下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』@ロームシアター京都(中止)

ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』@ロームシアター京都(中止)

コロナのため公演中止。最終的に中止になったのはやむをえないことだとしても、最後までに開催にこだわり続けたのはダムタイプにとって非常に重要な作品で集団存在のレーゾンデーテルとなった「S/N」が海外ツアー中にやはり感染症であるエイズでなくなった古橋悌二氏が主導した最期の作品でもあり、それだけに最後の最後まで感染症であるコロナと闘い続けたいという思いがあったからではないかと思う。
 これは勝手な期待かもしれないが、できれば今回上演予定だった作品はいずれ上演するとしてもダムタイプにはコロナとコロナ後の世界の変容について思考した新たな作品を次回作品として上演してほしいと思う。それは極めてダムタイプ的な問題群を扱う作品となると思うが、どうであろうか。

世界がその動向を注目し続ける伝説のマルチメディア・パフォーマンス・グループ ダムタイプ、2002年以来18年ぶりの待望の新作発表!


ダムタイプは、映像、ダンス、音楽、デザイン、コンピューター・プログラムなど異なる背景をもつメンバーによるアーティスト集団です。1984年の結成以来、プロジェクトごとにメンバーや表現方法を変化させながら、集団による共同制作の可能性を模索しつつ、マルチメディアを使ったパフォーマンスやインスタレーションを中心に発表し、国内外で活動しています。今回は、2002年初演『Voyage』以来となる新作を上演します。




開催日時・会場


2020年3月28日(土)~ 3月29日(日)

3/28(土)19:00開演(18:30開場)※終演後、メンバーによるポスト・パフォーマンストークあり
3/29(日)15:00開演(14:30開場)※終演後、メンバーによるポスト・パフォーマンストークあり
3/29(日)19:00開演(18:30開場)【追加公演】
※追加公演分については、終演後のポスト・パフォーマンストークは行いません。ご了承ください。

会場:サウスホール




公演・作品について




メンバー

池田亮司・大鹿展明・尾﨑 聡・白木 良・砂山典子・高谷史郎・高谷桜子・田中真由美・泊 博雅・濱 哲史・
原 摩利彦・平井優子・藤本隆行・古舘 健・薮内美佐子・アオイヤマダ・山中 透・吉本有輝子

宣伝美術:南琢也



ダムタイプ


ダムタイプ
Dumb Type

1984年の活動開始以来、複数のアーティストが参加する集団によるコラボレーションで作品を制作。プロジェクト毎に参加メンバーが変化し、ゆるやかな共同体により制作される作品は、既成のジャンルにとらわれない、あらゆる表現の形態を横断するマルチメディア・アートとして国内外で発表されている。主なパフォーマンス作品には、《pH》(1990年初演)、《S/N》(1994年)、《OR》(1997年)、《memorandum》(1999年)、《Voyage》(2002年)等がある。パフォーマンスと並行して、インスタレーション作品の制作にも取り組み、2018年にポンピドゥー・センター・メッス(フランス)で個展「DUMB TYPE: ACTIONS + REFLEXIONS」を開催、さらに新作やアーカイブを加えてバージョンアップした展覧会が2019年11月より東京都現代美術館にて開催中(2020年2月16日まで)。

田上パル「Q学」@こまばアゴラ劇場

田上パル「Q学」@こまばアゴラ劇場

作・演出:田上 豊


田上豊が高校生と共につくった、
九州を熱狂させた話題作が、
出演者を一新してついに再演!

高校。表現選択科目「演劇」の授業時間帯。「演劇」の授業を選択した生徒たちは、一癖も二癖もある問題児。 自称演劇人の非常勤講師によるやる気のない「演劇」の授業は、ただの不良の巣窟と化してしまうが、無気力と惰性の時間の連続は、彼女たちの絆を深めていった。

しかし、ある時、その授業が研究授業として発表しなくてはならなくなる 。非常勤講師の提案に 、全員で『走れメロス』を題材にした芝居を作ることになるが…
不良×太宰×演劇。
演劇の神様は、きっと彼女たちを素敵なところに導いてくれるに違いない。

田上パル

2006年、田上豊が桜美林大学在学中に結成。緩急の利いた疾風怒濤の展開で、観劇後の爽快感を生み出す。

第14回北九州演劇祭コンペティション部門(2006年/北九州芸術劇場)、夏のサミット2008(2008年/こまばアゴラ劇場)、MITAKA“Next” Selection 10th(2009年/三鷹市芸術文化センター)などに参加。代表作に『報われません、勝つまでは』『合唱曲第58番』など。

東京と九州を中心に公演を重ね、今回、初の東北地方での公演となる。


出演

江花明里(劇団天丼・革命アイドル暴走ちゃん)
北村美岬(くロひげ)
空花
田崎小春
とみやまあゆみ
平嶋恵璃香(ブルーエゴナク)
松田文香
油井文寧
亀山浩史(うさぎストライプ)

