下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ITOプロジェクト 糸あやつり「高丘親王航海記」(天野天街脚本・演出)@下北沢ザ・スズナリ

ITOプロジェクト 糸あやつり「高丘親王航海記」(天野天街脚本・演出)@下北沢ザ・スズナリ

原作 澁澤龍彦
脚本・演出天野天街
ナレーション知久寿焼

出演
飯室康一(糸あやつり人形劇団みのむし)
山田俊彦(人形劇団ココン)
阪東亜矢子(JIJO)
植田八月(人形劇団おまけのおまけ)
竹之下和美(人形劇団おまけのおまけ)
永塚亜紀(人形劇団あっぷう)
よしだたけし(Puppeteer ポンコツワン)


ITOプロジェクト 糸あやつり「高丘親王航海記」は澁澤龍彦の遺作小説を少年王者舘天野天街が人形劇に仕立てて上演したものだが、私の目にはこれが天野がかつての僚友で一昨年亡くなった維新派の松本雄吉への追悼劇にも見えた。特に最後の方の場面では天竺に行くことができず、思い半ばにして喉の病気で倒れた高丘親王がどうしても松本雄吉に見えてきて、涙が出てきて冷静に見ることができなかった。
  「高丘親王航海記」はサドの翻訳者、サド裁判でも知られ、多くのエッセーでも知られる澁澤龍彦の最後の小説作品。晩年の澁澤は喉頭部に病を抱えながら「高丘親王航海記」の執筆を続け、第1話の「儒艮」(じゅごん)から5話の「鏡湖」までは、喉頭ガンであることを知らないまま書かれ、最後の2話「真珠」「頻伽」(びんが)はガン告知を受けてからの作品だとされている。
 声帯除去の手術で声を失い筆談の生活となるが、創作力は衰えず、最後の2話を書き継いで「高丘親王航海記」を完成させる。しかし、本の出版を見ることなく、1987年、頚動脈瘤破裂により59歳で死去。遺作となった本作で読売文学賞を受賞した。
 松本雄吉の名前を出したのは実は「高丘親王航海記」は維新派少年王者舘の合同公演として名古屋の白川公園の野外舞台で上演されたことがあり、その時に松本雄吉は主役の高丘親王を演じたことがあり、舞台に本物の牛を持ち込むなどスペクタクルな演出が評判を呼んだが、名古屋のみの公演だったこともあり見ることができなかった人も多く*1、両劇団のファンの間でも「伝説の公演」となっているということがあるからだ。
 ITOプロジェクトは関西を中心に普段は個人で活動していることが多い人形師らが集まって結成されたグループで、天野天街の作演出により2004年に「平太郎化物日記」を上演。それまでの糸あやつりの人形劇のイメージを覆えすような驚天動地の演出に大評判となった。今回はそれから14年をへての2回目の公演となったのだが、演目に「高丘親王航海記」を選んだことと松本の死が無関係というのはありえないだろう。
 作品自体も素晴らしい。原作の小説でも高丘親王は天竺を目指す旅の途上で様々な不可思議なものと出会うのだが、人形劇ならではの仕掛けを存分に駆使して、さらにはそれに少年王者舘流の映像や演出のマジックを組み合わせて、澁澤ならではの「高丘親王航海記」の幻想世界の豊穣なイメージを舞台上に出現させてみせた。
 単純に昔演じたことがあったということを超えて、がんの告知を受けても最後まで作品づくりに執念を燃やし続けた松本の姿は自然と病に倒れながらも天竺を目指した高丘親王の姿、そして、やはりがん告知を受けながら「高丘親王航海記」を書き続けた澁澤龍彦と重なって来ざる得ない。
 私は澁澤龍彦のファンだったので、その最期のエピソードを聞いて「高丘親王航海記」を読んだ時に万感の思いがこみ上げてきて思わず熱いものがこみ上げてきたのだが、ましてや今回の舞台のラストは松本の最期にも思いを馳せ、冷静な気持ちで見ていることが難しかった。
 松本にとっての天竺とは何だったのだろうと終演後、帰途につく電車の中でも考え続けたのだった。

*1:私自身も後に映像では見たことがあるが、ちょうど転勤での引越しの時期と重なったために生の舞台は見ることがかなわなかった