下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「チェルフィッチュという現在」 Web版講義録その2

チェルフィッチュという現在」 Web版講義録その2

【日時】2008年9月22日(木)p.m.8:00~
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて

 チェルフィッチュの旗揚げは1997年ですから今年(2008年)で11年目を迎えることになります。私が初めてその作品を目にした*1のは神戸アートビレッジセンターで上演された「三月の5日間」(2005年)で、この作品はその後岸田國士戯曲賞を受賞。海外でも再三上演されるなど、岡田の代表作となります。その後も新作を上演するたびに作品のスタイルを微妙に変化させながら現在にいたるわけですが、この「三月の5日間」は平田オリザの「東京ノート」が90年代を代表する作品となったように2000年代を代表する作品となりました。
 平田オリザが自らの演劇を「現代口語演劇」と名づけたように岡田利規の場合も現代口語を舞台にのせるという意味では先行する平田、岩松らと共通する問題意識から出発しています。先行世代が舞台の登場人物による会話を覗き見させるような形で追体験されていくような「リアル」志向の舞台(いわゆるリアリズム演劇ではないことには注意)を構築したのに対し、チェルフィッチュの岡田のアプローチは会話体において「ハイパーリアリズム」、演技・演出においては「反リアリズム」というところに違いがあるのです。
 チェルフィッチュはハイパーリアルに既存の演劇が捉えることができなかったような現代の若者の地口のような会話体に迫っていきます。そのせりふ回しは渋谷の若者がそのまま舞台に出てきてしゃべっているような伝統的な劇言語の常識からすると許しがたいほどに冗長きわまりないものです。以前、平田オリザは「現代口語といっても現実に交わされる女子高生の会話などはそれだけではあまりにたわいがなくて、芝居にはならない」と発言したことがありましたが、岡田のアプローチはそのままでは芝居にならないようなたわいないせりふを拾い上げて、舞台にのせるための戦略だといえるかもしれません。
chelfitsch Theater Company: Five Days in March


 岡田の芝居の第一の特徴は現代口語演劇の劇作家たちがそうであったような群像会話劇ではないことです。それはモノローグを主体に複数のフェーズの会話体を「入れ子」状にコラージュするというそれまでに試みられたことがない独自の方法論により構築されるまったく新しいタイプの「現代口語演劇」なのです。
 チェルフィッチュでは役者が舞台に登場して「これからはじめます」と客席に向かって語りかけるところから舞台ははじまります。この客席に向かって語りかけるモノローグはブレヒトの異化効果やシェイクスピアの傍白を連想させますが、こういうモノローグ的なフェーズと会話(ダイアローグ)を自由自在に組み合わせてテキストを構成していくのが大きな特徴です。作品のなかで提示される出来事は多くの場合、伝聞ないし回想として語られ、リアルタイムにいまそこで起こっていることとしては演じられません。断片化されたエピソードは実際に出来事が起こった時系列とは無関係に行きつ戻りつしながら、ループのような繰り返しを伴い、コラージュされたテキストのアマルガム(混合物)として観客に提示されていきます。

 ここでブレヒトの例を出したのはおおげさな物言いに聞こえるかもしれません。しかし、実は岡田自身も刺激を受けた劇作家として、平田オリザと一緒にブレヒトの名を挙げており、まったく的外れなものというわけではないようです。平田の方法論と対峙し、それを超克するためのモデルのひとつがブレヒトだったことも確かのようなのです。つまり、岡田はもともとは平田オリザの強い影響のもと演劇活動をスタートさせたと語っていますから、そういう中で平田の引力圏から離れ独自の演劇を模索していくためにはそのぐらい大上段の存在が必要だったのだということも言えるかもしれません。

 もう少し具体的に説明しましょう。岸田戯曲賞を受賞した「三月の5日間」を例にとってみます。そこでは米軍によるイラクバグダッド空爆と同時進行する五日間の出来事がその間ずっと渋谷のラブホテルにこもりっきりになってセックスしていたある男女のことを中心に語られます。ですが、そのカップルをはじめとする主要人物を通常の芝居のように1人1役で特定の役者が演じるわけではありません。例えばある場面をある俳優が語るとすると、そこには「その時の自分」と「その時の会話の相手」、さらにそれに加えて「その両方を俯瞰する第三者としての自分」という小説でいう地の文的のような階層の異なるフェーズが岡田のテキストには混在しています。これをひとりの俳優が連続して演じわけていくわけです。そうすることで演じる俳優と演じられる対象(役柄)との間にある距離感を作るのが、岡田の戦略で、さらに舞台では同じエピソードを違う俳優が違う立場から演じ、それが何度も若干の変奏を伴いながらリフレインされます。