※出演を予定しておりました由かほる(青年団)は事情により降板となりました。


スタッフ

舞台監督 宮田公一
照明 伊藤泰行、中佐真梨香(空間企画)
音響 大園康司、島貫聡
広報・宣伝美術 丸山安曇
制作 尾形典子、堀りん

オフィスコットーネ レパートリーシアター「山の声 ―ある登山者の追想―」@Space早稲田

フィスコットーネ レパートリーシアター「山の声 ―ある登山者の追想―」@Space早稲田

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山の声
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 河野洋一郎(南河内万歳一座)、山田百次(ホエイ)による新コンビがよかった。この「山の声 ―ある登山者の追想―」の公演はそれこそ大竹野正典生前の初演時を始め、さまざまなキャスト、演出のものを観劇してきたが、オリジナルを超えるものはなかなか見ることができなかった。見た時の印象はどうしても初めての時が強くなるわけだし、それは仕方ないところもあるが、そういう中でも今回の出来栄えはよく、初演時に肉薄していたのではないか。
登山者1(加藤文太郎)を演じた河野洋一郎が役者としての年輪を感じさせるいい味を出している。ネイティブの関西弁がニュアンスに一味を付け加えているが、彼の役者人生の中でも屈指の作品となったのではないか。というか今後演じ継いでいけばそうなるポテンシャルを確実に持っていたと思う。河野の存在感に触発されて、登山者2(吉田登美久)の山田百次も好演だった前回公演をも凌駕した演技を見せている。この二人の野育ちを感じさせる俳優としての持ち味があり、この作品によく合致していたと思う。
 舞台はオフィスコットーネ レパートリーシアターと題され今後も海外も含め様々な会場での上演を想定して製作したものだ。今回はコロナ渦で予定されていた札幌公演を断念せざるをえなくなったのは残念だったが、今回のキャストはもっといろんな観客に見てもらいたい内容となった。コロナ感染の高リスク(高齢、糖尿病)であり、観劇を迷ったが、「これだけは見たい」と劇場に足を運んだ甲斐はあった。週末に上演が可能かどうか予断を許さない状況になりつつあるが見ることができる人はぜひ見るべき舞台だ。
作品で描かれるのは雪山で遭難した二人の男たちの極限的な状況だが、その息が詰まるような空気感は新型コロナによって引き起こされたなんとも重々しい現在の状況下で見ると平常時には感じられない緊迫感が漂ってくる。いささか不謹慎な物言いにもなるが、それが一層舞台のリアリティーを高めていたことも確かなのだった。

第16回OMS戯曲賞大賞作品
作:大竹野正典(くじら企画)
演出:綿貫凜

登山者1:河野洋一郎 / 登山者2:山田百次


作品概要

「人は死を賭けてまで何故、山に挑み続けるのか―――」

2009年不慮の事故により48歳という若さで世を去った大阪の劇作家・大竹野正典さん。彼の遺作であり 最高傑作である「山の声」を上演致します。

本作品は、小説「孤高の人」のモデル登山家・加藤文太郎の生き様と厳冬期槍ヶ岳の遭難事故をモチー フに描いています。昭和初期、社会人登山家としての道を開拓し、果敢に独り雪山に挑戦し続けた加藤文 太郎。いかなる場合でも周到な計画のもとに単独行動する彼が、岳友・吉田登美久と共に槍ヶ岳で消息を 絶ったのは、昭和11年の厳冬だった・・・。

「人は死を賭けてまで何故、山に挑み続けるのか―――」彼のこの果てしない問いかけはやがては「人は何故、生きるのか」という普遍的なテーマに繋がっていくのです。


山の芝居にしようと思い立って、久々に台本を書きました。
相も変わらずの殴り書きで申し訳ないばかりです。
最近、山登りばかりやっておって、この道も相当奥が深いわけですが、芝居も山登りも似たようなものだなァと最近、感慨深く思っておる次第であります。金にもならんしんどい事にどうしてこう血道をあげるのか、我ながら自分の業の深さにつくづく溜息付くのですが、しんどくないと面白くないから仕方ありません。
今回、芝居で取り上げた加藤文太郎という人物も、歩く事がこの上なく好きという変わった人物で、お前アホかと云うぐらい、山から山へと彷徨しております。
しかもそれが高じて普通の人ならば死ぬなと思う様なところばかり行ってしまうのも彼の業の深さの賜物だったのでしょう。
植村直己などは、彼の生まれ変わりだったのかも知れません。
という訳で紙数も尽きました。孤独な二人の役者にエールを送ってやってください。
本日は御来場頂きまことに有難うございました。

作・演出 大竹野正典

(『山の声』2008年12月 くじら企画第十五回公演 公演パンフレットより)

【※延期】 2020年3月14、15日 札幌・扇谷記念スタジオ・シアターZOO
2020年3月25日~29日 東京・Space早稲田

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SPACE早稲田

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五反田タイガー 7th Stage「WORKER ANTS と 働かないアリ」@CBGK シブゲキ‼︎(アメフラっシ愛来、 鈴木萌花出演)

五反田タイガー 7th Stage「WORKER ANTS と 働かないアリ」@CBGK シブゲキ‼︎(アメフラっシ愛来鈴木萌花出演)

スターダストプラネット所属のアイドルグループ「アメフラっシ」の愛来鈴木萌花が出演する舞台ということで見に行った。
グリム童話の「アリとキリギリス」を下敷きとした音楽劇で演劇としてはどうこうというほどの内容とも思われないが、演劇の舞台を経験するという意味では二人にとっては貴重な機会だったのだと思う。
 この日は楽日ということもあって、今回が初めての演劇舞台出演となった鈴木萌花が挨拶したのだが、ももクロ明治座舞台には参加しなかった萌花がこれに参加したということは心境の変化ののようなものがあったのだろうか? アメフラっシの4人については最近はあいらもえかのギターデュオも手掛けている2人と配信番組などでヴァラエティー班的な役割を担っているゆずはなコンビの2組に分けて、それぞれの得意な部分を伸ばそうという狙いが運営側に見えるのだが、おそらくもともと演技にも意欲を持つ愛来に合わせて、歌姫の萌花にも新たな活躍の場を与える狙いはあったのではないか。
 配役を見るともともとの五反田タイガーの劇団員に清水佐紀(Berryz工房)、清水麻璃亜(AKB48)らアイドルの客演陣で構成されていたキャストに後から加わった感がある。そのため愛来はともかく、今回初舞台の萌花にはそのアイドル界屈指という歌唱力を発揮する場はあまり与えられることはなかったが、歌唱力を生かす場を将来的に考えてみたところミュージカル女優というのはおおいにありえる選択肢だと思う。 
 愛来はくらやみの森に棲む蜘蛛という設定で、この役柄としては少しだけだが妖艶さの片りんも見せて、なかなか好演していたと思うが、次はもう少し物語を担うような役柄でも見てみたいと思った。

