下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

少年王者舘『街ノ麦』@上野ストアハウス

少年王者舘『街ノ麦』@上野ストアハウス

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構成・演出・脚本:天野天街 原作:加藤千晶
音楽:加藤千晶 珠水 原マスミ 構成・振付:夕沈

出演

珠水
夕沈
虎馬鯨
中村榮美子
山本亜手子
雪港
小林夢二

岩本苑子
近藤樺楊
月宵水<生演奏>
街々ソックス

加藤千晶
鳥羽修
熊坂るつこ
高宮博史
橋本剛秀(7/5,6,7)

|松井亜由美(7/8,9)
原マスミ

スタッフ

舞台美術:田岡一遠
美術製作:小森祐美加
映像:浜嶋将裕
照明:小木曽千倉
音響:岩野直人(ステージオフィス)
PA:小俣佳久
衣裳:雪港
舞台監督:山中秀一
チラシ:アマノテンガイ
宣伝美術:小泉しゅん(Awesome Balance)
写真:羽鳥直志
制作:若旦那家康
協力:うにたもみいち 小島祐未子 望月勝美 サカイユウゴ 金子達郎  井村昂 杉浦胎兒 白鷗文子 サカエミホ ☆之 水元汽色 宮璃アリ 水柊 池田遼 藤田晶久 街乃珠衣 カシワナオミ 篠田ヱイジ
助成:芸術文化振興基金

1993年初演の舞台を25年ぶりに再演するということだったが、過去公演の資料などを見ても表題に聞き覚えがないなと思って確認すると、少年王者舘ではなくて、カトチの会の名義での公演だったようだ。
当時劇団員だった加藤千晶が就職、退団するに際しての記念公演のような意味合いで加藤の執筆した小説「街ノ麦」を原作に天野が構成・演出したのが初演で、今回はその加藤が率いる音楽アンサンブル「街々ソックス 」が生演奏も含み音楽で参加、構成・振付の夕沈ら現在の少年王者舘を支えるメンバーも参加しているから、再演とはいえ事実上新作に近い形式での上演だといってもいいかもしれない。

少年王者舘「街ノ麦」開幕、演劇・音楽・ダンスで変わっていく“街”描く - ステージナタリー

  見た最初の印象としては「瓦礫」とか「メルトダウン」とかいう言葉が作品中に出てくるために阪神大震災の後に書かれたのかなと勘違いをしそうになったのだが、初演が93年とその後に起こる2つの震災の前であり、そうした災厄を思い起こさせるのは偶然といえる。ただ、逆に「ノストラダムス」の言葉は作品中に何度か登場しており、震災と直接の関係はないとはいえ、2年後の1995年が阪神大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件新世紀エヴァンゲリオンのTV放映開始の年であり、世紀末的な時代の空気を共有するなかで製作された作品だったということはいえるのであろう。
天野天街は演劇系動画ニュースサイト「エントレ」のインタビューでこの「街ノ麦」について「根源的な郷愁」という表現で語っているが、失われてしまい今はもうないものに対する郷愁がこの舞台の主題なのだろう。特に象徴的に何度も何度も語られるのは駅前再開発により取り壊されて駅ビルやその周辺に広がっていた雑然とした駅前の商業地区の光景だ。
 以前、天野の劇世界について「天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている」と書いたことがあった。この「街ノ麦」の場合も「銀河鉄道の夜」を思わせる列車や「死」と隣接するかのような「眠りと夢」のイメージの断片が何度繰り返されることで「死者の目」といえなくもないのかもしれない。ただ、この「街ノ麦」では加藤千晶の音楽がノスタルジアを感じさせることもあってか、いつも以上に「死」そのものというよりも「郷愁」を感じさせる。
初演がどんな文体で展開されたのかはよく分からないのだが、今回の台本は天野天街が担当したが前作「シアンガーデン」で虎馬鯨が持ち込んだ会話劇的な文体を再び採用し新たな方向性を探った。
 面白いのはそういう会話劇的な色合いが強いテキストであっても、そこに音楽や映像やダンスが重なったり、同じシーンが何度となくループするというような構造が天野の手によって、持ち込まれればそれだけで「アマノテンガイ」ワールドになってしまうということだ。
 これは最近、他劇団への演出などで既存の戯曲やテキストを使用することが多くなり、もともとは天野の独特な語彙や文体によって構築されていた少年王者舘の世界だったが、それが昨今は広がりを見せているのではないかということがこの作品からは感じられた。