下北沢通信

中西理の下北沢通信

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笑の内閣「そこまで言わんでモリエール」(1回目)@こまばアゴラ劇場

笑の内閣「そこまで言わんでモリエール」(1回目)@こまばアゴラ劇場

作・演出:高間響



時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、
風刺そのものを風刺するため古典に進出。
挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール
W杯も優勝し、2018年はフランスの年だ!!

1665年12月15日
モリエールの率いる劇団は、かねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌの悲劇作品である『アレキサンダー大王』の5回目の上演を終えていた。4回目の公演までは大好評であったにも関わらず、この日は不入りで不思議に思っていた一同に、ライバル劇団のブルゴーニュ座が18日から同じ作品を上演するという衝撃的な情報が入る。ラシーヌは、喜劇は得意だが悲劇が苦手なモリエール劇団の演技に納得できず、悲劇が得意なブルゴーニュ座に作品を持ち込んでいたのだ。上演最中にライバル劇団に持ち込み、経営に打撃を与えるなど、信義に悖る上契約違反。それどころかラシーヌは、モリエール劇団で唯一気に入った看板女優マルキーズ・デュパルクの引き抜きまで画策していた。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール
2人の長い夜がはじまる。

出演 髭だるマン(爆劇戦線⚡和田謙二) 高瀬川すてら アパ太郎 熊谷みずほ しらとりまな(てまり)
上原日呂(月曜劇団) 土肥希理子 由良真介 BANRI(Sword Works) 岡本昇也  山下ダニエル弘之 亮介(株式会社イリアモデルエージェンシー) 澤田誠

スタッフ

助演出:河井朗(ルサンチカ)
照明:真田貴吉
音響:島崎健史(ドキドキぼーいず)
舞台美術:竹内良亮
舞台美術助手:岩崎靖史
小道具:小原藍(睡眠時間)
舞台監督:稲荷(十中連合)
制作:合同会社Sword Works
宣伝美術・スチール:脇田友
映像撮影:竹崎博人(Flat Box)
サポートスタッフ:諸江翔太朗(ARCHIVES PAY)/義村夏樹(劇団抜きにくい釘)

 地方の市会議員選挙における女性候補の選挙実態を描いた「名誉男性鈴子」、ヤクザの人権にメスを入れた「ただしヤクザを除く」、ネット右翼とヘイトに切り込んだ「ツレがウヨになりまして」など笑いを武器にビビッドな社会問題に対する風刺を展開してきた笑の内閣……。急に方向転換してフランスの喜劇作家モリエールをモチーフとするというので「いったいどうしたんだろう」と思っていたのだが、先日主宰の高間響から来春の統一地方選で行われる京都市議会議員の候補に立憲民主党の公認候補として出馬する意向であるとの発表があった。これまでもいろんなことをやってきているので、立憲民主党が正式に発表するまでは「本当なんだろうか。ギャグではないのか」との疑念がはらいきれないのだが、いくらなんでもこんなことで「実はギャグでした」とやるほどの度量はないと思うので(笑い)、どうやら本当のことなんだろう。
 当たりさわりがないかは実際に舞台を見てみないと分からないが、とりあえず現時点での政策判断と関係する(そして、そのことで立民党アンチから揚げ足を取られかねないような)題材は避けた、というのはあるのかもしれない。


と観劇前に書いたけれども今回の作品がフランスの喜劇作家モリエールの評伝劇となったのは京都芸術センターの企画として共同制作したためで、選挙のことはまったく無関係だったようだ。最初はモリエールの作品をそのまま上演するということも考えたが、結果的に評伝劇にしたのは準備のためにモリエールのことをいろいろ下調べしたところ、「モリエール本人が劇作家、劇団主宰者として面白すぎたからだ」(高間響)という。
 高間はともに演劇を手掛けるもの、社会風刺を旨とする喜劇の作り手としてモリエールにおおいに共感したようで、作品自体は史実にほぼ忠実に作られているのだが、にもかかわらず劇団員の退団を巡る降板騒ぎや恋愛がらみのごたごた、演出家のパワハラ、セクハラなどモリエール劇団のエピソードは笑の内閣も含め、日本の小劇場劇団で起こりがちなことばかり。自虐も含めた「演劇あるある」ネタに思わず笑ってしまう。笑いの密度という意味ではこの集団のこれまでの作品のなかでもトップクラスといっていいのではないかと思う。
 一方で、ここではいい加減な部分もありながらもモリエールの演劇人、喜劇作家としての矜持が描かれるのだが、ここは高間自身の姿勢とも重なってくるところもあり、「議員になっても演劇は続ける」という高間の演劇への熱い思いが感じられる珍しい作品ともなっていたのではないだろうか。