演出・脚色:笠原哲平(Soymilk Co.)
脚本:伊藤高史(劇団ウルトラマンション)
サウンドプロデュース:blue but white(Soymilk Co.)&ヤスマトモアキ(Soymilk Co.)
主題歌:五反田タイガー
振付:Misaki
歌唱指導:YUSA

【劇場】
CBGK シブゲキ‼︎
〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2-29-5 ザ・プライム 6階

【主演】
多田愛佳

【出演】※五十音順
愛来(アメフラっシ)
秋田知里(仮面ライダーGIRLS)
東ななえ(五反田タイガー)
飯塚理恵(五反田タイガー)
岡本尚子
折見麻緒(五反田タイガー)
神谷早矢佳
軽辺るか
聞間彩
坂場明日香(五反田タイガー)
聖山倫加(Jump up Joy)
澤田美晴
清水佐紀(Berryz工房)
清水麻璃亜(AKB48)
白水桜太郎
荘司里穂
鈴木萌花(アメフラっシ)
星波
高橋胡桃
高松雪(五反田タイガー)
竹中美月(五反田タイガー)
御林杏夏
桃咲まゆ(トキヲイキル)
メアリ
渡辺栞(さくらシンデレラ)

※Wキャストの可能性もございます。

【公演日程】
2020年3月18日(水)〜22日(日) 全8ステージ
◯3月18日(水) 18:30〜
◯3月19日(木) 18:30〜
◯3月20日(金・祝) 13:30〜/18:30〜
◯3月21日(土) 13:30〜/18:30〜
◯3月22日(日) 12:30〜/16:30〜
※客席開場は開演の30分前からとなります。
※ロビー開場及びグッズ販売は開演の1時間前より開始いたします。

ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(1)

ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(1)

ルース・レンデル(1930年~2015年)
クリスティーの後継者と見なされることの多かったルース・レンデルはクリスティーの持つ保守的な世界観と相入れず、その呼称を忌諱することが多かったが、「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」で論じたようにクリスティーを「ホワットダニットの作家」*1と位置づけるとルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズはもっとも正統なその系譜の後継とみなすことができるのではないかと考えている。
 ルース・レンデルはウェクスフォード警部ものより、ノンシリーズといわれるクライムストーリーの評価の方が一般には高いのだが、ウェクスフォード警部シリーズにはクリスティーの得意とした過去タイプやホワットダニット系のプロットに加えて、捜査の進展に応じて、事件の様相が二転三転するコリン・デクスターのモース警部ものが得意とするタイプのホワットダニットも取り入れている。レンデルは10年ほど前にエジンバラ演劇祭などで訪れた際の印象では英国では書店に新刊が平積みされるほどの人気作家であったが、日本ではそこまでの人気はなく、翻訳もある時期以降パタリと途絶えており、絶版も多い。そういう意味でも再評価が必要だろうと考えている。




デビューはクリスティー晩年と同時代
ルース・レンデルの日本での翻訳紹介が盛んになったのは1980年代以降であり、そのため当時レンデルをコリン・デクスターなどと同様に当時の新鋭作家と見なされることもあった。だが、作家としてのデビューは意外と古い。デビュー作は『薔薇の殺意』(1964)。クリスティーで言えば「カリブ海の秘密」(1964)、「バートラム・ホテルにて」(1965)などホワットダニットの要素が強い後期の代表的作品とほぼ同時期である。世代の差こそあるが両者のキャリアには重なり合う時期もあった。影響関係がある程度あったとしてもおかしくはない。

クリスティーの後期作品
カリブ海の秘密」 1964 マープル ◎
「バートラム・ホテルにて」 1965 マープル ◎
「第三の女」 1966」ポワロ ◎
「終わりなき夜に生まれつく」 1967 
「親指のうずき」 1968 トミーとタペンス ×
ハロウィーン・パーティー」 1969 ポワロ ×
「フランクフルトの乗客」 1970
「復讐の女神」 1971 マープル ◎
「象は忘れない」 1973 ポワロ ×
「運命の裏木戸」 1973 トミーとタペンス ×

×「過去」タイプ  ◎ホワットダニットタイプ

 

ルース・レンドルのウェクスフォード・シリーズ*2

1 薔薇の殺意 From Doon With Death 1964年
1981年12月 深町眞理子 角川文庫
2 死が二人を別つまで A New Lease of Death 1969年
1987年6月 高田恵子 創元推理文庫
3 運命のチェスボード Wolf to the Slaughter 1967年
1987年4月 高田恵子 創元推理文庫
4 友は永遠(とわ)に The Best Man to Die 1969年
1988年4月 沼尻素光文社文庫
死を望まれた男
1988年9月 高田恵子 創元推理文庫
5 罪人のおののき A Guilty Thing Surprised 1970年
1988年8月 成川裕子 創元推理文庫
6 もはや死は存在しない No More Dying Then 1971年
1987年1 深町眞理子 角川文庫
7 ひとたび人を殺さば Murder Being Once Done 1972年
1980年9月 深町眞理子 角川文庫
8 偽りと死のバラッド Some Lie and Some Die 1973年
1987年9月 深町眞理子 角川文庫
9 指に傷のある女 Shake Hands Forever 1975年
1986年1月 深町眞理子 角川文庫
10 乙女の悲劇 A Sleeping Life 1979年
1983年3月 深町眞理子 角川文庫 △
11 仕組まれた死の罠 Put on by Cunning 1981年
1988年6月 深町眞理子 角川文庫
12 マンダリンの囁き The Speaker of Mandarin 1983年
1985年4月 吉野美恵子 早川書房
13 無慈悲な鴉 An Unkindness of Ravens 1985年
1987年5月 吉野美恵子 早川書房
14 惨劇のヴェール The Veiled One 1988年
1989年12月 深町眞理子 角川文庫
15 眠れる森の惨劇 Kissing the Gunner's Daughter 1992年
2000年4月 宇佐川晶子 角川文庫
16 シミソラ Simisola 1994年
2001年3月 宇佐川晶子 角川文庫
17 聖なる森 Road Rage 1997年
1999年7月 吉野美恵子 早川書房
18 悪意の傷跡 Harm Done 1999年
2002年12月吉野美恵子 早川書房
19 The Babes in the Wood 2002年
20 End in Tears 2005年
21 Not in the Flesh 2007年
22 The Monster in the Box 2009年
23 The Vault 2011年

