下北沢通信

中西理の下北沢通信

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青年団若手自主企画vol.79 ハチス企画「まさに世界の終わり」@小竹向原アトリエ春風舎

青年団若手自主企画vol.79 ハチス企画「まさに世界の終わり」@小竹向原アトリエ春風舎

作:ジャン=リュック・ラガルス 演出:蜂巣もも 翻訳:齋藤公一

家族の政治、身体を問い直す。
長年家族のもとを離れていた長男ルイが自身の死を告げるために帰郷する。出迎える家族、ふいに始まる吐露の嵐、ルイはいつまで経っても死を告げることができない。
これは家族という世界の終末であり、革命/戦争を待望する場である。
永遠の安らぎを手に入れるための戦い。おびえる者も、無視して関与しない者も、全ては共犯者である。
ある者が声と息を震わせ弱者を演じれば、隣人に魅惑的な権力を持たせる。それがいつか、急ごしらえの権力者を心底苦しめるなら、この権力の頂点に立つ者が、本当に悪いのだろうか?
コラージュのように繋がったこの戯曲を「家族という他人は、友情を育むことが出来るのか」という問いに変換し、切り込みを当てたいと思う。
※フェスティバル/トーキョー19連携プログラム


ジャン=リュック・ラガルス
1957年生まれ。70年代後半よりブザンソンを拠点に劇作のほか俳優、演出家としても活動。死後とくに評価が高まり、現在、フランスで最も上演され、各国で翻訳されている劇作家である。
本作は2016年にグザヴィエ・ドラン監督による映画『たかが世界の終わり』としても上演された。

蜂巣もも
1989年生まれ。京都出身。青年団演出部所属。京都造形芸術大学舞台芸術学科卒業。
2013年からより多くの劇作家に出会うため上京し、こまばアゴラ演劇学校無隣館に所属。古典から現代の作家まで広く上演を行う。
青年団内で発足した「ハチス企画」では戯曲が要求する極限的な身体を引き出し、圧縮された「生の記憶」と観客が出会う場所を演出する。
また、庭師ジル・クレマンが著書『動いている庭』で提唱する新しい環境観に感銘を受け、岩井由紀子(俳優)、串尾一輝(俳優)、渡邊織音(美術家)らと「グループ・野原」を立ち上げる。こちらでは演劇/戯曲を庭と捉え、俳優の身体や言葉が強く生きる場としての舞台上の「政治」を思考し、演出を手がける。

出演

根本江理(青年団) 海津 忠(青年団) 串尾一輝(青年団/グループ・野原) 西 風生子(青年団) 原田つむぎ(東京デスロック)
スタッフ

美術:渡邊織音(グループ・野原)
照明:吉本有輝子(真昼)
音響:カゲヤマ気象台
衣装:原田つむぎ(東京デスロック)
ドラマトゥルク:前原拓也
舞台監督:海津 忠(青年団
宣伝美術:有佐祐樹
制作:飯塚なな子
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)
著作権代理:(株)フランス著作権事務所 ≪JUSTE LA FIN DU MONDE≫par Jean-Luc LAGARCE
ⒸEditions Les Solitaires Intempestifs

ハチス企画「まさに世界の終わり」観劇。すでに複数の方々が絶賛しているようだから、あえて書くが私には面白さが今一つよく分からなかった。演出、演技の手法の問題かとも思ったが、ベケットは面白かったから、今回の公演については問題は戯曲にあるかもしれない。
 主人公のルイが死病を抱えていることについて作者自身はどうやら否定しているようだが、作者が罹患したHIVとの関連を無視することはできない。だとするとこの戯曲を今の日本で上演する意味合いが私には今一つ判然としないのだ。