下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

東京芸術祭・シャウビューネ劇場「暴力の歴史」@東京芸術劇場プレイハウス

東京芸術祭・シャウビューネ劇場「暴力の歴史」@東京芸術劇場プレイハウス

原作 エドゥアール・ルイ著『暴力の歴史』(2016年)
演出 トーマス・オスターマイアー
独仏翻訳 ヒンリッヒ・シュミット=ヘンケル
トーマス・オスターマイアー、フロリアン・ボルヒマイヤー、エドゥアール・ルイによるドイツ語での初演翻案
出演 クリストフ・ガヴェンダ、ラウレンツ・ラウフェンベルク、レナート・シュッフ、アリーナ・シュティーグラー、
演奏 トーマス・ヴィッテ
演出助手 ダーヴィッド・シュトエル
舞台美術/衣装 ニーナ・ヴェッツェル
音楽 ニールス・オステンドルフ
映像 セバスティアン・ドュプィ
ドラマトゥルク フロリアン・ボルヒマイヤー
照明 ミヒャエル・ヴェッツェル
振付 ヨハンナ・レムケ
製作 Schaubühne Berlin
共同製作 Théâtre de la Ville Paris, Théâtre National Wallonie-Bruxelles and St. Annʼs Warehouse Brooklyn. 初演 2018年6月

 国民戦線のことが出てきて途中までなぜか昔の話の翻案と勘違いしていたのだが、原作も舞台もフランスで最近のことを描いたものなのだというのに見終わってから初めて気がついた。
 暴力という問題が日本にないとは言わないが、大抵は日本でのそれはDVだったり、学校や職場でのいじめだったりして、しかもそれを周囲が隠蔽するような抑圧の構造が日本では問題視されることが多い。ゲイの男性同士の性的なものを含む暴行についてこの舞台で描かれるようにその出来事そのものを直接的に描くことはないのではないか。そしてそれは日本の演劇批評の世界で時折、欧州への留学経験者がよく言及するように「こういうリアルなものが扱えるから欧州演劇は素晴らしく、日本の演劇は不徹底だ」などということではなく、感じたのは何をもってリアルとするのかの枠組みが根本的に異なるのだなということだった。
 本作品では人種や階級にともなう差別の問題を扱っているのだが。不可解なのは主人公に対する暴力事件の被疑者となるのが、北アフリカ系の移民であることだ。しかもそれを今作品ではそれを実際に北アフリカ系と見えるような俳優が演じる。いくらこの物語が小説家エドゥアール・ルイが実際に体験した事件を基にした小説「暴力の歴史」を原作にしているとはいえ、これだけ移民の問題が取りざたされて時に、北アフリカ系の移民が大学生である主人公に対して性暴力を振るった事件を主題とすることは移民に対する偏見や差別を助長するということの批判は起こらないのであろうかという不思議である。
 この作品では同じく同性愛者(ゲイ)である主人公に対する北フランスの貧しいエリアの住民である主人公の家族の偏見が赤裸々に語られるのだが、テキスト全体が一人称で描かれていることもあり、差別される当事者、暴力を受けた被害者としての主人公の立場は強調されはするが、主人公の親族に対する差別意識やそれと同根である移民に対する差別意識は正面からは批判されにくいような構造となっている。しかも観客からそのことが批判されるということがあまりないという欧州の現代の状況はどういうことなのかというのを舞台を見ている最中、ずっと感じ続けたのである。

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)