下北沢通信

中西理の下北沢通信

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イデビアン・クルー「包丁一本」

 @新大久保・パナソニックグローブ座 (1998/3/20-22 3ステージ)
 全指定前売り3000当日3300  
 構成・振付・演出:井手茂太
 出演:金谷綾子、川村奈実、小松南江、斉藤美音子、志小田綾子、角谷牧子、本橋弘子、本田和子、高橋由美、上野正輝、小山達也、中村達哉

 思わずクスクスと笑ってしまうような意表をつくおかしな動きやダンサー同士の関係性を見せる斬新な構成がイデビアン・クルーの振付の魅力だが、新作「包丁一本」では純粋カッコイイ系ダンスで、そのふところの広い実力を見せてくれた。黒のレオタードと名前入りの白のブリーフというのがトレードマークだが、この作品では冒頭、そろいの黒袴で決めて、武道やすり足など日本的な動きの要素をデフォルメして取り入れた動きに合わせて文字通り凄い速さで踊りまくる。ところどころに意識的にイデビアン特有のぎぐしゃくした雰囲気も残していて、なにかあやつり人形かゾンビーが群舞をしているような雰囲気を感じたものの、これは明らかにおかしみをさそう動きというよりは純粋にカッコヨサを感じるダンス。群舞の迫力は誇張でなく、フォーサイスローザスを連想させるほどのレベルに達しているといえる。名付けて「死人のローザス」という感じだろうか。前作「茶バシラ」でも冒頭、赤いワンピースの衣装で見事な群舞を見せてくれたが、今回はそれに男性的な勇壮さが加わったような振付である。冒頭を見た一瞬、浮かんだバニョレ狙いか(笑い)との下世話な感想もあっという間に吹っ飛んでしまうほど圧倒的なダンスであった。

 今回は全体が四部構成で、冒頭の群舞に続いては少数精鋭による関係性を見せていく振付で、ここではいままであまり、一人のダンサーだけに焦点を当てることをしなかったイデビアンでは珍しく、斉藤美音子がはっきりとソリストとしてダンスを踊るが、このくねくねとしてどこに体重が乗っているのかよくわからない動きが見事。今回は笑いの要素はできるだけ排除して動きそのもので見せていこうという意図が感じ取れるのだが、この部分だけはこれまでのイデビアンの作風を踏襲したものとなっている。

 さて、問題なのが、この後に続く部分。着物の衣装を着ての群舞はこれまでもあったのだが、これまでの作品でも見せたフォーメショナルな群舞も途中からでてくるものの、前半ミニマルなピアノ演奏に乗せてほとんど最小限の動きしかしない。ここにストーリーを読み取った人もいるようだが、私には冒頭の死人のダンスの連想から、ここの部分は舞台後ろの椅子に座っている人の心象風景を群舞の形でビジュアライズして見せたように感じられた。もっとも、この部分では全員ですこしずつ位相をずらしながら、お辞儀するような振付の繰り返しなどにミニマルな音楽同様に睡眠不足の私を気持ち良い眠りにさそうような作用があり、起こってくる睡魔と闘いながら、このシーンを見ているとその時の私の状態とダンスの振付自体がシンクロしてきて、ますます気持ちがよくなってきてしまうのであった。こういう状況なんで、こうした連想そのものが全て夢枕の幻想にすぎないのかもしれないが、ここでも群舞は生死の境であやつられている死者たちに見えてきたのであった。

 エピローグはやはり、関係性を重視しながら群像で見せる振付に戻る。今後の方向性としては冒頭のような振付がダンス界における地位を固めていくためにいい方向性なのであろうが、私としては三番目の部分にまだつかめていないだけに全くこれまでのダンスにないようななにかに到達してしまうかもしれない無限の可能性を感じた。

(観劇日1998年3月20日金曜7時半)