下北沢通信

中西理の下北沢通信

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無隣館若手自主企画 vol.28 福名企画「そして今日も、朝日」@アトリエ春風舎

無隣館若手自主企画 vol.28 福名企画「そして今日も、朝日」@アトリエ春風舎

作・演出:福名理穂


[ぱぷりか]としても活動している、無隣館演出部の福名理穂が描く。今作は、学生時代に仲の良かった友人の死を知り、生きる事に違和感を感じながら過ごす日々と、少しの後悔と、昔と今と、そして人との繋がりをじんわりと感じさせる物語。

「中学時代の友人がなくなりました。
ニュースにもなって、ネットにも乗りました。
当たり前のように、私の取り巻く日常は何も変わりませんでした。」

無隣館演出部の福名理穂が主催の企画公演、福名企画。
広島県出身。2014年ぱぷりかを旗揚げ。
劇団公演では全公演の作・演出を務める。主に会話劇を中心とし、人との繋がりで生まれる虚無感を描く。

「孤独な気持ちを抱えていても本当は一人ではなかったり、歳を重ねても大人になりきれない人々」を描き、観た後に人の温もりを感じるような作品を作りたいと奮闘している。

出演

堀 夏子(青年団
秋本ふせん
佐藤 岳(無隣館)
矢野昌幸(無隣館)

スタッフ

美術:鬼木美佳(無隣館)
音響:櫻内憧海(無隣館 / お布団)
音響操作:小山都市雄(無隣館)
舞台監督:黒澤多生(無隣館)
制作:蜂巣もも(グループ・野原/青年団演出部) / 井上 哲
制作補佐:吉益美帆(無隣館)
演出助手:髙野友靖(無隣館)
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

 無隣館若手公演はやはりマークしておかなきゃいけないを再確認させられた公演。岸田國士戯曲賞でしばらく女性の受賞者が出てないことなどもあり、若手の女性作家待望論がささやかれている感がある演劇界だが、実は2年連続で松村祥子が岸田賞候補にノミネートされたなど、無隣館を含む青年団周辺には次代の有力候補が名を連ねている。福名理穂の作品を見たのは今回が初めてであり、この作品だけではまだその才能の底が見えないきらいはあるのだが、福名もその一角をしめる注目株であることは間違いない。
 福名の作風は一言で言えばかなりオーソドックスな現代口語演劇であり、細部において違いはあるが、平田オリザの系譜を引くと言えなくもない。実はそれだけではなく、彼女は小松台東にもスタッフとして加わっているらしく、そこからの影響もあるかもしれない。そして若さに似合わず、その手法をかなり巧みに使いこなしている。
 現代口語演劇と表現したが、福名理穂の作品は平田オリザもその代表的な作家のひとりである「関係性の演劇」である。関係性の演劇は登場人物の会話の背景に隠された関係性を浮かび上がらせる演劇なのだが、その中に登場しない人物が物語の核となっている作品群がある。この「そして今日も、朝日」もそうした作劇を盛り込んだ作品だ。
 物語の舞台となっているのは東京にある女性(堀夏子)の下宿の一室。彼女も含め登場する4人のうち3人が地域語(広島弁?)なまりの言葉を話す。その3人は幼少のころからの幼馴染。ここではこの女性と付き合っている男性(佐藤岳)だけが、3人の幼馴染の関係性の中での部外者である。付き合っている2人の関係は実は最近少しぎぐしゃぐしていて、そこには男がバイト以上の就職をしようとしないことにもあるが、実はもうひとつ女性が最近東京で通り魔(ストーカー?)の犠牲になって亡くなった広島時代の知り合いのことに感情移入しすぎていて、そのことを男性がとがめると言い合いになってしまい分かり合えないということもあった。
 さらに言えば亡くなった女性は3人と仲良しグループだった時期もあり、男(矢野昌幸)とは短い期間だけれど付き合っていた時期もあったということも分かる。すなわち、ここでは亡くなった女性はもちろん舞台に実際に出てくることはないし、その人となりについても断片的にしか語られない「不在の人物」なのにも関わらず、この4人の関係の中で不在の中心となっているのだ。
 もうひとつ刺激的なのは矢野昌幸演じる男のキャラクター設定で、直接話法で語られることはないのだが、この男は堀演じる女性に対しストーカー的な屈折した行為を寄せているのではないかというのが物語の進行にともない登場人物は気づかないままに観客の目に次第に顕わになってくることだ。彼はこの部屋に盗聴器のようなものを仕掛けていて、その目的などは最初はよく分からないのだが、付き合っている女性に振られた時に「あなたは別に好きな人がいる」と言われたとか、最近結婚した現在の妻のことを「彼女のことは全然好きではなくて枷である」など言い出したりすることで、なんとなく「そうじゃないか」というのが分かってくるのだ。