下北沢通信

中西理の下北沢通信

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マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(1日目)@東京芸術劇場

マレビトの会・フェスティバル/トーキョー18『福島を上演する』(1日目)@東京芸術劇場

2018/10/25(木)〜28(日)


歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする

F/Tでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆、ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳優の身体の可能性を捉え直すものとしても注目を集めています。過去2回の公演で上演された戯曲は51編。その多くは一見なんでもない日常の断片を映し取った芝居ですが、そのことがむしろ、一戯曲一回のみの上演とも相まって、「上演されゆく福島」という特異性のある時間、空間を創出してきました。今回は4日間4回にわたって、8人の劇作家による戯曲群を上演します。歴史でもない物語でもない、一度しか起こらない上演=出来事を、私たちはどのように目撃し、受け止めるでしょう。

チラシはこちらから。

◇本作品は1公演につき、複数の書き手(アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田咲)による複数の戯曲で構成されています。
◇4公演全体で1つの作品というコンセプトのもと、各回、上演される戯曲・構成が異なります。
◇日本語上演
◇『福島を上演する』は『長崎を上演する』(13〜16)から続く長期プロジェクトです。上演戯曲・構成および関連インタビュー等、ご観劇の参考にご覧ください。(『長崎を上演する』アーカイブ

○上演戯曲:
10月25日(木)19:30 約140分(予定・休憩あり)
父の死と夜ノ森(松田正隆
漂着地にて(高橋知由)
座標のない男(アイダミツル)
広告を出したい男(神谷圭介

10月26日(金)19:30
草魚と亀(島崇)
峠の我が家(草野なつか)
みれんの滝(アイダミツル)
アンモナイトセンター(神谷圭介

10月27日(土)18:00
画塾(神谷圭介
福島の海辺(三宅一平)
郡山市民(山田咲)
いつもの日曜日(草野なつか)

10月28日(日)14:00
ゆきもよい(島崇)
水無月(三宅一平)
標準時周辺より(高橋知由)
いわき総合図書館にて(松田正隆


○日時:
10/25 (木) 19:30
10/26 (金) 19:30
10/27 (土) 18:00
10/28 (日) 14:00

作:アイダミツル、神谷圭介、草野なつか、島 崇、高橋知由、松田正隆、三宅一平、山田 咲
演出:関田育子、寺内七瀬、松尾 元、松田正隆、三宅一平、山田 咲
出演:アイダミツル、生実 慧、石渡 愛、加藤幹人、上村 梓、桐澤千晶、酒井和哉、佐藤小実季、島 崇、田中 夢、西山真来、三間旭浩、山科圭太、弓井茉那、𠮷澤慎吾、米倉若葉
舞台監督:高橋淳一
照明:木藤 歩
宣伝美術:相模友士郎
宣伝写真:笹岡啓子
記録写真:西野正将
記録映像:遠藤幹大
制作:石本秀一、中村みなみ、三竿文乃、森真理子(マレビトの会)
   荒川真由子、新井稚菜(フェスティバル/トーキョー)
制作協力:吉田雄一郎(マレビトの会)
インターン:円城寺すみれ、小堀詠美、山里真紀子
協力:Integrated Dance Company 響-Kyo、青年団、テニスコート、フォセット・コンシェルジュ、レトル
企画:マレビトの会
主催:フェスティバル/トーキョー、一般社団法人マレビト

マレビトの会「福島を上演する」はフェスティバル/トーキョーでこれまで3年連続で上演されてきたが、今年がこの企画としては最終年度となる。
 マレビトの会としての上演・演技のスタイル(様式)にある種の方向性はもちろんあるのだが、複数の作家(戯曲執筆者)、演出家によるグループ創作の形式をとっているために個々の作品そのものは作風は一定ではなく、一定以上の多様性を備えたものともなっている。とはいえ、これまで私の見てきた舞台からすると書き手が実際に福島を訪問して、そこで見聞きしてきたものから創作するという創作上のルールからか、淡いスケッチ風の作品が多かったのだが、今回の1日目の演目では冒頭の「父の死と夜ノ森」(松田正隆作)はひとりの男が臨終を迎えるのを待つ病院での家族のシーンからはじまり、カラオケで欅坂46の「サイレント・マジョリティ*1を歌う女子高生のスケッチ、後半では連続殺人犯を登場させるなど単純なスケッチというよりはそれまで「~を上演する」のシリーズではあまりなかったような松田正隆作品らしい虚構性の色濃いドラマチックな作品となっていたのではないか。

www.youtube.com


http://www.marebito.org/fukushima/text/fukushima18-titinoshi.pdf

 その一方では短い休憩を挟んでの残りの3本はこれもそれぞれ色合いは違うが、スケッチ色の強い作品。「漂着地にて」(高橋知由作)は浜に打ち上げたらしいクジラを計測する3人の男女と海岸に流れ着く漂着物を拾うワークショップに参加している人たちのそれぞれのスケッチ。実はこの2つの場面にはタイムラグ(時間差)があるのだが、作品が始まってもそのことははっきりとはせずにシーンの最後の方でそのことが明らかになるという構造となっている。
 マレビトの会は舞台に対して自由な創造を許す範囲を普通の演劇よりは広く取っている半面、提示される事象についてのディティールをあまりすることがないため、それがどういうことなのかがよく分からない場合も出てくる訳だが、この日見た作品で一番そういう要素が強いのが「座標のない男」(アイダミツル作)である。最初、近所の子供と遊ぶ少年とその母親のシーンが出てくるが、これがいずれも外国人。そういう場所の話かなと思ってみていると次のシーンは何の説明もなく日本人だけが登場する普通の日本の情景のスケッチになっている。この場合、そこにこそマレビトの会の真骨頂があるとも考えられるが、結局この米国人の話と日本の話のシーン同士がどういう関係にあるのかはよく分からない。
 「広告を出したい男」はさらに不条理臭が強い。トイレに閉じ込められた高校生が「科学館の村上康介は既婚者でありながら、女性職員と不倫関係にある」という告発の広告を出したいと外にいる男に相談するというたわいのない話だ。神谷圭介はテニスコートというコントグループのメンバーでコント作家でもあるけれど、そういう人が作家として参加しているのもマレビトの会の懐の深さだ。おそらく、この台本にはナンセンスなところが随所にあり、笑いがとれるコントとして上演することも可能なテキストだとは思われるが、コントでも不条理劇でもないいわく言い難い鵺のような舞台として上演されているのもマレビトの会ならではといえるのかもしれない。
simokitazawa.hatenablog.com
  
 

*1:マレビトの会の棒読みのような発話と合わせたようにやる気のなさそうな感情のまったく入らない歌い方で「サイレント・マジョリティ」を歌うシーンはある意味今回の「福島を上演する」でもっとも衝撃的といえた。それにしてもなぜ「サイレント・マジョリティ」なのだろう?