 ルース・レンデルのレジナルド(レジ)・ウェクスフォード警部シリーズがどのような作風であるのかについて具体的な作品を対象に考察していきたい。最初に取り上げることにしたのは『乙女の悲劇』(1979)である。ウェクスフォード警部ものとしては10作目。脂の乗り切った時代のもので個人的にはこの作品は結末の切れ味の鮮やかさなどを考えるとシリーズの最高傑作のひとつと考えている。


 角川文庫のあらすじを引用してみよう。

灌木の茂みに横たわるのは、派手な装いの中年女で、厚化粧の死顔に嘲るような薄笑いを浮かべていた。被害者は20年前にこの町を出たローダ・コンフリーという女だった。だが手掛りはそこでぷつりと切れた。ロンドンの住所も、何をしているのかも、身内の者すら知らなかった。新聞に写真が出たが、知り合いと名乗り出る者もいない。考えられるのは偽名を用いていたことだ。だが何のために?ローダの隠された生活とは何だったのか?“幻の女”を相手にウェクスフォード警部の捜査は難航する……。


 レンデル作品に顕著な特徴として「被害者を巡る謎」がある。例えばこの「乙女の悲劇」は物語の冒頭近くで女性の他殺死体が発見される。その意味ではクリスティーのそれのように事件そのものの存在が分からなかったり、遠い過去に起こった事件で詳細が漠然としているというわけではない。しかし、物語が進行しても犯罪の様相ははっきりしない。  ローダ・コンフリーという名前が分かって、新聞で事件のことが報じられても、被害者を知る人がひとりも名乗り出ず、「この女がどういう人なのか」という動機や容疑者につながるような職業や交友関係などがはっきりしないのだ。
捜査線上にはやがてローダ・コンフリーと関係があったのではないかと思われる人が数は少ないながらひとりふたりと浮上はしてくる。捜査の進展にともないウェクスフォードが組み立てていく事件の様相は二転三転していく。
これと似たようなプロットは実はこの前にもあった。コリン・デクスターの『ウッドストック行最終バス』である。この作品でデクスターがデビューするのは1975年。こちらの方が4年ほど先んじている。
 「誰が犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る、と評したことが以前あったが、推理の過程がモースほど複雑怪奇ということはないものの、「乙女の悲劇」を読んでみるとレンデルも探偵役の推理によって事件の様相が一変してしまうようなことが繰り返されるという意味では共通するところが多い。

途中段階のツイスト(論理のアクロバット)ではコリン・デクスターに一日の長があるが、レンデルの幕切れの強烈な印象はクリスティーのサプライズドエンディングも彷彿とさせるもので、意外性ではこちらが上かも知れない。
 ウェクスフォード警部シリーズのもうひとつの特色は独身のポワロやモースと違って、彼が既婚者であることだ。そうした家族の描写などを通じて、その時代の時代の空気に対して開かれている。2人の娘がいるのだが、この作品では女優で自由人である次女と比べ良妻賢母に描かれてきた長女シルヴィアの自立した女性への目覚めが描かれる。
 こうした当時勃興してきたフェミニズムウーマンリブ)に関わる動きが事件と並行して描かれていくのだが、これが最終的にメインの事件ともつながって、ひとつのモチーフへと収束していく。この以上のことを具体的に話せばネタバレとなってしまうのが、悩ましいが、こうした点は社会的な問題の描写にはあまり手を染めることのなかったクリスティーとは異なり、一緒にされたくないと一線を画した大きな要因だったかもしれない。
以下(2)に続く
simokitazawa.hatenablog.com

玉田企画「今が、オールタイムベスト」@東京芸術劇場

玉田企画「今が、オールタイムベスト」@東京芸術劇場

ある家族とその関係者が、結婚式のために長野県辺りにある避暑地の別荘地に前乗りでやってきて大騒ぎするお話です。結婚式前に別荘地に前乗りして大騒ぎするわけですから、それなりに小金持ちで、それなりにいけ好かない連中なのです。そんな彼らの中の、共感できるような感情や、滑稽で愛すべき姿に焦点を当てて描いた作品です。初演よりパワーアップしたものをお見せできるように頑張ります。

玉田真也


作・演出: 玉田真也
出演:

浅野千鶴(味わい堂々)
岩崎う大かもめんたる
神谷圭介(テニスコート
篠崎大悟(ロロ)
玉田真也
奈緒
野田慈伸(桃尻犬)
堀夏子(青年団
山科圭太

舞台監督:鳥養友美
舞台美術:濱崎賢二(青年団
照明:井坂浩(青年団
音響:池田野歩
衣装:アレグザンドラ早野
宣伝美術:牧寿次郎
制作:足立悠子、小西朝子、井坂浩
協力:アービング、イマジネイション、エクリュ、サンミュージックプロダクションスターダストプロモーション、レトル、味わい堂々、劇団かもめんたる青年団、テニスコート、桃尻犬、ロロ
主催・企画制作:玉田企画
提携:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場

