下北沢通信

中西理の下北沢通信

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劇団☆新感線+松竹「阿修羅城の瞳」

 劇団☆新感線+松竹「阿修羅城の瞳(1時半〜、大阪松竹座)で観劇。「阿修羅城の瞳」という作品自体については前回公演の際に下北沢通信レビューで書いてあるのでhttp://member.nifty.ne.jp/simokitazawa/review3-1.html今回はここではどちらかというと今回の公演ではということを中心に感想を書くことにした。2000年8月の再演に引き続き、今回は再々演。病葉出門を演じる市川染五郎ありきの企画ではあるが、今回は新感線初出演の天海祐希がよかった。天海が演じた闇のつばきという役は前回、富田靖子が演じたが、その時にこの役はなにか様式的な演技を経験した役者でないと難しい役と書いた記憶(8月23日の日記)がある(http://member.nifty.ne.jp/simokitazawa/new00-08.html)が、今回の演技では天海は宝塚のトップを張ってきた経歴はダテじゃあないことを見事に見せてくれた。男役と女役では勝手が違うだろうし、本人の個性も当然あるとは思うが、森奈みはると今回の天海祐希を見たら、「清く、正しく、美しく」っていうそのキャッチフレーズとは正反対だけれど宝塚の人は意外と新感線に向いているのではないかと思った。歌もうたえるし、ダンスも踊れる。ちょっとした時に見せる流し目の妖しさなど宝塚のスターとしてしみついた本能のようなものじゃないかと想像されるが、それが普通の芝居ではわざとらしくなっても、新感線の世界でははまるのだ。天海祐希はNODA MAPなどにも何度も出ているのだが、今回の方がずっと生き生きしていたし、本人が本来持っている「普段意外と普通なのだが、スポットライトの下で演じるとスターの輝きを発する」という魅力を存分に発揮できていたからだ。
 天海に限らず適材適所という意味では今回のキャスティングはよかったんじゃないかと思う。ただ、染五郎の出演も今回で3回目。前回はいのうえ歌舞伎に歌舞伎の御曹司が初出演、しかも歌舞伎の殿堂のひとつである新橋演舞場での公演ということもあって、花組芝居加納幸和鶴屋南北に起用して、劇中劇で染五郎と夢の競演をさせるなど遊びを重視しながら「いのうえ歌舞伎」の「歌舞伎回帰」を感じさせるところがあったが、今回はその印象は薄れた。大南北が役者あがりではなく、大道具の出身だったというのはかなり有名な話で、史実からすれば小市慢太郎の方が南北を演じるには適当だったかもしれないが、小市がだめということではなく、趣向として加納の芝居を存分に堪能したので、それがなくなったのは少し残念であった。
 ただ、その辺りの趣向が背景に退いた分だけ、出門とつばき、出門と邪空というこの物語の主軸となる関係の構図はソリッドに描き出されている。これは今回邪空を演じた伊原剛志がストレートに出門への愛憎を演じたということにもあるかもしれない。古田新太がこの役を演じた時のような色悪的な清濁併せのむような妖しい魅力は伊原にはないのだが、その分、出門、つばき、邪空の物語内での関係は符に落ちるものとなっていた。
 新感線組では橋本じゅんは前回公演の渡辺いっけいにも感じたが、あの役ではちょっとしどころがない感じ。一方、桜姫の高田聖子はよかった。やはり、こういうお転婆な娘役をやらせると抜群である。この役は前回、森奈みはるが演じた時も脳天気な姫役をうまく演じ、あたり役だと思わされたのだが、さすがホームグラウンド。インパクトにおいて高田に一日の長があったかもしれない。そういえば、高田聖子を新感線の舞台で見たのはずいぶんひさびさだという気がする。