 岡田の舞台のアフタートークク・ナウカの宮城聰はチェルフィッチュのスタイルをピカソキュビズム絵画の傑作「アビニョンの娘たち」になぞらえました。その発言は本質を鋭く突いており、非常に興味深いものでした。ピカソは「アビニョンの娘たち」で本来は同時には見えないはずの複数の視点から見た対象の姿をひとつの画面に同時に置いてみせました。岡田の舞台では複数の俳優が同じ人物を演じることで、それぞれの人物について、複数の視点を提供し実際に舞台上で演じられている人物の向こう側に自らの想像力である人物像を再構成する作業を観客にに要求する。それはある時は上から、ある時は横からと見え方を変えてリピートされ、それを見る観客はインターテクスト的な読み取りによって「そこで起こったことがなんだったのか」を脳内で再構築することになります。これが岡田の作る舞台がそれまでの演劇と決定的に異なるところなのです。

 チェルフィッチュのもうひとつの特徴は舞台のなかで演じる俳優がたえず手や足をぶらぶらさせたり、落ち着きなく動き続けているという独特な演技スタイルです。ダンス的とも評されるところで、一見無造作にだらしなく動いているように見えて、実は細かく演出された動きであり、そこには日常の身体の持つ不随意運動のようなノイズを俳優の演技にとりいれようという狙いがあります。これは日常的な身体のあり方を舞台に取り入れようと試行錯誤してきた最近のコンテンポラリーダンスの成果の演劇への応用と見て取ることも可能で、そこにこの集団が演劇よりも先に一部の舞踊評論家により注目され、ついにはトヨタコリオグラフィーアワードにノミネートされるなど評価された理由があります。ノイズ的な動きもこれまでの演劇だったら、やってはいけないことの典型なのですが、そこには現代人の身体と言葉の乖離という現象への岡田の鋭い問題意識がうかがえるかもしれません。この絶妙のミクスチャーがチェルフィッチュを同世代の劇作家たちのなかでも飛びぬけてユニークな存在としているところです。
 チェルフィッチュの独特と思われる身体所作がある種のコンテンポラリーダンスとどのような関係にあるのかについてはこちらに振付家・ダンサーの手塚夏子による山縣に対するインタビューがありますのでこれを参考にしてみてください。 

 チェルフィッチュの独自の身体論というのは興味深いものではありますが、一部の舞踊評論家のようにそのことだけにやたら拘泥することにはやや違和感を感じます。というのは私はあくまでチェルフィッチュの本質は演劇であり、その身体論はチェルフィッチュ独自の言語テキストと不可分なもので、それとあいまってはじめて意味を持つものだと考えるからです。 