玉田真也は青年団演出部所属の気鋭の若手作家演出家。同僚である大池容子(うさぎストライプ主宰、青年団演出部)と一緒にNHKの深夜ドラマ「伝説のお母さん」の脚本を担当したほか、昨年は映画「あの日々の話」の監督も手掛けるなど、舞台以外にも活躍の場を広げている。とはいえ、ホームグラウンドはあくまで舞台。今回の公演は以前アトリエヘリコプターで初演*1された作品を東京芸術劇場で再演することになった。
3年前の6月に初演された作品。中学生、大学生などのいわば同質性が強い小集団の中での閉じた関係性から生み出させる微妙な空気感を笑いに転換してきた玉田真也だが、この作品に登場するのは社会人である大人たち。とはいえ、舞台の描写が社会に開かれていくというようなことはいっさいなく、相変わらずの玉田節である。
 野田慈伸(桃尻犬)、山科圭太ら主要キャストが初演同様の安定の玉田印の人物像を演じる。それに加えて、今回の新キャストで白眉となったのが、奈緒であろう。テレビドラマ「あなたの番です」でストーカー的な狂気を感じさせる女を怪演して強烈な個性を印象づけたが、この「今が~」でも二人の男を手玉に取る女を演じ、怪しい魅力を発揮した。
 初演でも感じたが、コミュニケーション障害を思わせる少年を演じる玉田真也は迫真の演技。この役があってのこの作品とも思わせるところがあった。神谷圭介(テニスコート)のどこか周囲から浮かび上がってしまう不調和感には笑ってしまう。こんな風に出演者のそれぞれにうまく個性を発揮できる居所を見つけるうまさは抜群で、一度ここで見てしまうと野田慈伸にしても山科圭太にしてもこういう人としか思えなくなってしまう。全く別の芝居で別のキャラを演じていてもそうとしか思えなくなるのが、やっかいなところなのだが(笑い)。

青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)評論編 https://spice.eplus.jp/articles/66009
青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)インタビュー編 https://spice.eplus.jp/articles/65513

『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT  ももクロときたやまおさむ縛りアンプラグド』第106夜 @フジテレビNEXT

『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT ももクロきたやまおさむ縛りアンプラグド』第106夜 @フジテレビNEXT

ゲスト きたやまおさむ

ももいろクローバー
opening act B.O.L.T

しおこうじ(玉井詩織×坂崎幸之助)

生演奏
ダウンタウンしおこうじバンド

セットリスト
M01:仏桑花 (村長/ももクロ)
M02:行く春来る春 (ももクロももクロ)
M03:夜更けのプロローグ (B.O.L.T/B.O.L.T)
M04:あの素晴らしい愛をもう一度 (ももクロ&B.O.L.T/北山 修)
M05:花嫁 (れに/はしだのりひことクライマックス)
M06:白い色は恋人の色 (夏菜子&しおりん/ベッツィ&クリス)
M07:花のように (あーりん&高井千帆/ベッツィ&クリス)
M08:さらば恋人 (村長&しおりん/堺正章)
M09:花のかおりに (夏菜子&あーりん/ザ・フォーククルセダーズ)
M10:風 (いづみ&内藤るなはしだのりひこ)
M11:世界は君のもの (山本ひかる&竹上/a flood of circle)
M12:感謝 (村長/坂崎幸之助)
M13:戦争を知らない子供たち (ももクロ&B.O.L.T&北山修さん/ジローズ)
M14:青春賦 (ももクロ&B.O.L.T/ももクロ)

M15:Link Link (ももクロ&B.O.L.T/ももクロ)
M16:My Truth (しおりん/THE ALFEE)
M17:悲しくてやりきれない (しおりん&村長/ザ・フォーク・クルセダーズ)

ひさびさのももクロ復帰。嬉しいことではあるが、しおこうじの基本フォーマットに慣れ親しんでしまうとももクロメンバーそれぞれが練習のために割ける時間の問題などもあり、通常の「しおこうじ」より音楽番組としてのクオリティーの低下を感じてしまったのが皮肉である。
 この日最大のサプライズはGO GO BANDGIRLSにドラムで加わったB.O.L.Tの高井千帆の挑戦であった。これなら、今後、浪江女子発組合のフォーク村へのゲスト参加というのも面白いかもしれない。
この日もうひとつ興味深かったのはこの日はラジオ番組への参加で高木れにが早抜けした影響もあり、番組後半でB.O.L.Tの年長組とももクロ3人での「青春賦 」「Link Link 」が歌われたのだが、いつもと異なる編成での5人のももクロが聴け、メンバーが入れ代わるとこんな風に変わるのかというのが仮想できたというのが面白かった。結論からいえば高木れにのプレゼンスが薄いというわけではないのだけれど、百田夏菜子玉井詩織佐々木彩夏の3人がいればももクロに聞こえるということで、気志團万博で感じたメインボーカルの木村拓哉がいなくても「新しい地図」の3人の歌唱はSMAPに聴こえたというのを思い出させたのである。

ホワットダニットの系譜としての英国ミステリ

ホワットダニットの系譜としての英国ミステリ

論考執筆に向けたメモ


英国現代ミステリのメインストリームはクリスティー、そしてそのライバルであったドロシー・L・セイヤーズを出発点とし、後継者と見做されているP・D・ジェイムズとルース・レンデルへと続く。実は彼女らの最大の特徴はホワットダニットタイプのプロットを受け継いでいることだ。こうしたモダンディテクティブストーリーの筋立てはコリン・デクスターへと受け継がれた。実作を当たりながらそのことを論証していきたい。

クリスティー
 アガサ・クリスティー、J・D・カー、エラリー・クイーンという本格推理小説の3大巨匠のうち、ほかの2人がその晩年においては、ほとんどめぼしい作品を発表せずに、むしろ大家としての記念碑的な意味合いしかなかったことを考えれば、死の直前までのクリスティーの健筆ぶりは驚くべきことであった。
(「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」1) 


