下北沢通信

中西理の下北沢通信

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フェスティバル「これは演劇ではない」@こまばアゴラ劇場(後半・2回目)モメラス

フェスティバル「これは演劇ではない」@こまばアゴラ劇場(後半・2回目)モメラス

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企画プロデュース:綾門優季/カゲヤマ気象台/額田大志

カゲヤマ気象台『幸福な島の誕生』 作・演出:カゲヤマ気象台
出演:キヨスヨネスク、西山真来(青年団)、日和下駄
モメラス『28時01分』 作・演出:松村翔子
出演:井神沙恵、上蓑佳代、黒川武彦
オフィスマウンテン『海底で履く靴には紐がない ダブバージョン』 作・演出・振付・出演:山縣太一

前半(すでに終了)
 青年団リンク キュイ『プライベート』 作:綾門優季 演出:橋本 清(ブルーノプロデュース)
ヌトミック『ネバーマインド』 構成・演出・音楽:額田大志
新聞家『遺影』 作・演出:村社祐太朗

フェスティバル「これは演劇ではない」の最終日。この日も3演目を観劇。演劇フェスティバルとしては珍しいことだが、全6演目を複数回見ることが出来た。
 この日もっとも印象的だったのは全演目を通じての最終演目となったオフィスマウンテンの『海底で履く靴には紐がない ダブバージョン』の上演である。この演目を見るのがこれが3回目だったのだが、これは山縣にとってこのフェスティバルでこの作品を演じる最後の日であったこともあり、それまでに見た2回と比べて身体の切れ味も気迫も段違いといってよく、パフォーマーとしての山縣太一の特権性を見せ付けるような舞台であった。
 フェスティバル「これは演劇ではない」が刺激的であるのはその舞台の魅力が「演劇であるとか、ないとか」いうようなコンセプチャルな部分だけではなく、例えばこの日の山縣太一であるとか、新聞家に出演した花井瑠奈、横田僚平(オフィスマウンテン)、カゲヤマ気象台に出演したキヨスヨネスク、西山真来(青年団)、日和下駄のようにその演技が演出家の指示を超えて自立しているような個性の強い俳優に担われているということであり、その典型といえそうなのが、オフィスマウンテン『海底で履く靴には紐がない ダブバージョン』の山縣太一の演技体であると言ってもいいのかもしれない。
 一方、同じく初期のチェルフィッチュを支えた俳優だが松村翔子によるモメラス『28時01分』は妊娠中の主婦が見た不条理劇風の不思議な夢が描かれる。松村も現在妊娠中(3カ月)といい、本人の体験に根ざしている部分もあるようだが、夜中に便所に行くために起きた女(上蓑佳代)のもとに隣に住むという主婦が現れて、実家から送られてきたミカンを譲るから生まれてくる赤ちゃんを私に譲ってくれなどという理不尽な要求をしてくるという不条理な展開の場面がループして何度も何度も悪夢のように繰り返される。
 夢は繰り返されるたびに少しずつ変貌していく。妊娠による不安が反映されたものとも考えられるが、隣りの主人の顔が2回目のループでは馬になっていて、1回目には夫のことを「けもの臭い」などと邪険に扱っていた隣りの奥さんが本当の馬を扱うように鞭を使ったりという何とも破天荒なイメージの飛躍が面白くもあり、妻を持つ中年男性(老人ともいえる)としては身につまされるところもあったりする。
 戯曲と演出と俳優(特に2人の女優)の魅力的な演技が高いレベルで噛み合っており、作品としての完成度は高い。演劇としてはやや異色のものがそろったフェスティバルのラインナップのなかでは「演劇の王道」を思わせる作品ではあるが、テキストと演技の呼応という意味ではチェルフィッチュ岡田利規)から受け継いだものも大きいともいえるかもしれない。