下北沢通信

中西理の下北沢通信

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木ノ下歌舞伎「三番叟/娘道成寺」

木ノ下歌舞伎が歌舞伎舞踊の「三番叟/娘道成寺」に挑戦した。木ノ下歌舞伎は木ノ下裕一、杉原邦生、木村悠介ら京都造形芸術大学の卒業生、在学生らによる歌舞伎上演のためのプロデュースユニットである。歌舞伎を従来のスタイルのまま上演するのではなく、再構築して、新たな現代演劇として上演するのが大きな特徴で、これまで「東海道四谷怪談」をテキストとした「yotsuya-kaidan」 *1、「四・谷・怪・談」、「菅原伝授手習鑑『寺子屋』」を原作にした「テラコヤ」*2を上演してきた。
 歌舞伎舞踊と書いたが、どちらも歌舞伎舞踊の原作に若干の素材を借りたコンテンポラリーダンスと考えた方が適当かもしれない。実はこれまでの木ノ下歌舞伎の公演では俳優の台詞回しや美術、衣装などは現代風でも、台本(テキスト)は古典歌舞伎で使われたものを原則としてそのまま用いて、改変や翻案はしない。それが暗黙のルールとなっていた。
 そのため、まず気になったのは台本のない歌舞伎舞踊のなにを生かして活用するのかだ。そういう目で作品を見たためにいささか通常コンテンポラリーダンスを見る際の目の向け方と異なる見方をすることになったことをまず指摘しておきたい。
 古典舞踊の一番簡単な現代化の方法は物語(ナラティブ)をなぞることだ。マッツ・エック、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」など現代バレエではそれが定番となっているが、そういうことをするつもりがないのが、「三番叟」「娘道成寺」という演目選定で分かる。まず、「三番叟」には祝祭舞踊とも称されるように神に捧げる儀式から発祥したものと思われ*3、物語らしい物語が存在しないからだ。
 古典の「三番叟」は2つの手段で現代表現に移行された。ひとつは全体の流れとして「三番叟」上演の手順を生かしたこと。もうひとつが歌舞伎の「三番叟」からいくつかの演者の動きをサンプリングし振付に落とし込んでいることだ。冒頭の3人のパフォーマーが縦に並んで腰を少し落とし、摺り足で左から右にゆっくりと動いていく部分などは原作の進行をほぼそのまま写しているといえる。
 もっとも原作との差異も明らかだ。音楽にはBGMとしてエレクトロニカ系のアップテンポなダンス音楽を使う。振付は動きの一部が「三番叟」からの引用だと書いたがもはや実際のダンスの動きからはそうだということはあらかじめ言われて注目していないと分からない。ちょっと変だなと思いはするが、音楽にシンクロして踊られるダンスにしか見えない。さらに言えば、ダンスをショーアップするためにダンサーの動きには「三番叟」だけではなく、ショーダンス(EXILEのもの?)と思わせるダンスもパロディ的に引用され、全体としてはそうしたいろんな要素の混交となっている。ダンスとして楽しく見られるから、それ以上なにをとも思うが、これが木ノ下歌舞伎の作品であるということを考えに入れれば冒頭で渡辺保のパロディ(パスティッシュ?)とも思われる「三番叟」の演目解説のナレーション部分なども除けば、実際の作品と歌舞伎の関連性はそれほど明確ではないように思われた。
 一方、「娘道成寺」はどうだろう。「道成寺」は熊野詣の若い僧侶に激しい恋心を抱いた女が、逃げた僧の後を追い、ついには蛇体と化して、道成寺の釣鐘に隠れた僧を鐘ごと焼き尽くしたという物語だ。こちらもいろんな演出バージョンがあるが、有名なのは「京鹿子娘道成寺」である。これは白拍子が道行、乱拍子、急の舞い、鞠歌、花笠踊り、手拭踊りと次々と衣装や持ち物を変え、たっぷりと踊りを見せていく。
 きたまりの「娘道成寺」はいきなり天井から吊った縄につかまってブランコのようにブラブラと揺れるところ*4からスタートする冒頭がまず印象的。度肝を抜くインパクトがあった。その後も身体の柔軟性を十分に生かした振付でまりのダンサーとしての魅力を存分に感じさせるものであった。もっともこれはダンス作品としては面白いが、きたまりのキャラは安珍への嫉妬に狂った清姫とは見えない。あえていえば場末の曲馬団の少女を思わせる。音楽も亀田真司 伊藤栄治らによるフリージャズ風の生演奏であり、オリジナルの長唄による伴奏の面影はほとんどなく、こちらも「三番叟」以上に原作との関連性を考えはじめるとどこが「娘道成寺」なのだろうと途方にくれる。きたまりによれば動きのいくつかのモチーフは歌舞伎の「娘道成寺」から取られたらしいが、きたまり流に変えられて分からない。共通点はどちらも女の情念の強さを感じさせるものだということぐらいで、いつ舞台に出てくるだろうかと待ち構えていた女の嫉妬心の象徴としての蛇身はついに具象的な事物としては登場しなかった。
 作品として面白ければいいのだが、それでも古典を射程に入れる限りは原作のことも気になる。アフタートークなどでフォローできる場があえばと思った。

*1:木ノ下歌舞伎「yotsuya-kaidan」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060508

*2:木ノ下歌舞伎「テラコヤ」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20070422

*3:さんば‐そう【三▽番×叟】 1 能の「翁(おきな)」で、千歳(せんざい)・翁に次いで3番目に出る老人の舞。直面(ひためん)の揉(もみ)の段と黒い尉面(じょうめん)をつける鈴の段とからなり、狂言方がつとめる。また、その役および面。→式三番(しきさんば)2 歌舞伎・人形浄瑠璃に1が移入されたもの。開幕前に祝儀として舞われたほか、一幕物の歌舞伎舞踊としても発達。3 地方に1または2が伝播(でんぱ)し、各地の民俗芸能に取り入れられたもの。多くは最初に演じられる。[大辞泉]

*4:後から考えるとこれが原作では最後に出てくる釣鐘のくだりからの引用なのかもしれない