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クイーンはフーダニットの作家、カーがハウダニットの作家であるとすれば、クリスティーはホワットダニットの作家である。これこそが彼女がその叙述の方法について様々な試行錯誤を繰り返した後に完成した形式である。その意味ではオリジナリティーという点で考えてみた時に今まで不当に評価されてきたクリスティーの晩年の作品の再評価が必要なのではないだろうか。なぜなら、この時期こそが彼女が生涯をかけて追求してきた形式へと到達することができたのであるから。
(「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」6)

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コリン・デクスター

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コリン・デクスター
夕闇のせまるオックスフォード。なかなか来ないウッドストック行きのバスにしびれを切らして、二人の娘がヒッチハイクを始めた。「明日の朝には笑い話になるわ」と言いながら。―その晩、ウッドストツクの酒場の中庭で、ヒッチハイクをした娘の一人が死体となって発見された。もう一人の娘はどこに消えたのか、なぜ乗名り出ないのか?次々と生じる謎にとりくむテレズ・バレイ警察のモース主任警部の推理が導き出した解答とは…。魅力的な謎、天才肌の探偵、論理のアクロバットが華麗な謎解きの世界を構築する、現代本格ミステリの最高傑作。 2年前に失踪して以来、行方の知れなかった女子高生バレリーから、両親に手紙が届いた。元気だから心配しないで、とだけ書かれた素っ気ないものだった。生きているのなら、なぜ今まで連絡してこなかったのか。失踪の原因はなんだったのか。そして、今はどこでどうしているのか。だが、捜査を引き継いだモース主任警部は、ある直感を抱いていた。「バレリーは死んでいる」…幾重にも張りめぐらされた論理の罠をかいくぐり、試行錯誤のすえにモースが到達した結論とは?アクロバティックな推理が未曾有の興奮を巻き起こす現代本格の最高峰。 河からあがった死体の状態はあまりにひどかった。両手両足ばかりか首まで切断されていたのだ。ポケットにあった手紙から、死体が行方不明の大学教授のものと考えたモース主任警部は、ただちに捜査を開始した。が、やがて事件は驚くべき展開を見せた。当の教授から、自分は生きていると書かれた手紙が来たのだ。いったい、殺されたのは誰か?モースは懸命に捜査を続けるが……現代本格の騎手が贈る、謎また謎の傑作本格


「だれが犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る。こうしたパターンのミステリはアントニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」など一部の先例はあるものの、20世紀後半になり初めて一般的になったモダン・ディククティブストーリーの典型といえるものだ。それはいわゆる「ホワットダニット」型のミステリと言い換えてもいいのだが、形式は微妙に異なるが、アガサ・クリスティーの後期の作品群から、ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーものなどある種のハードボイルド小説をへて、デクスターのモース物とルース・レンドルのウェクスフォード警部シリーズという私見では20世紀後半の本格ミステリの系譜があり、今そのうちの1つのシリーズが20世紀の最後をもって終焉を向かえたという意味でも同時代を生きていた一読者としてそれなりの感慨は抱かざるをえなかったのである。
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コリン・デクスター「悔恨の日」を読了。帯にも「モース主任警部、最後の事件」と書いてあったし、人気シリーズ完結編の文句も裏表紙にあって、これがデクスターのモースものの最後の作品だというのは分かっていたのだが、こんな結末になっているとは……。日本への翻訳は昨年10月のこととはいえ、作品が発表されたのは1999年と2年前のことだけにそれを今ごろ知ったのは最近のミステリの近況について不勉強ならではのことなのだが、デクスターがシリーズにこういう結末をつけていたことにはちょっとショックを受けてしまった。コリン・デクスターのモース警部シリーズについては作品がポケミスで出ればそのたびに買い込んで読んでいたというだけではなく、一時期は相当に入れ込んでいてこともあって、8年ほど前には事件ゆかりの地巡りを企画して、2日間という短期間ではあるが、ロンドン旅行の途中で足を伸ばして、オックスフォードにも出かけたほどである。その時に現地(ロンドン)で手に入れた「消えた装身具」は翻訳が出版される前に原書で読んでいるほどだ。もっとも、私の語学力では翻訳で読んでさえ、頭が混乱するデクスターを理解するには根気が続かず相当荷が重かったのだけれど(笑い)。

 「だれが犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る。こうしたパターンのミステリはアントニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」など一部の先例はあるものの、20世紀後半になり初めて一般的になったモダン・ディククティブストーリーの典型といえるものだ。それはいわゆる「ホワットダニット」型のミステリと言い換えてもいいのだが、形式は微妙に異なるが、アガサ・クリスティーの後期の作品群から、ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーものなどある種のハードボイルド小説やをへて、デクスターのモース物とルース・レンドルのウェクスフォード警部シリーズという私見では20世紀後半の本格ミステリの系譜があり、今そのうちの1つのシリーズが20世紀の最後をもって終焉を向かえたという意味でも同時代を生きていた一読者としてそれなりの感慨は抱かざるをえなかったのである。

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ドロシー・セイヤーズ

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ドロシー・セイヤーズ
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不自然な死 (創元推理文庫)

不自然な死 (創元推理文庫)

