下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ひとり芝居ショーケース公演 『ひとり多ずもう』@早稲田小劇場どらま館

ひとり芝居ショーケース公演 『ひとり多ずもう』@早稲田小劇場どらま館

上演作品

秋本ふせん×山下恵実(ひとごと。) 『怒を吸う』

佐藤岳×柳生二千翔 (女の子には内緒)『目尻がとろける』

深澤しほ×福名理穂 (ぱぷりか)『蒼く戦ぐ』

的場裕美×中島梓織 (いいへんじ)『アブラ』

雪深山福子×升味加耀 (果てとチーク)『寒煙』

矢野昌幸 『ギニョル』

 早稲田小劇場どらま館の企画ではあるのだけれど参加した6人の演出家のほとんどが青年団演出部ないし無隣館演出部の関係者であり、そのあたりにいる若手クリエイターのショーケースのようにも見えた。
 観劇する前に注目していたのは矢野昌幸「ギニョル」。無隣館時代から俳優として期待され、つい最近でもヌトミック「お気に召すまま」に出演したほか、山縣太一のオフィスマウンテン、青年団演出部の若手作家の舞台にも立て続けに出演し、異彩を放っていた。無隣館の出身者はそのまま青年団に所属することも多いが、矢野はそうせず今後はフリーとして活動していきたいとの考えのようで、今回の作品は自らが作演出を務める初めての作品。彼の演劇活動の試金石となる意味合いもあり、どんなものを出してくるかに強い関心を抱いていたわけだ。
 そして矢野昌幸のパフォーマンスはどのようなものだったか。割合、普通に良くできたひとり芝居が多かった中では異彩を放っていたのは確かだ。この日は他に身体表現系のものが他に見当たらなかったこともあり、これが一番良かったと考える観客が出てきてもおかしくはない。
 たた、個人的に不満。私にはどうしても山縣太一のオフィスマウンテンの習作にしか見えなかったからだ。初の作品だから仕方ない面もあろうが、独立して活動していくのであればここから作劇にしても身体所作にしてもいかにして自分だけのものを発見していくのかが課題だろうと思った。
 残りは女優のひとり芝居が並んだ。この場合、どうしてもどの程度リアルに演じるのか、キャラ的に造形するのかなど個々の演技のアプローチの違いが気になるものだが、そういう意味では「蒼く戦ぐ」の深澤しほが卓越していた。最初の場面は姉が芸能プロダクションの社長に性的関係を強要されたのを妹がその際に録画した映像と音声記録を相手に突きつけ、逆に脅迫するという場面から始まるが、その演技がいくらなんでも少し不自然におおげさだよなと思っていると突然「カット」の声がかかり、映画かテレビの撮影現場だというのが分かる。そして、その前と後では深澤の演技のトーンはまるで違っていて、さらには深澤の視線やちょっとしたリアクションの演技だけで、そこには監督や撮影カメラマン、女優である深澤のマネジャーなど複数の関係者がおり、その間でもカメラマンと監督がシーンをどうとるかをめぐって、対立して険悪な状態になっていたり、撮影が押していることでこの後、会うことになっている事務所社長との会食に遅れそうになっていることでマネジャーが気をもんでそわそわしたりということが分かってくるのが面白い。それを支えているのはもちろん深澤の演技力ではあるが、こうした入れ子状の仕掛けを用意した作演出の福名理穂にもなかなかの才気が感じられた。とはいえ、もっとも鮮やかなのは最初の場面に出てくる劇中劇のアイドルのタレントに手を出し、彼女らに「愛してます」と呼ばせているという芸能プロダクションの社長がこの女優が携帯ごしに同じように呼びかけることで現実の社長を明らかにモデルにしているということが分かるということで、皮肉な幕切れだった。
 「寒煙」は突然死んでしまった若い女優の悲喜劇を演じるコメディー。升味加耀も無隣館演出部にいた作家・演出家で昨年8月に無隣館若手自主企画 vol.24 升味企画「あの子にあたらしいあさなんて二度とこなきゃいいのに」@アトリエ春風舎を上演。これは高校演劇部の合宿を舞台にその前の年に同じ場所で行われた合宿で亡くなった女性を巡る顛末を描き出した巧緻な現代口語演劇であった。
  「寒煙」も女優が幽霊になって、自分が亡くなった部屋に戻ってきているという設定では、「あの子に~」と共通点がなくはないが。芝居のタッチはまるで違う。これは深山福子の造形するキャラを魅力的に見せていくという類のひとり芝居で、女優の個人技を見せるものという意味では落語やピン芸に近い。そして、深山はそうした要請にうまく応えていた。ただ、ここには演劇としての新しさというようなものは一切ないから、普通に楽しめる半面、早稲田小劇場どらま館のショーケースということで少しでもそういうものを求めてきた観客には物足りないだろう。