下北沢通信

中西理の下北沢通信

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映画美学校アクターズ・コース 2018年度公演「革命日記」@アトリエ春風舎

映画美学校アクターズ・コース 2018年度公演「革命日記」@アトリエ春風舎

作:平田オリザ 演出:山内健司

80年代、ポストモダンという言葉をはじめて聞いたときの違和感が忘れられません。私たちの社会はモダンの成立のフリをしてるだけなのに、さらにそのあとってなんだろう、と。これは演技の話ですが、コンテンポラリーの演劇でアクターズ・コース修了生の活躍が めざましいのは決して偶然ではないと思っています。私たちは、ここまでがモダン、つまり近代であるということをしめすのに全力だからです。モダンのフリではない、私たちのモダン。
ここを獲得しよう、ここを越えていこう。この作品は革命の話です。革命の果てに新しい社会をみる。この作品の人々の姿はかぎりなく無残ですが、私たちがそれを愛さなくて誰が愛するのでしょう。これはまごうことなき今の演劇です。
山内健司(アクターズ・コース主任講師)

映画美学校とは

1997年の開講以来、国内外で高く評価される映画作家を多数輩出してきた映画美学校が、「自立した俳優」「自ら創造できる俳優」の育成を目指し2011年に開講。映画と演劇が交わる場でもあり、これまでに松井周演出「石のような水」、鎌田順也演出「友情」、佐々木透演出「Movie Sick」、玉田真也演出「S高原から」や、万田邦敏監督『イヌミチ』や鈴木卓爾監督『ジョギング渡り鳥』(第8回TAMA映画賞特別賞)『ゾンからのメッセージ』などを世に送り出している。また修了生は様々なジャンルで活躍している。2015年より文化庁の委託を受け「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」を開講。本公演はその修了公演となる。
*次年度の開講に関しては2019年4月に発表予定です。


出演

青柳美希 五十嵐勇 奥田智美 斉藤暉 佐藤考太郎 柴山晃廣 鈴木良子 日向子 福吉大雅 松岡真吾 るり
(アクターズ・コース 映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座2018)
浅田麻衣 釜口恵太 那須愛美 四柳智惟 (俳優養成講座修了生)

スタッフ

舞台美術アドバイザー:鈴木健介(青年団)
照明:井坂浩(青年団)
宣伝美術:北野亜弓(calamar)
演出助手:菊池佳南(青年団/うさぎストライプ) 釜口恵太 四柳智惟
修了公演監修:兵藤公美
制作:浅田麻衣、那須愛美
協力:青年団

平田オリザ青年団)の作品を同劇団の看板俳優である山内健司が演出して上演した。

新左翼組織の活動とその崩壊を描いた「革命日記」は1997年、安田雅弘さんが演出した『Fairy Tale』という作品の中核をなす物語として書き下ろされ上演された。この時は平田オリザも語っているようにオウム真理教による一連のテロ事件(1995年)とそれほど時間がたっていない時期で平田自身も「当時、私は、『集団と個』の問題ばかりを考えていたように思います。オウム真理教の事件から二年、劇団を主宰する者として、演劇集団とオウム真理教はどこがどう違うのかばかりを考えていたように思います。個々の善意から生まれた集団が、なぜ狂気に走るのか。『革命日記』は、その答えを探そうとして書かれた作品です。」と説明している。

 昨年4月青年団+無隣館の合同公演として上演された「革命日記」で、この作品について上記のように解説した。作品内容はそれに尽きているともいえそうだが、今回のパンフ・案内サイトなどのあいさつ文で演出を務めた山内健司がこの作品を演出するにあたってポストモダンについての違和感と「私たちのモダン」について語っているのが興味深いと思う。
 「モダンのフリではない、私たちのモダン。」というのはリアリズム演劇(モダン)に対して現代口語演劇のことを語っているのではないかと思う。そして、演技ということについて言えば、ここで強調されるのはセリフそのもの語義的な意味と発話されているコンテキストの間のズレであり、それが平田演劇の本質なのだと考えている。演劇のモダンの核にあるのが、スタニスラフスキーシステムなどに代表されるような内面と演技の一致であるとすれば平田の考える演技はそうはなってはいない。
 平田の演出、俳優の演技がそうなっていない*1というだけではなく、この作品では登場人物の発言自体が「発話内容」と「本当に考えていること」が乖離して、常に二重性を帯びていることが重要だろう。「革命日記」は新左翼組織の活動とその崩壊を描いているが、その感触がハイパーリアルともいえるのは本来は高邁な理想に基づいた同志的共同体であるべき組織が、それぞれの構成員が活動方針や活動における行為の選択の是非などで対立するように見えているが、実はその対立が実は男女関係のもつれやリーダー的な人物の潜在的な女性蔑視の傾向、それぞれのマウンティングの取り合いなど活動とは直接の関係がない軋轢によって起こっていることが、微細な発話のニュアンスによって提示されていることだ。
 山内健司演出に感じたのは相手に対して攻撃的な姿勢をみせるなどの感情の表出の演技が平田の原演出(青年団+無隣館)と比較してもはっきりと明示されていることだ。女性たちの激しい言いあいに最初はリーダー格の佐々木などは高圧的に出て相手を抑え付けようとするが、結局相手が引かないで今度は女性たち同士が激しい感情的軋轢をぶつけあい、挙句の果ては飛行場攻撃への最終的調整を話し合う重要な会議を放棄して、ひとりふたりと離脱してしまう。感情的になっている女性たちに対して、男たちは黙り込んだり、下を向いたりして出来るだけ巻き込まれないようにとだけ振る舞い、
もはや組織としての体を呈してないのだけが露呈していくのである。 
simokitazawa.hatenablog.com

*1:平田オリザのデジタル演出・演技