下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

小田尚稔の演劇「聖地巡礼」 “Go to paradise!”@東中野RAFT

小田尚稔の演劇「聖地巡礼」 “Go to paradise!”@東中野RAFT

脚本・演出 小田尚稔
出演 助川紗和子 橋本和加子

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東京でひとり生活している織田のもとに、学生時代の一時期だけ仲良くしていた八戸に住む後輩から結婚式の招待状が届く。後輩の名前は風間。後日、彼女は疎遠になっていた学生時代の後輩の結婚式に行くことになる。
八戸での結婚式の翌日、織田は下北半島にある恐山へ向かう。日々の暮らしのなかでこれといってぱっとしない彼女は、恐山へ参拝することで自身についた悪いものをお祓いしたいという思惑があったからである。
恐山は、日本三大霊場のひとつでもあり「死者への想いを預かる場所」ともいわれている。本州最北端の地で彼女が目にする、ともに彼の地へ参拝に向かう人々、荘厳な雰囲気の寺社、そしてたどり着いた恐山にある宇曽利湖のまわりに拡がる砂浜は「極楽浜」とも呼ばれ、それはさながら南国のビーチ、楽園のようでもあった。

「演劇」という形態の表現において、そのひとつの特性として上演のなかで「死者」や「不在のもの」を登場させることが多いとききます。「聖地巡礼」は、その点に着目しながら、南直哉『恐山 死者のいる場所』(新潮新書、2012年)に記述されているエピソードに着想を得て書いた戯曲です(参照箇所については、脚本に明記させて頂いております)。
「人は生きていくなかで、自身の価値基準(『善い(あるいは悪い)』といった判断基準)が揺らいだときどうするか」ということについて考えたいと思ったことが創作の根源です。
生きていると自分の意に反していることというか、自分の力だけでは「どうにもならない」ことが時々あります。そのとき、自分自身の価値観が大きく揺れたり、変化したりします。だいたいそういうときは、悩んでいたり、内省的でつらい気持ちになっていたりするので、そんなときは気分転換に、人と会ったり、美味しいものを食べたり、どこか遠くへ行ってみるのもひとつの方法なのかもしれません。
登場人物と一緒に旅行をしているようなそんな感覚でご観劇頂けましたら幸いです。

SCHEDULE
2018年9月14日(FRI)-9月17日(MON)[全7回公演を予定]
9/14 (FRI) 19:30-
9/15 (SAT) 16:00- /19:00-
9/16 (SUN) 16:00- /19:00-
9/17 (MON) 13:00- /16:00-

※上演時間は約85分から90分を予定しております(途中休憩は御座いません)。
※9/15 (SAT) 19:00-の回は終演後、本公演の音楽を担当する藤澤禎英が率いるバンドPot-pourriの演奏を予定しております。
※9/16(SUN)19:00-の回は、上演中の映像撮影を予定しております(客席の一部に撮影用のカメラが入ることをご了承下さい)。

ACCESS
RAFT
〒164-0001 東京都中野区中野1-4-4 1F
◆ JR線,大江戸線東中野駅」下車西口(徒歩13分)
◆ 丸の内線,大江戸線中野坂上駅」下車A2出口(徒歩10分)
web http://raftweb.info/
tel 03-3365-0307

 小田尚稔は現在もっとも注目している演劇作家のひとり。そのスタイルはモノローグの一人語りのような様式をとるが、最近の若手作家によくあるような前衛的なスタイルというわけではなく、例えばこの「聖地巡礼」のように複数(2人)の俳優が出てくる時にはそれぞれの俳優の「語り」(それは現在進行形のレポート調であったり、過去の回想だったりする)を層状に積み重ねていくことで、ともすれば単調になりがちの一人語りを全体としては複雑な構造物へと組み立てていく。もっとも特徴的なことは舞台上にひとりがいて、それがサイドの扉から退場するともうひとりが出てくるという形をとっていること。このため、互いの口から相手のことが語られるということはあっても、ふたりの間に会話がなされるということはない。
  2人の女性が登場するものの主人公は織田( 橋本和加子)である。もうひとりの女性は後輩の風間 (助川紗和子)で、物語は東京で一人暮らしをしている織田のもと風間から結婚式の招待状が届き、彼女が疎遠になっていた学生時代の後輩の結婚式に行くところから始まる。そして八戸の結婚式の翌日、下北半島にある恐山へ向かう織田の視点に寄り添い舞台はロードムービーのように進行していく。恐山は、日本三大霊場のひとつで「死者への想いを預かる場所」ともされている。恐山といえば誰もが「いたこ」の存在を思い起こすが、意外なことにこの芝居にいたこやそれにまつわる降霊体験などは一切出てこない。
 観客はひたすらその本州最北端の地で彼女が目にする、参拝者や観光客、荘厳な雰囲気の寺社、そしてたどり着いた恐山にある宇曽利湖のまわりに拡がる「極楽浜」という砂浜のことなどの描写を体験していく。
 もちろん、それでもこの物語の基調低音を形成するイメージが「死」であることは間違いない。だが、それはそこでは空気感として感じられても直接描かれることはない。もし、これが織田が家族であるとか、愛する人とかを失っていて、その慰霊のために恐山に行くという話であれば物語の枠組みは理解しやすいかもしれない。しかし、織田は最近一緒に暮らしていた彼と別れはしているが、死に別れということでもなく、彼女の小旅行にはそういう分かりやすい動機はない。
 ただ、小田尚稔の芝居の面白さはそういう分かりやすい枠組みに物語を解消させないところにある。この恐山巡礼のメインストーリーにレイヤーを重ねるように小田は風間による2人がいた学生寮でのエピソードなどを話すのだが、最後にそうしたこととはまったく無関係な息子を事故で亡くしたエリック・クラプトンの物語を持ってきて舞台を終わらせる。このそれぞれのエピソードの置き方の絶妙な距離感が小田の魅力だ。単調になりかねない一人語りに複雑な幕切れの味わいが加わっていると感じた。