ここまで書いてきたのはチェルフィッチュのスタイルについてでしたが、次の文章は「三月の5日間」がどんな作品であるのかについてまとめた文章です。

日常と戦争とセックスの微妙な関係性。この主題へのフォーカスの置き方が非常に巧妙かつ見事と思った。これまでチェルフィッチュを語る時にはどうしてもその特異な方法論を語らざるをえない*2、ということがあったわけだけど、今回は岸田戯曲賞を受賞した旧作の再演ということもあって、前提とされている手法以上にそこで描かれている出来事の内容それ自体に引き込まれた。
 こんな風に思ったのは実はこの舞台を見る少し前にポツドールの「夢の城」という舞台を見たからかもしれない。その舞台ではある下宿の一室を舞台にそこで生活する若者たちの日常が淡々と描かれていくのだが、そこではそれまでやはり日常的に見える状況を描いてきた平田オリザであれば描かなかったような、性行為の場面も、食事の場面やテレビゲームをしている場面と等価の行為として描かれる。
つまり、それはなんら特権的な行為としてではなく、日常の一部として描かれているわけだが、ここでの岡田の描き方は違う。もちろん、それは三浦がセックスを日常性として考えているが、岡田はそうではない、というのではなくて、ここで岡田が語る「新宿のラブホテルで5日間セックスをし続ける男女」というのが2003年3月のあの5日間という特定の日時と深く関係しているからだ。その時海の向こうで起こっていたのは米軍によるバグダッド空爆、すなわち「イラク戦争」だ。
 現在もなお内戦に苦しむイラクの人にとっては日常といえなくもないが、戦争は「非日常」である。だから、岡田がここでセックスを非日常として描くのはセックス自体がそうだというのではなくて、この2人の行為が海の向こうの戦争と対比されて、描きだされているからで、ここでは「セックス」「戦争」の対比が「私たちにとってのイラク戦争の位置」を示しだすことになる。つまり、この芝居においては「セックス」と「戦争」は互いをメタフォールに示すとともに、我彼におけるその対比を露わに映し出すという関係にある。
 岡田は確かこの芝居について「ある意味これは反戦劇です」というような趣旨の発言をしていたことがあったかと記憶しているが、上演時間のかなりの部分を「ラブホにいた2人の男女がその時どうしていたか」ということが、いろんな人の口からいろんな形で語られのが繰り返されることで占められるが、それでもあえて岡田がこれをそう呼んだのはここでのセックスにはそういう意味もこめられているからだと思う。
 この芝居のなかでイラク空爆の続いている数日を渋谷のラブホに引きこもってすごすことになる2人が出会うのはこの舞台のなかでははっきりとは具体名では示されないが、今回の公演の会場となった六本木Super Deluxでのライブである。ここでは東京の地理のなかでの六本木→渋谷という動線が提示される。
 これはたまたまそうだった、ということではなく、この芝居での舞台が渋谷だということには大きな意味がある。この芝居の別の場面ではイラク戦争反戦デモに参加する若者たちの姿も描写され、それはもちろんこの5日間の同じ時期にデモが実際に行われていたということもあるが、それだけではない。このデモ隊の列は芝居のなかでも説明されるが、渋谷から六本木方向に向かう。なぜなら、そこに最終的な抗議対象となるアメリカ大使館があるからだ。
 ここでも最初に挙げた「六本木→渋谷」のベクトルは「渋谷→六本木」というデモの方向と正反対の方向にあることが示される。この2つの関係性が重なり合う時に「セックス」は「戦争」の逆メタファーとしての意味を色濃くする。
 そして、渋谷の街にとってはこのデモ隊の存在はいわば日常のなかに侵入してきた非日常である。「なにか、ここは渋谷なんだけれど、渋谷じゃないみたい」とラブホにいる片割れの女の子が無邪気に騒ぐ場面がこの芝居にはある。
 そこでいつもはないデモ隊がいたりとデモのことが語られたり、いつもは駅に向かって帰るのにきょうは駅方向からホテルに帰るなどと語る口調には微笑ましいものを感じるし、その時には芝居を見ている私たちも無邪気な女の子に「そういうことってあるかもな」などと共感を覚えたりもしているのだが、岡田が作家として恐ろしいのはこういうさりげない描写に巧みに張られた伏線だ。
 実は芝居の最後の最後でこの子はホテルの近くでしゃがんでいる犬を見つけたと思い、そのほんのすぐ後にそれが実は犬ではなくて、座っていたホームレスの姿だと気がついて、一瞬とはいえ自分が非日常的な気分を残したままで、普段だと絶対に間違えないはずの人間と犬を見誤ることで激しく動揺したことが語られる。 
 それはあくまでそれだけの話にも見える。だが、この非日常性が「戦争」も含むのだと考えればここで岡田が提示したのは普段は普通のいい夫であり、いい息子である人間が「戦争」という非日常のなかでいかに簡単に通常では考えられないような残虐行為も行うか。そこにはここで示されたような非日常のなかでの認識のギャップがあるのでないかとの疑問をここで岡田は投げかけたのである。