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毎回クリスティーのことを引き合いに出すといい加減にせいよと言われそうだが、この「不自然な死」の事件とは思われていなかった不審な死(完全犯罪)を掘り起こそうというプロットは挙げれば枚挙にいとまがないほどクリスティーが後に多用したものだが、この作品は1927年の発刊で、この時点ではクリスティーはまだこのパターンには手をつけておらずセイヤーズが先鞭をつけたということになるみたいだ。
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「ナイン・テイラーズ」
この作品に優れたところがあるとすればそうした個々の要素をパズルのピースとして組み込んだ作品全体のグランドデザイン(プロット)にある。
 表から見える事件の様相としてはまず墓地から発見された正体不明の死体というのがあり、それに昔この村で起こったエメラルド盗難事件、それにかかわり消えたエメラルドはどこにあるのかという謎が物語のドライビングフォースになるのだが、ピーター卿の捜査(あるいは推理)の進行につれて、被害者がだれだったのかを含めて、事件の様相が二転三転していく。今風の言い方をすれば「ホワットダニット」の一種といえるのだが、この構造はコリン・デクスターの先駆と考えることもできる。あるいは被害者が二転三転してそのたびに事件の様相が一変してしまうという謎の構造はルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズを彷彿とさせるところもある。こうした構造はセイヤーズが創作活動を休止した以降のアガサ・クリスティも好んで繰り返して使うことになる。
 ところがこの作品がユニークなのはこうしてまるで玉ねぎの皮をむいていくように真犯人に迫っていったはずのピーター卿が最後に出会うのが、巧緻な犯罪を企てた真犯人ではなく、玉ねぎ同様に「虚空」であるという不気味さで、だからこそあれは単なる物理トリックではなく、そこにこそあのトリックの真意があったわけだ。実際に起きたこと自体は物理現象なわけだが、なぜよりによってその時にかということには運命に操られたという以上の合理的な理由はない。そうした偶然の符合を人間がどのように呼ぶかというと神の摂理と呼ぶことができる一方で、京極夏彦ならばそれに仮の実体を与え「妖怪」と名づけるかもしれない。巽氏が「ナイン・テイラーズ」を論じるにあたって京極を持ち出したことは一見奇を衒っているように見えるがそれなりの根拠はあるわけだ。 
ルース・レンデル

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ルース・レンデル
クリスティーの後継者と見なされることの多かったP・D・ジェイムズとルース・レンデルはどちらもその呼称を忌諱したが、クリスティーを「ホワットダニットの作家」と位置づけると、両者のプロットの類似から、ルース・レンデルのウェクスフォード警部ものがもっとも正統なホワットダニットの系譜の後継とみなすことができるだろう。
 実はルース・レンデルについてはウェクスフォード警部ものより、ノンシリーズといわれるクライムストーリーの評価の方が一般には高いのだが、ウェクスフォード警部ものにはクリスティーの得意とした過去タイプやホワットダニット系のプロットに加えて、捜査の進展に応じて、事件の様相が二転三転するコリン・デクスターのモース警部ものが得意とするタイプのホワットダニットを先取りしている。英国では人気作家であったが、日本では翻訳もある時期以降途絶えており、絶版も多く、そういう点でも再評価が必要だろうと考えている。
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英国ミステリー界の女王 R・レンデルさん死去
 英PA通信によると英ミステリー作家のルース・レンデルさんが2日、ロンドンで死去、85歳。死因は不明だが、1月に深刻な発作を起こし入院していた。
http://ukladynovel.starfree.jp/writers/Ruth_Rendell.htmlukladynovel.starfree.jp

 英国ミステリー界の女王と呼ばれ、ウェクスフォード警部シリーズが有名。「わが目の悪魔」(76年)などが邦訳された。「ロウフィールド館の惨劇」(77年)を基にした「沈黙の女」(95年)など、映画化された作品も多い。(共同)
[ 2015年5月2日 23:38 ]

徹夜の訊問明けに舞いこんだ手紙を読んで、ウェクスフォード首席警部は怒りに震えた。十六年前にヴィクターズ・ピースという名の屋敷で発生した女主人殺し。初めて担当した殺人事件ながら、彼が絶対の自信をもって解決したこの事件に、手紙の主である牧師は真っ向から疑問を投げかけたのだ。

アンという女が殺された。犯人はジェフ・スミスだ―そんな匿名の手紙がキングズマーカム署に届いた。ウェクスフォード警部は調査を開始したが、死体さえ発見されない状況に困惑せざるを得ない。本当に殺人はあったのか?混迷する捜査陣の前に、やがて事件は意外な真相を明らかにする。

ウェクスフォード・シリーズ[編集]
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邦題
原題
刊行年

刊行年月

訳者
出版社

1
薔薇の殺意
From Doon With Death
1964年
1981年12月
深町眞理子
角川文庫
2
死が二人を別つまで
A New Lease of Death
1969年
1987年6月
高田恵子
創元推理文庫
3
運命のチェスボード
Wolf to the Slaughter
1967年
1987年4月
高田恵子
創元推理文庫
4
友は永遠(とわ)に
The Best Man to Die
1969年
1988年4月
沼尻素子
光文社文庫
死を望まれた男
1988年9月
高田恵子
創元推理文庫
5
罪人のおののき
A Guilty Thing Surprised
1970年
1988年8月
成川裕子
創元推理文庫
6
もはや死は存在しない
No More Dying Then
1971年
1987年1月
深町眞理子
角川文庫
7
ひとたび人を殺さば
Murder Being Once Done
1972年
1980年9月
深町眞理子
角川文庫
8
偽りと死のバラッド
Some Lie and Some Die
1973年
1987年9月
深町眞理子
角川文庫
9
指に傷のある女
Shake Hands Forever
1975年
1986年1月
深町眞理子
角川文庫
10
乙女の悲劇
A Sleeping Life
1979年
1983年3月
深町眞理子
角川文庫
11
仕組まれた死の罠
Put on by Cunning
1981年
1988年6月
深町眞理子
角川文庫
12
マンダリンの囁き
The Speaker of Mandarin
1983年
1985年4月
吉野美恵子
早川書房
13
無慈悲な鴉
An Unkindness of Ravens
1985年
1987年5月
吉野美恵子
早川書房
14
惨劇のヴェール
The Veiled One
1988年
1989年12月
深町眞理子
角川文庫
15
眠れる森の惨劇
Kissing the Gunner's Daughter
1992年
2000年4月
宇佐川晶子
角川文庫
16
シミソラ
Simisola
1994年
2001年3月
宇佐川晶子
角川文庫
17
聖なる森
Road Rage
1997年
1999年7月
吉野美恵子
早川書房
18 悪意の傷跡 Harm Done 1999年
2002年12月吉野美恵子 早川書房
19 The Babes in the Wood 2002年
20 End in Tears 2005年
21 Not in the Flesh 2007年
22 The Monster in the Box 2009年
23 The Vault 2011年

