇を授業で学ぶことにより、生徒の創造性や表現力の伸張、コミュニケーション能力の向上及び人間理解の深化など、演劇が教育にもたらす豊かな人間育成をねらいとしています。舞台人養成のための授業ではないのですが、最終的にはプロのアーティストと作品を創り、地元の劇場で公演も行います。ここ数年では、前田司郎氏、藤田貴大氏、飴屋法水氏、岩井秀人氏、多田淳之介氏、田上豊氏、危口統之氏、三浦直之氏、などを講師としてお迎えしてきました。2013年に飴屋法水氏と第10期生とで創作された『ブルーシート』は、第58回岸田國士戯曲賞を受賞しています。

○作・演出プロフィール

野上絹代

幼少よりクラッシックバレエ、高校から振付け活動を開始。大学在学中より同級生らとともに劇団小指値(現:FAIFAI)を旗揚げ。
以降、俳優・振付家として同団体の国内外における活動のほとんどに参加。
ソロ活動では俳優・振付に加え演出力を武器に演劇/ダンス/映像/ファッションショーなど幅広く活動。2016年ソロユニット「三月企画(マーチプロジェクト)」を発足。
多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン科非常勤講師


出演

相澤美咲 菅原七海 今野夢惟 鈴木奈巳 木下爽香
佐藤亜未 髙津美怜 青山千乃 鵜沼愛海 松本有生

スタッフ

舞台監督:佐藤恵
舞台美術:佐々木文美(FAIFAI)
照明:中山奈美
音響:佐藤こうじ(Sugar Sound) 泉田雄太
音楽:佐藤公俊 難波卓己
宣伝美術:廣岡孝弥
制作:齋藤夏菜子 遠藤崇 山﨑祥子
記録・映像:大倉英揮(黒目写真館)

1999年生まれの高校生たちによる卒業公演ということから「恐怖の大王」で始まった時には????と感じた。「ノストラダムスの予言」「地球の滅亡」なんていっても今の高校生は分からないだろうし、ましてや冒頭のデーモン閣下を思わせる悪魔メイク。せっかく東京までやってきて公演してもこれじゃまったく顔が分からないじゃないか(笑)。高校生たちにずいぶんかわいそうなことするなとも思った。
 悪魔メイクの女子高生がアルバイトや彼とのデート、将来への夢などそれぞれ自分たちのことを語っていく。これだけでもなにか笑ってしまう。全体にゆるい雰囲気が漂っているのだが、
「嘘をつく」というお題の中で、ひとりが震災の時の実体験を語りだすと空気が一変する。
 その後、舞台は再びまた前のようなフザケタ雰囲気に戻るのだが、そのことはのどに刺さった棘のように観客の脳裏に残っている。
 そして、ふざけちらした悪魔たちが一人去り、二人去りと舞台から去っていき、暗転。再び始まると今度は高校生たちは悪魔メイクを落とし素顔で現れるが、実はこれがとても新鮮に見える。ひとりひとりのイメージが最初の悪魔メイクの時に想像したのとは違うのも印象的で、それぞれの個性が際立つ。最初の悪魔メイクはこのためだったのかと思わず感心させられた。
 先輩が演じた三浦直之(ロロ)作品と違って、先輩たちはあんなにキラキラしていたのに私たちは「恐怖の大王」だよなどと前半には自虐ギャグも挿入されていたのだが、ここからの彼女たちは本当にキラキラしていて、さすが祝祭の演劇を得意としたFAIFAI の振付家である野上絹代だと思って感心したが、この作品の真骨頂はこの後にあった。
 祝祭的なダンスシーンが終わり、これで終わりかなと思っているところに唯一の男性出演者が登場して「これから『世界の終わり』を上演します」と客席に向かって宣言する。地球の終焉を描いた柴幸男「わが星」の冒頭部分を想起させる演出で明らかにこれは意図的な引用であろう。
 次の瞬間、衝撃音が鳴り響くと何かの大きな災害により教室(かなにか)に閉じ込められた9人の女子高生の場面がはじまる。ここはノストラダムスの言う大災害のようなものに巻き込まれたという話のようにはなっているけれども、ここには突然、彼女たちも体験した震災、津波原発事故のことがダブルイメージとして重なってこざるを得ない。そこでは「世界の終わり」が演じられるが、最後は世界が終わっても、宇宙が終わっても私たちは何かの形で甦るのだという強い意思と希望が唱和されて作品は終わる。そうだ、この舞台は絶望からの復活の物語だったのだ。そして作者がその希望を託したのが「恐怖の大王」が地球に襲来するはずだった世紀末に生まれた少女たちだったのだと思う。