下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

青年団リンク やしゃご「アリはフリスクを食べない」(2回目)@こまばアゴラ劇場

青年団リンク やしゃご「アリはフリスクを食べない」(2回目)@こまばアゴラ劇場

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作・演出:伊藤毅

兄弟2人暮らし。両親は既に亡くなっている。

知的障害者の兄と、兄の世話を理由に法律家への夢を断念した弟。
2人は、同じ工場でアルバイトをして生計を立てている。

兄の誕生日。友人たちが集まるパーティーの場。
そこで兄を施設に入れることが知らされる。

「彼は、かわいそうな人ですか?」


青年団リンク やしゃご

劇団青年団に所属する俳優、伊藤毅による演劇ユニット。
青年団主宰、平田オリザの提唱する現代口語演劇を元に、所謂『社会の中層階級の中の下』の人々の生活の中にある、宙ぶらりんな喜びと悲しみを忠実に描くことを目的とする。
伊藤毅解釈の現代口語演劇を展開しつつ、登場人物の誰も悪くないにも関わらず起きてしまう、答えの出ない問題をテーマにする。


出演

木崎友紀子
井上みなみ
緑川史絵
尾﨑宇内
黒澤多生(以上、青年団
海老根理
岡野康弘(Mrs.fictions)
工藤さや
舘そらみ
田山幹雄(モリキリン)
辻響平(かわいいコンビニ店員飯田さん)
幡美優
スタッフ

舞台監督:黒澤多生(青年団
照明:伊藤泰行
音響:泉田雄太
美術:谷佳那香
制作:笠島清剛(青年団
宣伝美術 じゅんむ
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

 単純に「今の政権が悪い」とか、「⚪⚪はけしからん」とかいう勧善懲悪の演劇は痛快かもしれないが観客にカタルシスを与えるだけで意味がないと考えている。平田オリザはそれを否定し、「この世界がどのようにあるか」を提示し、それを個々の観客に考えてもらう演劇を提唱したが、ホエイの山田百次、ダルカラの谷賢一らそうした考え方に基づき現代がかかえる問題に挑んでいく作家たちの動きが、青年団周辺で目立ってきている。青年団リンク やしゃごの伊藤毅もそうした動きを担う作家のひとりである。
 「アリはフリスクを食べない」は障害者を抱える家族の葛藤を丁寧に描いていくが、伊藤が平田と方法論的に異なるのは俳優に身体障害者をリアルに演じさせ舞台に登場させていることだ。先日、日仏韓共同制作として上演された「森の奥の奥」という舞台で平田オリザは自分の子供が障害(自閉症)を持って生まれてきたためにその症例をなんとか解明しようと類人猿を使った動物実験をしたい女性研究者と類人猿と人類を同一視し実験は決して許容しないサル学者との相容れない対立を描き出したが、この際に平田は自閉症の人を演じる人を直接舞台に登場させることはしない。これに対して、伊藤は俳優に身体障害者を演じさせる。
 とはいえ、どちらも世の中に解決できない問題があるんだということを複数の人物の関係性を丁寧に書いていくことで提示していくというやり方には共通点がある。「森の奥の奥」の研究者たちがどちらにもそれぞれの理由があってそれはどちらかが正しくどちらかが間違いというものではない。この「アリはフリスクを食べない」に登場する人物たちもそうである。
 最初にこの物語を見た時には弟の婚約者の態度に腹が立った。それはこの女性が障害者である婚約者の兄と直接目線を合わせて会話しようとしていないからだ。彼女の父親も障害者に対し不寛容であり、その結果、この弟は兄を施設に預け、自分たちの生活から排除しようとしているようにも見える。
 ただ、一方でこの女性と弟の振る舞いに対し、伊藤の筆致は冷酷である。物事が思い通りにいかなくなった時のこのふたりの感情の爆発を伊藤はきめ細かく書き込んでいくのだが、特に女性がまったくの第三者である男性の会社の後輩と彼が連れてきた女性に対して突然爆発してものを投げつけるのを見たら、二人になった後、何の憂いもなく二人で暮らしていけるとは到底思えない。例え男の兄が施設に移住し、彼らがここで2人だけで暮らすことになったとしても、根本的には彼女には自己中心的でヒステリックなところがあり、弟はそれと向き合おうとせず、しかも兄を預けることを自分で決めたとはいっても心の中では婚約者にむりやりそういう風にさせられたという意識が拭い去れないことを考えれば、この2人の関係性に綻びを感じざるを得ないからだ。
 仕事に関しても同じような危惧を感じる。この兄弟を受け入れている会社は障害者雇用に理解のある企業なわけで、「家族の問題に口出しするな」と言われても口出しするのが普通だし、今回の決定を通じて女社長の弟に対する評価は一変していることは間違いない。しかも兄もこの会社で働いており無関係ではないわけだから、兄が遠くの施設に移り、会社をやめるのであれば弟もこの会社にはいてもらわなくてもいいという結論になってしまってもおかしくはないと思う。
 以上のことを勘案すると施設に行くことを最終的に受け入れた兄の決断も誰にとってもいいことであったのかということは誰にも言えないわけだ。
 こういう舞台であることもあり、解釈も見た人によって異なってくるようで、社長が帰り際に女性に対して残した「おめでとう」という言葉に私は完全に「あんたの思い通りになってよかったね、私は関係ないらしいのでこれ以上口は差し挟まないけど」という意味合いの皮肉めいた捨て台詞めいたニュアンスを感じたのだが、「子供が出来たと聞いたからのおめでとうじゃないか」と全然そういう皮肉は感じなかった人もいた*1ようでその人のそれまでの体験で受け取り方が変わってくる舞台なのかなとも思った。
simokitazawa.hatenablog.com

*1:後から聴いてみると祝福の言葉に嫌味を含ませていたのは明確だったということだった。ニュアンスがどこまで強いのかは差異があるとは思うが。