下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「有安杏果 サクライブ 2019 ~Another story~」@CS朝日(東京・EX THEATER ROPPONGI)

有安杏果 サクライブ 2019 ~Another story~」@CS朝日(東京・EX THEATER ROPPONGI)

有安杏果 サクライブ 2019 ~Another story~」2019年3月24日 東京都 EX THEATER ROPPONGI セットリスト

01. Another story
02. ヒカリの声
03. 色えんぴつ
04. ペダル
05. Catch up
06. 裸
07. 心の旋律
08. サクラトーン
09. Drive Drive
10. TRAVEL FANTASISTA
11. 遠吠え
12. 小さな勇気
13. feel a heartbeat
<アンコール>
14. 愛されたくて~逆再生メドレー~
15. ハムスター
16. 虹む涙

<バンドメンバー>
福原将宜(G)/ 山口寛雄(B)/ 玉田豊夢(Dr)/ 宮崎裕介(Key)

  チケットが取れずライブに行くことができなかったので、映像という形ではあるが有安杏果の復帰ライブを初めて目にすることができた。相変わらず「杏果のライブは好きじゃないので、今後はももクロのライブにだけ行くことにする」などとわざわざツイッターに書き込んだりしている人がいるが、ももクロ時代のソロコンを見ていれば杏果のライブがももクロとはまったく異なる音楽性を持っているのは明らかで、ライブの内容の方向性は今回のライブもソロコンと変わりはない。好みの違いは当然あると思うが、もともと別物なので興味のない人はもう放置しておいてくれないか。
 「方向性に違いはない」と書いたが、1年間の時間経過をへて、進歩した部分も多い。 
 この日のライブでは「Drive Drive」「TRAVEL FANTASISTA」「遠吠え」の3曲の流れが歌手・パフォーマーとしての杏果の現在における真骨頂を見せ付けたのではないだろうか。杏果のシンガーソングライター、歌手・パフォーマーとしての評価をこのライブで見た時に自作曲にも魅力的な曲はあるけれど、まだ未熟な部分も目立つのに対し、他アーティストからの提供曲を自己の楽曲としてパフォーマンスする時の魅力は「ワンアンドオンリー」のものではないかと思っている。
 この3曲はいずれも杏果が自ら見出して曲の提供を依頼したアーティストであって、例えば「Drive Drive」の[Alexandros]の川上洋平や「TRAVEL FANTASISTA」の藤原聡(Official髭男dism)はいまでこそ共に人気バンドといっていいのだが、杏果が楽曲提供を依頼しようと考えた時点ではまだそれほど知名度が高い売れっ子というわけではなかった。もちろん、彼らが依頼に応じたのにはももクロだった、そしてキングレコードの宮本純乃介が仲介したということは大きいとは思うが、彼らは宮本がももクロの楽曲を依頼するようなタイプのミュージシャンとは明らかに違っていて、実は有安杏果がソロアーティストとしての活動をしていくとすると一番の武器はこうした音楽プロデューサーとしての能力だと考えている。それゆえに現在の個人事務所の力でももクロ時代と同じような他アーティストからの楽曲提供が受けられるのかというのがひとつの課題だと思うのだが、今回のライブでは自ら作詞作曲した楽曲こそ2曲が披露されたものの他人からの提供曲はなく、自作j曲は「サクラトーン」は放送ではカットされて、逆再生リレーで一部だけが披露されたが音源もなく、元がどのようなアレンジで公開されたのかが分からず、「虹む涙」もシンプルなピアノの弾き語りであったため、ももクロ時代の楽曲のようにアレンジに拘っての音源化が可能な環境なのかというのも現時点では未知数なのであった。
 さて、それでは実際の歌はどうだったか。まず目についたのはウィスパーボイスを多用した「裸」「心の旋律」から奔放な「遠吠え」まで歌によって声の質感が大きく異なり、表現のレンジが広がったことだ。
 ももクロ時代の有安杏果は踏ん張って出す高音部分の歌唱を武器にしてきたが、その分、無理をすることでもともと弱い喉に負荷がかかり、かすれたり出にくくなったり、ついにはひどい炎症を起こして休養を余儀なくされたりすることと戦ってきた。MTVのドキュメンタリーで5人時代のユニゾンを分析していて、そこで5声が重なるような局面では杏果が休んでいることが多いことが指摘され、杏果に批判的な人たちは「さぼりだ」などと批判していたが、これは無理しても出さなければならない場に備えるためにできるだけ喉を温存していたと思う。ソロ活動を続けていくにはそうした無理を出来るだけ解消していかなければならず、これまでもいろいろ試したなかで出てきているのが、今の歌いかたで、これをパンチ不足と感じる人もいるだろうが、ひとつの到達点を示したと思う。
 そういうなかで「遠吠え」で出したようなジャジーな表現が今後向かうべき方向性を示唆していたのではないかと感じた。
 反対に楽器はソロコン時代と比べれば進歩はしているが、まだこれからといったところだろう。そして、何事にも完全主義者の杏果だからそうであることは本人が一番自覚しているのじゃないかと思う。エレキギターのソロ演奏の部分などバンドに任せてという選択もあったと思うが、あえて自分でもやるという判断にはソロアーティストとしての決意もあったのではないかと思う。