 つまり、平田オリザは「関係性の演劇」という形式で「世界の構造の写し絵としての演劇」を提唱したわけですが、群像会話劇というスタイルは放棄しながらもこの部分の遺伝子を岡田はしっかりと受け継いでいます。まるで違うアプローチでありながら、「三月の5日間」で岡田が行ったことは「バルカン動物園」や「東京ノート」で平田が行ったことと確かに響きあっているのです。
 この作品が世界に対してしっかりと開かれているという感覚はダンス作品として構想された「クーラー」を除けばその後の「労苦の終わり」(2005)、「目的地」(2005)、「フリータイム」(2008)といった作品にも受け継がれており、この部分は岡田とそのほかの同世代の劇作家(ポツドール三浦大輔五反田団の前田司郎、ポかリン記憶舎の明神慈)らとを大きく分かつ要素となっているということができるのではないかと思います。
 実は最近の岡田利規の仕事では劇場のプロデュースによる既存の戯曲の演出の仕事が増えているように思われるのですが、この部分は課題として残された部分といえるかもしれません。というのは先ほども指摘しましたようにチェルフィッチュの身体所作のような方法論というのは岡田特有の言語テキストの文体や構成と密接にからみあっており、例えば宮城聰の演出法のようにある程度の普遍性があるようなものにはなっていないからで、そういう意味では自分以外のテキストを素材とした場合、例えば平田オリザがそうしているように内容をできるだけ生かしながらも、自分のスタイルへと書き替えてしまうというようなことがない限りは安部公房「友達」がそうであったようにいわば無手勝流の演出にならざるをえないと思われるからです。
 今回の講義は以上です。次回(演劇編)では青年団平田オリザ)を取り上げ、チェルフィッチュなどに代表される2000年代日本現代演劇の前提となった「関係性の演劇」に迫っていきたいと考えています。

セミネール「平田オリザと関係性の演劇」 Web版講義録
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000227

さらにその後のチェルフィッチュについてはこちらの方を参照してみてください
チェルフィッチュホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」wonderlandレビュー
http://www.wonderlands.jp/archives/12658/
チェルフィッチュホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」



スロバキア公演

チェルフィッチュ「私たちは無傷な別人である」

チェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ」PR映像

チェルフィッチュ公式サイトより抜粋(参考資料)

○プロフィール
岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。同年『峡谷』(横浜相鉄本多劇場)が旗揚げ公演となり、以後横浜を中心に活動を続ける。チェルフィッチュ(chelfitsch)とは、自分本位という意味の英単語セルフィッシュ(selfish)が、明晰に発語されぬまま幼児語化した造語であり、現代の日本、特に東京の社会と文化の特性を現したユニット名。01年3月発表『彼等の希望に瞠れ』を契機に、現代の若者を象徴するような口語を使用した作風へ変化。さらに、『三月の5日間』(04年2月/スフィアメックス/ガーディアンガーデンフェステバル参加作品/第49回岸田國士戯曲賞受賞作品)、『マンション』(02年4月/横浜STスポット)などを経て、日常的所作を誇張しているような/していないようなだらだらとしてノイジーな身体性を持つようになる。その身体性は時にダンス的とも評価され、05年07月ダンス作品『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005〜次代を担う振付家の発掘〜」最終選考会ノミネートされた。
 2007年5月ヨーロッパ・パフォーミングアーツ界の最重要フェスティバルと称されるKUNSTENFESTIVALDESARTS2007(ブリュッセル、ベルギー)にて『三月の5日間』が初めての国外進出を果たす。08年3月には『フリータイム』をKUNSTENFESTIVALDESARTS2008、Wiener Festwochen(ウィーン、オーストリア)、Festival d’AUTOMNE(パリ、フランス)との共同製作作品として発表。現在ではHEBBEL AM UFER(ベルリン/ドイツ)、Salzburg Festival(ザルツブルグオーストリア)、Japan Society(ニューヨーク/アメリカ)、PUSH International Performing Arts Festival(バンクーバー、カナダ)などアジア、欧州、北米にて海外招聘多数。一方、国立国際美術館30周年記念公演(大阪)、森美術館主催「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展(東京)、横浜トリエンナーレ2008(横浜)、Nam June Paik Art Center(ギョンギ、韓国)など、演劇のみならず美術展へも参加している。

主な作品:
マリファナの害について」(2003)「三月の5日間」(2004)「クーラー」(2004)「労苦の終わり」(2005)「目的地」(2005)「フリータイム」(2008)

◯上演歴
2009年

−2月−
『三月の5日間』
(Museam of Comtemporary Art・シカゴ)
『三月の5日間』
(U. of Missouri St. Louis・セントルイス
『クーラ—』
(Wexner Center for the Art・コロンブス
『三月の5日間』
(Wexner Center for the Art・コロンブス
『三月の5日間』
(Japan Society・ニューヨーク)

−1〜2月−
『三月の5日間』
(Studio Theater at On the Boards・シアトル)

