下北沢通信

中西理の下北沢通信

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新聞家と関田育子 2つの『フードコート』@TABULAE

新聞家と関田育子『フードコート』@TABULAE(曳舟

 新聞家の村社祐太朗の文字テキストを基に上演されたひとり芝居を作者自身の演出と関田育子の演出で2日連続で観劇することになった。
 両者の間では空間の使い方がまったく違っていて、演劇全体での立ち位置を大きく俯瞰してみていた時には差異よりも類似性を感じていたのが逆に方向性の明確な違いを感じさせ、そこが刺激的な試みであった。
 今回の公演の会場となったのはTABULAEという民家を改装したギャラリー空間。通常の劇場空間と大きく違うのは道路に面した壁一面が全てガラス張りになっていて、内側からは道路などの外側の空間が見渡せるようになっていることだ。
冒頭にも少し触れたが、会場の空間と村社のテキストは共通であるのに新聞家と関田育子では舞台の印象がまるで異なる。それは単に発話の方法論が異なるということだけではなく、新聞家では吉田舞雪は舞台下手に椅子を移動させて、そこに座ったままで目の前に移動させて持って来た植物の鉢植えに視線を送りながら、ほとんど動くことなく、セリフに集中して発話していく。
それに対して、関田育子演出版の中川友香は『フードコート』のテキストの中身に呼応して、ギャラリー空間をあちこち移動して回る。さらなる決定的な違いは途中でガラス窓をあけて、道まで出てしまう瞬間があることで、ここで作品の世界と場所がどのように関わるかが完全に変容してしまう。
 新聞家の公演では提示されているのはあくまで村社祐太朗のテキストを自らの丁寧な発話により俳優が具現化するということであって、ギャラリー空間は無意識にそれに関わることはあっても「それはそれ、これはこれ」というところがあった。
 ところが関田育子の『フードコート』では一度扉をあけて外に出たことによって、ガラスごしに見える道もそこを行き交う人々も舞台作品の一部と感じられるようになっている。しかもこのギャラリーは矩形に切り取られた窓から見える風景がまるで映画のフレームで切り取られた世界のように演出家により意図されたもののようにも見えてくる。
実際、この舞台の最中にも外の街頭には人通りがあり、特に下手から上手に通り過ぎていったボードに乗った人物はあらかじめ仕込まれていたような演劇性を感じた。

関田育子『フードコート』
クリエーションメンバー:黒木小菜美、小久保悠人、関田育子、中川友香、長田遼、馬場祐之介
出演 :中川友香
作:村社祐太朗

チケット一般=[前売]3000円 / [当日]3500円
会場 TABULAE(墨田区向島5丁目48-4)
助成 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人セゾン文化財