下北沢通信

中西理の下北沢通信

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BABY-Q「ALARM!」

 BABY-Q「ALARM!」(伊丹・アイホール)を観劇。
 トヨタコレオグラフィーアワード2004「次代を担う振付家賞」を受賞した東野祥子率いるBABY-Qの新作「ALARM!」を伊丹アイホールで見た。この集団の本公演を見たのは昨年の「Z←・Z 滑稽な独身者機械」*1に続き2回目だが、東野祥子のソロダンスを中心にソリッド感が増して、ダンス作品としての完成度が格段に高まった。
 BABY-Qは音楽、映像などクラブ的要素を組み合わせてのコラボレーション的志向の強いダンスパフォーマンスが特徴。これまではきっちりと作りこんだ舞台作品というよりも、即興やその場に参加したアーティストの個性を生かしたノリの舞台が多く、私が見た「Z←・Z 滑稽な独身者機械」もそういうテイストの舞台だった。
 この「ALARM!」という作品はこの集団としては初めてロリーナ・二クラスによる振付家のための構成力養成講座(1月)、神戸ファッション美術館公演(6月)、トヨタアワード最終選考会(7月)とワーク・イン・プログレス(試演)を繰り返し、本格的にクオリティーの高いコンテンポラリーダンスの作品を作ることを目指したもので、途中段階ながらそうした試みがトヨタアワードの受賞につながり、今回の上演成果を生み出した。
 東野のムーブメントはモダンダンスによってつちかった基礎テクニックに加えて、クラブなどでの即興コラボレーションなどを通じて会得したと思われるスピード感溢れる運動性が特徴で、手足の関節の可動範囲の大きさからか、ダイナミックな動きのなかにそれをさらに分節していくようなきめ細かなアクセントがつけられるのが特色。その運動能力の高さから生み出される身体ボキャブラリーも豊富で、おそらくそれがアワード受賞の決め手となったと思われる。
 この作品においても最大の見所は東野が自ら踊るダンス部分で、冒頭部分のソロ、山本泰輔と照明で区切られた2つの矩形の中で踊るデュオ部分は最初の構想段階からこの作品の中核をなすダンスであり、今回の舞台でもきわめて印象的な場面であった。さらにバンド「赤犬」のボーカリストでありBABY-Qの常連出演者であるクスミヒデオとの少しコミカルなデュオのダンスはこれまでユニークなキャラを生かして飛び道具的に起用されていたクスミが東野によって振り付けられたダンスに取り組んで成果を上げていたのに感心させられた。
 表題の「ALARM!」は警告音のことだが、作品のなかでも現代社会のなかで生きていくうえで、さまざまな形で感じざるをえない軋轢やプレッシャーのようなものを「警告」に仮託して表現していく。もっとも、その軋轢のような部分を舞台上でどのような形で提示していくかに関してはトヨタの最終選考会を含めたこれまでの舞台と今回の公演には大きな差異があった。これまでは実物の携帯電話や目覚まし時計を舞台上に置いたり、映像として戦争などの場面を見せたりというようにビジュアルで直接的に「警告」を印象づけるようなことを見せていたのだが、そういうものを実際に見せてしまうことでダンスが本来持っているはずの自由に想像を喚起させることを阻害しているきらいがあった。今回の舞台では豊田奈千甫のオリジナル音楽のなかに時折それを連想させるような音を挿入するのにとどめ、その分、印象はすっきりしたものとなった。
 今回の舞台においてもこの集団がかかえる課題はいくつか残った。最大の問題はこの集団には東野の振付を踊りこなせる技量をそなえたダンサーが本人以外に見当たらないこと。そのため、東野が出演しているシーンをシーンをつなぐ間にダンスではない演劇的要素の強いパフォーマンス場面が挿入され、それはBABY-Qのテイストとはなっているのだが、ダンス部分の高いクオリティーと比較するとなくてもいいのじゃないかと思われるシーンも散見される。
 ただ、この部分をダンスではなくて他の要素で埋めているのは舞台全般への東野の志向性もあるとは思われるが、ダンス部分を挿入しようにもそれを担いうるパフォーマーがいないという事情もどうやらありそうだからだ。さらにいえば東野はダンサーとして卓越しているのだが、そのボキャブラリーには即興的要素が強いこともあり、魅力的である自分の動きをどこまで客体化できているのかというのが、この日に出演していた主演者に振り付けていた程度の精度の振付でははっきり分からないこともあり、判断を保留せざるをえない。
 そういう課題はあるにしろ、この日の公演からは逆に仮にそうした問題をクリアーすることができれば東野が世界のフィールドで勝負できる振付家であるかもしれないというポテンシャリティーの高さは十分に感じさせてくれる内容であった。