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「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」(6)完結編

「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」(6)完結編

クリスティーのホワットダニットタイプの短編

この章ではクリスティーの短編のうちホワットダニット的な作品を紹介していくことにしたい。
 「リスタデール卿の謎」はホワットダニットとホワイダニットの融合作品である。セント・ヴィンセント夫人はアン王朝様式の美しい家を安価で借り入れた。しかも、その家には執事まで家主負担で残っている。本来の家主であるリスタデール卿はアフリカに行ったまま18カ月帰っていない、という。なぜこんな安い価格でこの家が貸し出されたのか?そしてリスタデール卿は本当にアフリカに行ったのか?という謎が作品の中核にあるので、その意味ではホワイダニットなのだが、真相が明かされるまではすべての事実が伏線として存在しているという意味でホワットダニットとしての性質も含まれている。
 「謎のクィン氏」はクリスティーと演劇の関係性を考える意味でも興味深い作品であるが、その意味では「鈴と道化師亭」がホワットダニット的興味の強い作品である。この作品ではリチャード・ハーウェル大尉の奇妙な失踪事件が取り扱われて一見フーダニット的な作品に見えるのだが、最後に真相が明かされるに至って、その失踪事件自体が別の事象の一部に過ぎないということが分かるのである。

 ヘラクレスの冒険」に収録される「ネメアの谷のライオン」は典型的なホワイ、ホワットの融合作品である。この作品では犬の連続失踪という奇妙な事件が取り扱われている。
クリスティー作品の私的ベスト10
 最後に私自身のクリスティー作品の私的ベストテンを挙げておくことにしよう。作品においてはトリックや作品の歴史的価値よりも、その作品のプロットのオリジナリティーと完成度を重視されている。

私的ベストテン(順不同)
1、「バートラムホテルにて」
2、「象は忘れない」
3、「五匹の子豚」
4、「ゼロ時間へ」
5、「そして誰もいなくなった

6、「無実はさいなむ」7、「カーテン」
カーテン(クリスティー文庫)

カーテン(クリスティー文庫)

8、「運命の裏木戸」

9、「謎のクィン氏」
10、「ヘラクレスの冒険」

 最後に少し結論めいたことも言うことにする。クイーンはフーダニットの作家、カーがハウダニットの作家であるとすれば、クリスティーはホワットダニットの作家である。これこそが彼女がその叙述の方法について様々な試行錯誤を繰り返した後に完成した形式である。その意味ではオリジナリティーという点で考えてみた時に今まで不当に評価されてきたクリスティーの晩年の作品の再評価が必要なのではないだろうか。なぜなら、この時期こそが彼女が生涯をかけて追及してきた形式へと到達することができたのであるから。

参考文献
「欺しの天才」ロバート・バーナード
「第四の推理小説
アガサ・クリスティ論序説」
「クリスティーの手帖」
「小説とは何か」E・M・フォースター


本稿の続編のための準備メモ
英国現代ミステリのメインストリームはクリスティー、そしてそのライバル的存在であったドロシー・L・セイヤーズを出発点とし、後継者と見做されているP・D・ジェイムズとルース・レンデルへの続く。実は彼女らの最大の特徴はホワットダニットタイプのプロットを受け継いでいることで、こうしたモダンディテクティブストーリーの筋立てはコリン・デクスターへと受け継がれていったというのが私説だ。実作を当たりながらそのことを論証していきたい。
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ゆうめい ゆうめいの座標軸『俺』『弟兄』@こまばアゴラ劇場

ゆうめい ゆうめいの座標軸『俺』『弟兄』@こまばアゴラ劇場

作:池田 亮
今の「ゆうめい」に至るまでの軸となる代表作『俺』『弟兄』『あか』を再演します。
自分や他者の体験に対して別々のアプローチを経て作り上げた別軸の3作品を通して、より立体的に“ゆうめいの今までとこれから”を楽しんでいただければ幸いです。
そして新たな軸であるワークショップの発表公演もあります。
1作品だけ観ても楽しんでいただけるようブラッシュアップを重ねて、あの時できなかったことと、今できるようになったことをぐるっとまとめて発表します。




『俺』
2015年にゆうめいの初公演となった二人芝居。
今回は新たにギュッとまとめて一人芝居にて上演。
演出:小松大二郎 池田 亮
ドラマターグ:森谷ふみ

『弟兄』
克服できない嫌〜な体験から生まれてしまった話。
2017年のゆうめい代表作となってしまった話。
演出:池田 亮

『あか』 ※『あか』公演中止
祖父の絵を展示しながら実の親子が出演。
2020年版では別の親子も出演し、別の家族へ伝わっていく。
絵画制作:池田一末
演出:石倉来輝 石倉千津子 池田 亮 五島ケンノ介 小松大二郎

劇団側の意向により、『あか』についてのみ公演中止が決定いたしました。


 ゆうめいという劇団のことは以前早稲田小劇場ドラマ館で見た短編などからオーソドックスな会話劇を上演する劇団と思い込んでいたので、ネット配信の仕掛けを取り入れた「俺」が旗揚げ作品だと知り、吃驚した。ゆうめい「姿」ではリアルタイムでVtuberのソフトを劇中で操っていたので、これにも驚かされたが「俺」を見て、もともとこういう傾向もあった劇団だと考えれば納得がいく部分もある。
 とはいえ、一方で「俺」「弟兄」「姿」はいずれも作者自身のいじめ体験や両親との軋轢など実体験が基になっていて、そうした実体験を舞台作品に仕立て上げる手法にはハイバイの岩井秀人の強い影響があることがうかがわれた。