「フェスティバルの記者会見」@山吹ファクトリー
来年1月にこまばアゴラ劇場で開催される演劇フェスティバル「これは演劇ではない」のプレイベントとして、同フェスの記者会見をモチーフとする演劇「フェスティバルの記者会見」が上演された。
「フェスティバルの記者会見」に出演するのは司会役のAokid、主催者は綾門優季、カゲヤマ気象台、額田大志の3人、その3人質疑を行う記者役として批評再生塾出身の イトウモ、渋革まろん、野村崇明、伏見瞬、升本が参加。質疑応答を行う。
冒頭にも書いたが演劇「フェスティバルの記者会見」には綾門優季の書いた戯曲が存在して、出演者たちはその台本の通りに舞台は進行するためにそこは演劇だといって間違いないのであるが、この一癖も二癖もある演劇フェスティバルのプレ公演として、いくつかの問題群を喚起させるような仕掛けとなっている。
https://note.mu/ayatoyuuki/n/n7048f808f14d
つまり、これは台本(戯曲)に従って上演されているものゆえに「演劇」だとされているが、台本とはいえその内実はそれぞれの役割の演じるべきロール(役柄)が示されるだけで、具体的なセリフが提示されているわけではない。
(下記の戯曲をあらかじめ観客に配布する。アーティストたち、記者たちは戯曲の通りふるまう。)
1
アーティストたち なんか適当なこという(まじでなんでもいい)
2
記者たち 適当さを看過せずにがんがん質問する(ここはなんでもよくない)
3
アーティストたちと記者たち 超モメる(たぶん)
4
アーティストたちと記者たちのうちの誰か 超モメているうちに何か重要なことに気づいてハッ!として、それについて率直に述べる(ハッ!とした表情も浮かべる)
5
アーティストたちと記者たちのうちの誰か以外 深く納得する(あるいはそうしないと終われないので、深く納得したふりをする)
つまり、この場合であれば「アーティストたち なんか適当なこという」のところは「適当なこと」とはいえ、完全に虚構であることや突拍子もないことを言い出すわけではなく、どちらかというとこういう「フェスティバルの記者会見」で主催者側が言いそうなことを言い、それに対して質問する記者側もそういう場合に実際に記者が聞きそうなことかつ、批評家として彼らが聞きたいことを聞いている。つまり、この舞台の中に仕掛けや構造としての虚構性は持ち込まれておらず、結果的には普通の記者会見よりは仕込的な発言が多く感じられはするものの、あまり「演劇である」という感じはしないのだ。
それはなぜかと考えた時思ったのは記者会見とはいえ、テレビなどで中継される記者会見の多くは司会ないし、質問者の内部に含まれる協力者などの存在により、ここで引用された綾門優季の戯曲程度には進行が決まっていることがほとんどだが、例えば協力者などがやりすぎた場合には「やらせ」などと名指しされて批判の対象となることはあってもそれが「演劇」だとみなされることはないからだ。
つまり、台本があり、その進行通り進むから演劇なのとすればテレビやネット、映画などそれ以外の映像メディアでドキュメンタリーと呼ばれているもののほとんどは「演劇」ということになるし、逆に「フェスティバルの記者会見」はドキュメンタリーだということもできるからだ。
フェスティバル「これは演劇ではない」
2019年1月3日(木)~21日(月)
東京都 こまばアゴラ劇場オフィスマウンテン「海底で履く靴には紐がない ダブバージョン」
作・演出・振付:山縣太一カゲヤマ気象台「幸福な島の誕生」
作・演出:カゲヤマ気象台新聞家「遺影」
作・演出:村社祐太朗青年団リンク キュイ「プライベート」
作:綾門優季
演出:橋本清ヌトミック「ネバーマインド」
作・演出:額田大志モメラス「28時01分」
作・演出:松村翔子