—1月−
『三月の5日間』
(Performance Works・バンクーバー、PUSH International Performing Arts Festival)
『三月の5日間』
(Southern Theatre at Walker Art Center・ミネアポリス
『クーラー』
(Japan Sosiety・ニューヨーク)

2008年

−12月−
『三月の5日間』
(Nam June Paik Art Center・ソウル)

−11月−
『三月の5日間』
(Theatre2Gennevilliers・パリ、Festival D'automne)
『フリータイム』
(104・パリ、Festival D'automne)

−9月−
『フリータイム』
(赤レンガ倉庫1号館3Fホール・神奈川、横浜トリエンナーレ2008)

−8月−
『三月の5日間』
(生活支援型文化施設コンカリーニョ・北海道)
『三月の5日間』
(Chapter Arts Center・カーディフ
『三月の5日間』
(repubic・ザルツブルグ、Salzuburg Festival)

−5月−
『フリータイム』
(brut im Kunstlerhaus・ウィーン、Wiener Festwochen)
『フリータイム』
(Beursschouwburg・ブリュッセル、KUNSTEN FESTIVAL DES ART 2008)
『クーラ—』
(Paolo Grassi Art Dramatic School・ミラノ、UOVO performing Arts Festival)

−4月−
『三月の5日間』
(esplanade・シンガポール

−3月−
『フリータイム』
(六本木スーパーデラックス・東京)
*KUNSTEN FESTIVAL DES ARTS、Wiener Festwochen、Festival d’AUTOMNEとの国際共同制作

2007年

−12月−
『三月の5日間』
森美術館六本木ヒルズ森タワー53階・東京、[六本木クロッシング2007:未来への脈動]展)
『三月の5日間』
国立国際美術館・大阪、国立国際美術館30周年記念公演)

−5月−
『三月の5日間』
高知県立美術館市民ギャラリー・高知)
『三月の5日間』
(パリ日本文化会館・パリ)
『三月の5日間』
(Kaaitheater studio's・ブリュッセル、KUNSTEN FESTIVAL DES ART 2007)
『三月の5日間』
(福岡IMSホール・福岡、福岡演劇際)

−4月−
『三月の5日間』
(山口情報センタースタジオB・山口)

2006年
−9月−
『体と関係のない時間』
(京都芸術センターフリースペース・京都)

−7月−
『クーラ—』
東京大学駒場校・東京)

−3月−
『三月の5日間』
(スーパーデラックス・東京)

2005年

−12月−
『ズレスポンス』
(アサヒアートスクエア・東京、吾妻橋ダンスクロッシング
*ほうほう堂との共同作品

−11月−
『目的地』
こまばアゴラ劇場・東京)

−8月−
『クーラ—』
新宿パークタワーホール・東京)
『クーラ—』
(アートコンプレックス1928・京都)

−6月−
『三月の5日間』
神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリー・神戸)

−2月−
『三月の5日間』
(品川スフィアメックス・東京)

2003年

−11月−
マリファナの害について』
(横浜STスポット・神奈川)

−9月−
『マンション』
(横浜STスポット・神奈川)

−4〜5月−
『恋と自分/とんかつ屋』
(神楽坂SESSION HOUSE GARDEN・東京)

2002年

−9月−
『三日三晩、そして百年。』
(新宿タイニイアリス・東京)

−4月−
『マンション』
(渋谷ギャラリー ル・デコ・東京)

2001年

−11月−
団地の心への旅』
(横浜STスポット・神奈川)

−3月−
『彼等の希望に瞠れ』
(横浜STスポット・神奈川)

−1月− 『二人の高利貸しの21世紀』(横浜STスポット・神奈川)

2000年

−5月−
『三日三晩、そして百年。』
(横浜STスポット・神奈川)

1999年

−11月−
『二人の兵士とタチマチネギ』
(横浜STスポット・神奈川)

1998年

−1〜2月−
『オージ』
(横浜相鉄本多劇場・神奈川)

−6月−
『帽子と人工衛星
(高円寺明石スタジオ・東京)

1997年
−8月−
『峡谷』
(横浜相鉄本多劇場・神奈川)

*1:その前に神戸に来るきっかけとなったガーディアンガーデン演劇フェスの公開最終審査は見ているhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20030923/p1

*2:方法論に焦点を置いた初演時のレビューはこちらhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040604