下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』@アトリエ春風舎

青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』@アトリエ春風舎

f:id:simokitazawa:20200108105723j:plain
宮崎企画

作・演出:宮﨑玲奈

ある家に一人で暮らしている。毎日を淡々と、暮らしている。食べるものを決めて、着たい服を着て、育てている花が、たまに咲くことに、そういう、ささいさのひとつ、ひとつを考えることで、夫のことを、忘れようとしている。
友達と三人で焚き火をする。あの子と、友達と、三人で映画をみる。四人では、一度も会うことはなかったけれど、どこか、ちぐはぐに、似ていたような、そんな気もする。
この家の庭は、小さい頃のわたしが、かつて、過ごした庭だった。自分で、この街を選んで、ここにいる。毎日がやってくる、そのうまくいかなさのなかから、季節がめぐることのなかで、まずは、わたしから、はじめてみようと思う。

宮﨑玲奈

劇作家・演出家。ムニ主宰。1996年高知生まれ。明治大学文学部卒業。2017年カンパニーメンバーを持たない形で、演劇の団体「ムニ」を立ち上げ、主宰。ムニでは劇作・演出を行う。無隣館三期演出部を経て、青年団に所属。
出演

木崎友紀子* 立蔵葉子(梨茄子)* 石渡愛* 黒澤多生* 西風生子* 南風盛もえ* 藤家矢麻刀

青年団

スタッフ

空間設計:渡辺瑞帆*  
音響・照明:櫻内憧海(お布団)*
照明操作:新田みのり
舞台監督:黒澤多生*
宣伝美術:江原未来
制作:半澤裕彦* 
制作補佐:山下恵実(ひとごと。)*
*=青年団

総合プロデユーサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)


 青年団演出部にまたアンファンテリブル(恐るべき子供たち)が現れた。宮崎玲奈は明治大学を卒業したばかりの23歳。まだ若いが人物を描写していくその演出のタッチは極めて繊細で、巧みさに驚かされた。
 同棲中の若いカップル間に時折流れる微妙な隙間風を細密画のように描写した場面がなかなか秀逸。実は二人には両者と友人だった失踪した男がいて、その男がいなくなってから付き合いはじめるのだが、今でも彼の存在(というか不在)は二人の間に影を落とし続けている。だが、そうした違和感や不一致を二人は見て見ぬふりをしていることで現在の関係性をなんとか維持しようとしている。こうした関係の小さな揺らぎを宮崎はとても繊細に見せていく。そこには学生演劇上がりの作家によくあるような稚拙さはなくて、熟練の作家のような巧みさが感じられた。
 さらに、それを若い二人の俳優(石渡愛、黒澤多生)がよく演じている。特に石渡はセリフにはないようなちょっとした視線の配り方や表情の変化で二人の間に生じる微妙な空気感を演じてみせるのだが、こういうことができる俳優を抱えていて、若い作家がそれを起用することができるのも青年団(演出部)の強みであろう。
 会話自体は現代口語演劇であり、平田オリザの系譜にあると考えてもいいが、対象へのフォーカスの当て方はまったく違う。
 「東京ノート」で平田自身が自らの方法論をフェルメールになぞらえて、カメラオブスキュラの例えを出したように平田のそれは単一のレンズが切り取るフレームのような描写なのだ。
 対して、宮崎の視点の切り取り方は複数のカメラを組み合わせたようにより多視点的である。しかも実際に提示されるのは現実のうちの一部だけであり、「描く部分/描かない(で想像にゆだねる)部分」を作り、さらにそれぞれ時間j軸や空間(場所)が異なる場面をまるでレイヤー(層)を重ね合わせるように同時に提示していく。
 この作品の主題は「存在/不在」ではないかと思う。そして、その主題は「表現すること/表現しないこと」という宮崎の演劇の方法論にも重なり合っているように思えた。
 実はこの構造は「東京ノート」で平田オリザが構築した構造と相似形にあるのではないかと「つかの間の道」という作品を見ているうちに思えてきた。つまり、宮崎が世界を切り取る切り取り方と平田のそれとは全然違うのだが、作品の内容が方法論(作品の形式)と呼応しているという一点においては宮崎は平田の系譜を継いでいるといえるかもしれない。
 
simokitazawa.hatenablog.com